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自然回帰マーチャンダイジング

-地域-自然-デザイン-商品-生活-を繋ぐ遊び場・仕事場から

北海道がテリトリーになった!

2010-02-18 16:21:16 | Weblog

 富士山静岡空港を使って、札幌へ2泊3日の出張へ行ってきた。ANAを使い、1日目は17:40に静岡を発ち、20:00には札幌に居た。2日目は丸一日札幌に滞在、3日目の朝9:10に新千歳を発ち、昼食は掛川で食べることができた。

 この朝食付き2泊に航空券を含んで、なんと25,800円。東京へ2泊3日の出張をしたら、間違いなくこの価格では収まらない。この価格といい、所要時間といい、静岡県と北海道の距離が一挙に縮まった感じだ。

 静岡県は、関東圏や中京圏の人たちに較べ、長野など雪国へのアプローチが格段に難儀だ。空港が出来たことで、静岡県民は北海道という雪国を手に入れた気がする。空港整備の是非を問うより、人の交流が生まれる可能性がある空港を、有意義に活用する仕掛けづくりと仕組みづくりをすすめるべきだろう。
 
 静岡県では、時を同じくして太田川ダムの建設があったが、こちらは逆に人の交流を生まない象徴的な大型事業だった。フライフィッシングの愉しみを教えてくれた美しい渓流は、集落とともにダム湖の中に沈んでいる。

酒に宿るもの

2010-02-08 21:39:17 | Weblog

 ライフスタイルデザインカレッジのNippon学では、例年のこの時期、藤枝市にある青島酒造で「Nipponの酒」プログラムを開催する。早、今年で3年目となった。

 青島 孝さんを講師に、喜久酔という酒ができるまでの工程はもとより、藤枝で大井川の水を使った酒造りの歴史や背景をどう生かし、どういう酒をどのように造ろうとしているか、そのために自らに課す条件とは何か、旨い酒を造るための非効率的方法論などを詳しく解説していただいている。彼は、今年もごく普通に我々の訪問を受け入れ、本人以外は入らないという糀室まで開けてくれた。

 一昨年よりも昨年、昨年よりも今年、変化していたこと。それは、酒造りの現場が、どんどん美しくなっていることだった。リニューアルしたわけではないのに、道具類も、空間も手入れが行き届き、見事な機能美に溢れていた。

 見事な流儀、作法、所作。「巧か拙か」などと考えることなく、彼が創る小宇宙が、彼の造る酒に宿っている。

駅舎壁の釘

2010-02-01 21:59:53 | Weblog

 昭和8年に建築された、掛川駅木造駅舎の板壁をよく見ると、このように古い釘が使ってある。シンプルなデザインで、必要最小限の空間を地元の大工たちの手で施工した結果、この駅舎は、大小の地震にも耐え、時代の流れとともに、運良く生き残った。

 機能だけを優先すれば消えていく運命だった希少な木造駅舎。今もなお、JR利用者が、あたりまえのように使っている。建築家の小澤義一さんが「市民がごく普通に今も使っているこの駅舎は、権威主義的な匂いのかけらもない生活建築。だから、ごく普通に良いのだ」とさらりと言った。

茶産地の個性化

2010-01-26 23:14:21 | Weblog

 掛川にいると、否応なしに緑茶の商いを間近で見ることになる。茶業について日々思うこと。

 1)茶産地の名称をなぜもっと狭いエリアで表現しないのか
 2)茶農家の標準化でなく、個性化をなぜ狙わないのか
 3)茶園の名称や地形をなぜ紹介しないのか
 4)茶農家の後継者問題になぜもっと立ち入らないのか
 5)地産緑茶を美味しく飲むための器や和菓子をなぜ魅力的に提案しないのか

 挙げればキリがないのだが、このブログでずっと書いてきたことは、地域ブランドや地域商品の必須条件は、その地域の人びとが、粋に、面白くそのブランドや商品を使うライフスタイルを持っているかどうか、である。

 緑茶の個性化は、足下で、すぐにやれることがたくさんある。地域緑茶にフィットする地域の和菓子をお勧めするだけでも、有効なサービスではないか。茶の商いをする方が、地域の和菓子店マップや、この写真の『空中茶園』のような、地域の美しい茶園マップを編集するだけで、この地域の緑茶シーンは、もっと、ずっと面白くなる。

