メールがきたから、コペル先生に聞いてみたら、このような教示をくれた。
愛するだ~りんに、画像を添付したら・・ややあって・・・
「今日帰る」って返信がきました。めでたしめでたし。
やっぱ、寒い夜は、熱燗ですな。この、かん酒用のカップ?、
熱は早く伝わるし、取っ手部分を鍋にちょいとひっかけて便利
と思ったんだけど、意外と深くて、家庭用の鍋だと、ちょい底が安定しなくて・・
危ないんす。はりきって二つも買ったのにぃ・・・。
乗り物で移動するときは、必ず、本を携えますが、
倉阪鬼一郎さんの「のどか屋シリーズ」
高田郁さん「みをつくしシリーズ」
和田はつ子さん「料理人季蔵シリーズ」
はいけませんぜ。必ず、日本酒が飲みたくなるスよ。
灘、伏見の下り酒に田楽なんて、出てきた日にゃ
正気でいられやせんぜ
今日は、家族だけで密かに覚えていた・・心筋梗塞記念日。
そう・・、25年前の今日・・
愛するおとっちまが、心筋梗塞を発症した日。
あの時のこと、鮮明に覚えている。
おとっちまは、朝から具合がすぐれなくて、いつもは、クルマの運転大好きなのに、
車の運転をいやがって、ワタシがおとっちまの車を運転して、正絃社に乗せていった。
そのあと、私は、いやな感じがしながらも、出かけました・・・。
正絃社で仕事をしていた、おとっちまは、ピースあんぱんを食べたあと、胸やけがするといって、
知り合いのお医者さんのところに行くも・・救急車で、日赤病院に転送されたとのこと・・。
慌てて、病院に駆けつけるも・・・おとっちまは、ICUで、昏睡状態。
あの時も、ワタシは、ずっと、ずっと、おとっちまの手を握っていました。
「この手を伝わって、私の命をおとっちまに移してください」
付き添っている間じゅう、ずっと、そう祈っていました。
それから、24時間、48時間、72時間・・・おとっちまは、お医者様に「そこがヤマです。」と
言われた刻限を、次々のりきってくれました。
そのあと、体力が恢復するまで、手術はムリ、とのことで、4月まで、リハビリ生活。
毎日、かーちまと私が交代で病院に泊まりました。
危ない時もあって、何度、泣いたことか・・・。
4月になり、ようやく、20時間に及ぶ心臓バイパス手術。出血が止まらないため、夜中に再手術したりして、
もんもんとした一夜があけて、ようやく無菌室で、かーちまと、Sおねえちゃんと、3人で面会したおとっちまのカラダには、
クモの巣のように、コードやドレーンや機械がついていて、立ちくらみがしました。
けれども、心臓の鼓動に合わせて、ドレーンの中を行ったり来たりする真っ赤な血液には、力がみなぎっていました。
それから、24年と8カ月・・・本当に、あの時の私の命以上に、おとっちまは長生きしてくれました。
神様は、私の祈りをきいてくださったのかなと思います。
あの時、もっと祈っておけばよかったのかなとも思いますが、本当におとっちまはがんばってくれました。
その後も、十二指腸潰瘍、胸骨の癒着障害、大腿部の縫合崩れ、など様々なことがあって、半年後に退院するも、
家族は、「あと何年生きられるだろうか」と心配しました。
それから、毎年2月24日は、心筋梗塞記念日として、家族で大なり小なり・・おとっちまの生あることをお祝いしていました。
この写真は、退院して1年半後のお正月に撮ったモノ・・・。
バイパス手術の時の、40人分以上の輸血が、そのあとのC型肝炎を引き起こし、肝臓、腎臓、そして加齢により
どんどんカラダが弱っていくことになってしまいましたが、おとっちまは、作曲も続行したし、演奏も、指揮も、糸しめさえもしました。
昭和の時代を、モラトリアム、戦争、出家、創作、創立、普及・・、駆け抜けたおとっちまにとっては、
平成の時代は、家族とゆるりと過ごした時間だったと思います。
今年・・、おとっちまが、いないことはとても悲しくて、思い出すたび泣いているけれど、
がんばってくれたおとっちまに感謝の祈りを捧げます。
顔も痛いし、風邪気味だから、改源飲んで寝ます。
改源は生薬配合で良く効きまっせ。
けどね、ネコの風邪にはいかんダスよ。
主成分たるアセトアミノフェンはネコには有害なんダス。
3にゃんは、時おり、くしゃみしてますが、
にゃんとか、この冬乗り切りそうですにゃ。
春はすぐそこっがんばろう倫
三日前の出来事なんすが、徳島~大阪まで、3時間かけて飲みながら、帰ってきて、そのあと、新大阪で、
また飲んで~~。
トランク持って、マンションに着いた途端・・・すっ転んだ。気づいた時は、床に顔と左手の指を打ち付け・・・
1日経つ毎に、目の下は、黒くなる。手首は痛くなる。ひざは青くなる・・。あ~~もうやだっ