Kinjiro's Way

2010-01-23 19:24:51 | Weblog

 金次郎が歩んだ道。または、金次郎が説いた道。
 
 あるいは、金次郎の方式。さらには、金次郎の使い道。
 
 そんな意味を込めたフレーズがひらめいた。それが“Kinjiro's Way”だ。

 これは、掛川に脈々と受け継がれている「報徳の思想」を、マインドツーリズムとして商品化しようという試みの、表現計画の一部である。報徳の教えを真正面から捉えて情報発信するより、報徳DNAをフィーリングやテイストで受け止めてもらう手法が、きっと多くの人に受け入れられるはずだ。

解体と再生

2009-12-31 15:08:04 | Weblog

 この年末、生家を解体することにした。築400年を経た古民家である。この家から現在の住まいに引っ越して早32年。10年ほど前から雨漏りが激しくなり、寿命が一挙に短くなった。写真は5年前の今頃、廃村の現実をご覧いただこうと、当時掛川市助役だった小松正明さんを案内してきたときのものである。

 ここは標高が500mある森町の山間部、掛川市との境にほど近い。この家に生まれ、小学校に通い始めたとき、山の斜面に広がる茶畑と古民家の点在する集落は6軒の農家で成り立っていた。折しも向都離村の価値観のまっただ中、6年生になると、夜には5軒の家から明かりが灯らなくなった。集落を出て行くひとびとは、こぞって茶畑にスギの木を植えていく。結果的に、我が家もその3年後には茶畑にスギを植え、山を降りることになるのだが、茶畑に植えたスギの成長は目覚しく、明るかった集落は、みるみるうちに暗いスギのボサ林に変わっていった。これは強烈な体験だった。美しい山里は、本来ひとびとの農の営みとともにあり、その手が入らなくなると、たちまち荒廃してしまうことを、小学生時代に身をもって実感した。

 「セカンドハウスがあっていいね」などとよく言われたものだが、人がそこに住まずに手入れすることの難易度は非常に高い。「そのうちに」といった希望的観測も通用せず、手入れしない民家はみるみる朽ちていく。

 昨年、痛みが激しかった隣家も解体した。しかし、なんとこのタイミングで新たな基地をつくろうと、基礎工事がはじまった。解体と再生。30有余年の時を経て、いま集落を離れたひとびとが、もう一度集まりはじめている。本格的な暮らしを再開するわけではないが、オルタナティブライフあるいはセカンドライフを、生まれ育ったこの地で、と回帰しはじめたのだ。昔、一緒に遊んでもらったニイちゃんたちが、もう一度遊びの場を創造しようとしている。

 果たして自分は、先祖と自然への畏敬を心に、この地でオルタナティブライフを実践し、提案することが出来るだろうか。今年、建築家で東京学芸大学准教授の鉄矢悦朗さんをこの地へ案内した経緯があり、鉄矢先生にこの解体の様子を画像でお知らせしたところ、次のような返事をいただいた。

 生まれ育った家の解体に立ち会いながら、様々な想いがめぐっていらっしゃるのだろうと拝察します。 いただいた画像と、ご案内いただいたたった一回の経験だけでも、いろいろ考えてしまうのですから・・・建築やデザインの品を擬人化して考えると、その魅力は ルックスや、性格、背景(育ち)などありますが、やっぱりその人の「志」であり、どんなに美人やイケメンでも未来に向かう考え(志)が貧弱だと魅力はないだろうと。 建築やデザインを作ることは、そのものに志を打ち込んでいくような気がしています。400年も使われた家の志は、しっかりとそこで育った人々に伝わっているのでしょうか。



10年、歩いた

2009-12-27 18:10:17 | Weblog

 われわれの事務所は、2000年にスタートした。年賀状を作成していて、これが10種類めだということに気がついた。他所の企業の○○周年事業、記念誌編集、CI計画の推進、行政の周年事業など、自分たちのことはさておき、ずいぶんと節目のモノづくり、コトおこしに携ってきた。

 他所のこと、他人のことは、フレームを通すと課題がよく見えるものだ。フィルターというのか、ファインダーというのか・・・。解決課題の指摘に対して、依頼主が怒ったこともたびたびだった。痛いところを突かれた、という反応なら良いが、そんなはずはない、と否定されるとこれは仕事にならない。こちらはより客観的な取材を積み重ね、依頼主の持つ資源や風土を理解し、とりまく商環境を把握している。自信過剰という指摘を覚悟で言えば、相手になりきって考えているのだから、そんなことはない“はずはない”のである。

 信頼感は、障りの良いコトバやご機嫌伺いの態度では醸成できない。“あえて言わせていただく”ことを、お互いが容認できる関係性がキモだろう。あらゆる事象に対して寛容なマインドと、一語で気持ちを揺さぶり合えるボキャブラリーが、お互いに必要だ。

 写真は、京丹後市間人の高台にある神社の山門から間人のまちを見た光景だ。神に守られた美しい港町。偶然性を孕んだ瓦屋根の配置と、迷路よりもさらに入り組んだ路地。出会ったまちの人びとが、寛容な精神でわれわれを迎えてくれ、耳を傾けてくれたことで、近年のわれわれの主な仕事である「地域の商品化」に大きな自信を与えてくれた。

 なんと、もう10年か。いや、まだたった10年だ。

自ら(みずから・おのずから)

2009-11-18 17:07:38 | Weblog

 栗焼酎が完成した。商品名を「掛川 里山栗焼酎 自ら(みずから・おのずから)」と命名した。命名の背景とヒントは、2006年5月、NPO法人スローライフ掛川が主催するライフスタイルデザインカレッジのフォーラムにお招きした、哲学者の内山 節(うちやま たかし)氏の講義からヒントを得ている。

 日本では、「おのずから」展開していく四季と自然に、春になったら田畑を耕し、秋になったら収穫をしていく農業に従事していた人たちの「みずから」生きていく世界が重なっている。「おのずから」に逆らって「みずから」生きるということではなく、人間が一方的に「みずから」の世界をつくるのでもない。何が人間の一生にとって「おのずから」の生き方なのかを自分なりに見つけ出し、それに逆らわず「みずから」生きていくという生き方である。この在り様が、日本語の「じねん」という言葉の意味であり、日本人の自然観が込められている。

 近年顕著になってきた掛川の里山における栗のイノシシ被害、農家における後継者不足と栗畑の放置、特産でありながら栗が素材生産の域を出ないでいたこと、などの状況を理解し(おのずから)、新たな次元で作物と鳥獣と営みの関係をつくりたい(みずから)という考えを、今回の栗焼酎の名前に託すことにした。日本人の優れた自然観と人生観との融合感覚を、今、あらためて喚起していきたい。

場面と過程の関係

2009-11-11 18:56:54 | Weblog

 われわれの本業は「事業の仕掛けと仕立て」「表現物のデザインと制作」だと思われている。もちろん、それを否定はしないし、世の中に顕在化しているのはその部分なのだから仕方がない。しかし「何を生業としているのか?」との問いに、「イベント業・デザイン業」と答えるには、抵抗がある。結果として、イベントや表現ツール、Webサイト、出版、建築などに携るのであって、「そこに至るまでのプロセスをつくっていく仕事」という答えが、本当のところだ。

 依頼主が「民」の場合はもちろんのこと、行政サービスという言葉があるように「官」であっても、商品化やサービス化への道筋をつけて行く仕事が、重要になっている。最近では、地域ツーリズム、地域ブランドの安易な開発が、商品化を阻んでいるようにも見える。

 こう考えてみると、イベントは場面(シーン)をつくっているのであり、商品化は過程(プロセス)をつくっているのである。プロセスを経てつくり上げた商品は、そのプロセスの分だけ商品寿命が長くなるだろう。エイヤッ!で興したイベントは、その単体では商品になり得ず、繰り返し場面設定することで商品化を目指すか、商品化のプロセスの一つと位置づけるべきだ。

 イベントを仕立てる(場面をつくる)だけでは、恒常的なサービスの実現(時間をつくる)に至らない。しかし、ツーリズムの真髄は、良質な時間を提供することにある。良質な時間づくりのためには、イベントで結果を求めるのでなく、可能性の幅と奥行きを求め、プロセスを積み上げるべきなのだ。

モコモコでのたくらみ

2009-10-22 19:42:29 | Weblog
 
 掛川市の土方地区の皆さんと、2年がかりで計画をすすめてきた“モコモコ・グランドアート”を、10/24から11/8にかけて開催する。モコモコは、大地が隆起した小さな山々だ。3~6mくらいの高さをもつ小山があちこちに点在する地形を活かし、トレッキングやアートで楽しもうという試みである。

 モコモコのマップがようやく完成した。コースにして距離11.5km、歩行時間約140分。これで、土方地区にある変化に富んだ12のモコモコを、歩いて巡ることができる。

 東京学芸大学・准教授の鉄矢悦朗さんが設計し、土方の佐々木鉄朗さんが制作したベンチは、モコモコの斜面に設置された。1年前、鉄矢先生が「モコモコの脇にこんなベンチがあったらいいな」とスケッチを描いたとおりのシチュエーションである。

 東京学芸大学・金属工芸研究室の古川クンは、何度もこの地を訪れてくれた。彼は「モコモコの上と下ではまったく風の吹き方が違う」ことに着目し、モコモコの上で“風を観る”アート作品を創作してくれている。完成は11/1の予定だ。

 土方小学校の6年生たちは、モコモコをテーマにした絵やイラストを一生懸命に描いてくれた。鈴木校長先生をはじめ、先生方も出品してくれた。作品は白いTシャツにプリントした。洗濯物を大掛かりにズラッと並べた洗剤のCMのように、10/31、11/1、7、8の4日間限定で、モコモコ上にTシャツギャラリーが出現する。

■4日間限定で、Tシャツギャラリーが出現する「ゆるモコ」


はたらき方の革命

2009-10-07 21:47:16 | Weblog

 今年6月、浜野安宏さんが「この秋に“新しいはたらき方”をテーマにした本を出版するので、あなたにも登場してほしいんやけどな」と言って来社。恐れ多くも、浜野さんにインタビューされることになった。浜野さんの仕事にも遊びにもシンパシーを感じ、背中を見て育ってきた自分が、浜野さんの本に登場することなど予想もしなかった。

 2005年7月、NPOの設立1周年記念事業の講演会にどうしても浜野さんを迎えたいと考え、コンタクトをとった。「われわれは、生活提案NPOです。浜野さんにライフスタイルデザイン論をサジェスチョンいただきたいのです。ついでにフライフィッシングで大井川源流のヤマトイワナを狙いに行きませんか」答えはYESだった。

 浜野さんの講演からヒントを得た“ライフスタイルデザインカレッジ”は、開講から4年目を迎えている。 -あそぶことと、はたらくことを同じ次元で考えよう- このフレーズが、常に自分の行動のベースにあることを、あらためて確認することになった。
 
 これまた、恐れ多くも“NPOのエンジン”と紹介いただいた本は、明後日10/9の発売である。

 こんな、ライフスタイルがあった!『はたらき方の革命』
 発売日:10月9日/定価:1,470円(税別)/出版元:PHP研究所
 

まもなくモコモコ

2009-09-26 21:05:09 | Weblog
 
 国民体育大会の文化版といえる国民文化祭が、いよいよ10/24(土)~11/8(日)の16日間、静岡県全域で展開される。掛川市における事業の1ジャンルで、大東地区 土方(ひじかた)での「アートフェスティバル」は、地域の歴史・地形・風景の価値を見直し、地域の空間を使った『モコモコ・グランドアート』を開催する。

 土方の地形そのものが、自然の造形(アート)だ。ここには、隆起したであろう「山」とも「丘」とも違う、「こんもり小山=モコモコ」が象徴的地形をつくっている。これは、いわば自然の造形=アートであり、住民はその上・中で生活(暮らし、営み、商い、農・工生産)をおくっている。歴史をひもとけば、この小山が城であり、水源であり、人の営みに大きな影響をもたらしている。

 人間には、高いところと低いところに行きたいDNAがある。また、日本人にとって里山は懐かしさを憶え、すっと馴染む風景だ。あっという間に登ることができるのがモコモコ。しかし、たった数メートル登ってみただけで、吹く「風」と見渡す「景」の違いは、登ってみた人にしかわからない。

 モコモコの上に、造形物(アート)を創作・設置する。期間限定(約2週間)で、モコモコの頂上やその近くに、地域の営みや、自然、歴史をテーマとした造形物や、その場所を使ったパフォーマンスなどの創作を想定している。創作には東京学芸大学の鉄矢悦郎准教授(デザイン教育)の指導のもと、鉄矢研究室の大学生、地元住民に協力をいただく。

 写真は、モコモコのひとつ『iモコ』だ。てっぺんに2本の栗の木。2人は東京学芸大学の学生。こうしたロマンチックなモコモコから、一面が茶畑のモコモコ、富士山と太平洋が眺められるモコモコなど、厳選した12のモコモコを巡るショート・トリップを提供しようと、いまマップの編集が佳境に入っている。

栗の酒をつくる意味

2009-09-22 20:21:05 | Weblog

 理事をつとめるNPOスローライフ掛川では、この秋、掛川産の『栗』に着目し、『栗』を使って地域に有効な情報発信や交流を実現し、商品化へと結びつけようと、市民・農業・小売業・行政と協働で推進する「かけがわ栗焼酎プロジェクト」を立ち上げた。

 掛川市は、農業生産出荷額が静岡県で第3位と、農業が地域経済を大きく支えている。しかし、これは農産物を素材として生産し、出荷している状態であり、例えば掛川の産出額第1位である「茶」は、あくまで「茶葉」としてのものである。その意味からも、「農」の持つ価値を「商」へも有効に機能させるために、高付加価値化による、加工品などへの商品化と流通が求められている。
 
 掛川市では栗の生産も盛んであり、里山には多くの栗畑が点在している。特筆すべきは、著名な栗羊羹、栗鹿ノ子、栗落雁などの和菓子に使われている栗が、掛川からも出荷されている(らしい)という点だ。栗の産地でありながら、地域で加工品として顕在化しているのは、栗蒸し羊羹、栗きんとんといった和菓子だが、そこに“栗産地としての掛川”という情報発信は希薄だと言わざるを得ない。また、栗農家の現状も、継承者不足やイノシシによる被害によって、栗畑の荒廃が進みつつあり、農産物の高付加価値化や、美しい里山の保全が、地域の大きな課題ともなっている。

 そこで、掛川の栗を使った加工品の単なる商品開発にとどまらず、多彩なジャンルで活動するメンバーならではの視点と、市民参画を促進できるネットワーク力で、栗畑のメンテナンスや収穫の補助、地域のひとびとにその価値を享受できる商品づくり、地域を代表する農産物としての情報発信を実現したいと考えた。“栗焼酎”に着目して商品化する理由は以下3点に集約される。

 1)栗焼酎は日本でも四国と九州の一部でしか商品化されていないため希少感がある  
 2)酒は掛川の他の農産物との組み合わせにより新たな食提案が可能となる
 3)酒造りへの関心の高まりや地酒ブームにより、酒づくりのプロセスに関与することが価値となりつつあり、
   栗の場合比較的関与がし易く、地域の課題(農業継承者不足やイノシシ被害など)も明確になる


 『かけがわ栗焼酎』をつくるプロセスを、市民はもとより、農業関係者、小売業者、蔵元の参画により実現したい。市民や地域を積極的に巻き込んだ「内発型」の事業として、身近な農産物が魅力的な商品になり得ることを実証し、市民にとって地域の農産物や農空間が貴重な資産であることを認識するとともに、積極的に活用することを提案したい。

 地域商品の開発と流通を市民主導で行うことにより、単なる短期的な商いの域を超えた、持続可能な商いを創造することの価値や、本来の地域ブランドや地域商品のあり方を、地域に提案していくのである。地酒開発は、その酒が一人歩きするのでなく、その素材が生まれる地域の背景はもちろん、その酒に合う地産の食材にも光をあてることに繋がる。特に今回の『栗』は、ありそうでなかった加工品であり、高付加価値商品になり得るものである。市民にとって、身近にある栗の木から、新たな価値をもったお酒が開発されることのインパクトは大きいはずだ。

 栗焼酎は、高知県の四万十川流域でつくられる「ダバダ火振」が著名だが、東日本には見当たらない。今回の醸造にあたっては、富士山麓にある富士錦酒造に強力に協力をいただけることになった。名ばかりの地域ブランド・商品が出回る中、本当の意味での地域商品を提示し、地産地消ならぬ“地産地生”を実現することに、このプロジェクトの本来の意義があるのだ。


家具学~その2

2009-07-22 23:10:09 | Weblog

 静岡市は木材の集積、家具職人の集積があり、家具産地として栄えた(ている)。今でも家具製造会社が数多くあり、シズオカ[KAGU]メッセ などの新作家具見本市が行われるなど、日本を代表する家具産地だ。

 さて、その産地のメリットとは何か。例えば産地で家具を購入することは、生活者にとってどんなメリットがあるのだろうか。家具にまつわる技術や素材や人材が豊富に備わっていることで、多彩な家具が、幅と奥行きをもって提供される状態であることが、ひとつの答えかもしれない。

 しかし、いま産地である地域は、その産物をどのように地域生活へ反映させているか、が問われている。例えば、優れた農産物を生産する地域が、単なる生産場所でなく、その産物を活かした地域特有の食生活をおくっているか、を生活者はしっかりと見ているのだ。

 家具は生活の道具であり、生活にとって家具はこうあるべきだ、という、いわば“家具道”のような流儀が産地に存在すれば、家具の価値はもっと高まるだろう。静岡市という家具産地は、そうした旧くて新しい概念をもとに価値観をリセットし、再主張をはじめなければならない。

■地域資源が、地域の生活に活きているか
■地域の個性あるライフスタイルが商品やサービスになる