自然回帰マーチャンダイジング

-地域-自然-デザイン-商品-生活-を繋ぐ遊び場・仕事場から

北海道がテリトリーになった~道東探訪

2011-06-29 12:03:02 | 自然回帰の旅
 昨年夏から、釧路市には小松正明さんが副市長として赴任している。静岡空港を使って訪ねてみようとしていたが、1年を経て実現に至った。

 掛川の事務所を16時30分に出発すると17時前に静岡空港へ到着。17時40分には飛び立ち、19時過ぎには千歳空港着。20時過ぎの特急に乗って、釧路駅に24時前には降り立つことができた。仕事を終えてから、その日のうちに釧路まで行くという実証実験のような旅だったが、地元に空港ができたことのメリットを実感する。以前、“北海道がテリトリーになった”という記事を書いたが、北海道に通えば通うほど、その広さに驚いている。昨年10年ぶりに再会した北海道の多田副知事は「面積でいえば、香川県の20倍だから静岡県でも10倍くらいあるでしょう」と言っていた。まだまだ知らない北海道がある。その意味では、今回“道東までテリトリーになった”というところだろう。

 翌朝、釧路空港に浜野安宏さんを迎えに行き、合流。小松さんご紹介のロコ・フライフィッシャー:早田さんと香川さんに案内していただき、阿寒川を目指した。阿寒湖の状況があまり良くないのと、この時期の阿寒川なら、クワヤマカクスイトビケラのスーパーハッチに出会えそうだということだった。

 阿寒川は、行き慣れたフリーストーンの川ではなく、豊かな植生に両岸を囲まれ、安定した水量を持つ美しい川だった。太陽がフッと隠れると、コカゲロウだろうか、たちまちハッチが始まる。安定的なライズもあちこちにある。ただし、フライフィッシャーの数も尋常ではなかった。阿寒湖のコンディションが悪かったのと、週末だからだろう。

 いつもとは勝手の違う釣りが要求されていることを承知しつつ、いつものソフトハックルの釣りが通用しないはずがない、とタカをくくって釣り上がっていったが、ウンでもスンでもない。すると早田さんが近づいて来て、「あのー、サトーさんは南アルプスの渓がホームグラウンドだから、流れの速いところを流してますね。この川の場合、例えばあの小さな流木脇の、さらに岸寄りかな。あるいはもっと際で、もっと浅くて、もっと緩くて、サトーさんからすれば、え?こんなところ?くらいのピンスポットを大切にやってみてください。私はさっきサトーさんがやっていたところで、50cmオーバーが出ましたよ!」やんわりと、流し方とスポットがズレているという指摘だった。阿寒川の流儀を大切にしないとアカン!のだと、釣り方もシステムもフライも変更。早田さんの言う通りを、さらに大げさに解釈してトライしてみたら、阿寒川のニジマスは、いともあっさり、バコーン!と迎えてくれた。しかも早田さんからいただいたこのフライに…。

 陽が傾きかけてきたころ、夕立のような激しい雨に遭遇した。この時期の北海道では珍しいことのようだ。そのおかげで、ロコ・フライフィッシャーたちとの会話時間は豊富になった。“旅人は、その土地のひとになり切りたい気持ちを持っている”この気持ちを顕在化するには、その土地のくせを知り尽くしたロコとの出会いが必要だ。今回、ロコの二人にもちろん釣り方指南を期待してはいたが、一年を通じた道東でのフライフィッシングの愉しみ方を車中/道中/食中/呑中/泊中でリアルに語ってもらったことが一番印象に残っている。つまり、二人のロコネタが、われわれの道東再訪のモチベーションを大いに高めたのだ。

 ロコによれば、7月と9月ならもっと面白い・・・らしい。


めぐみのみち めぐりのみち

2011-04-20 00:00:35 | 自然回帰の旅
 狩野川に関与するひとびとの、遊び・学び・繋がりを創造していく『狩野川倶楽部』という組織を立ち上げた1996年から、約5年間を事務局として活動したことで、ヨソ者ながら狩野川を自分の川のように付き合ってきた。

 2000年には、伊豆地域の観光再生を目的とする静岡県と伊豆地域の市町村が主体となった事業『伊豆新世紀創造祭』で、狩野川発のサイクルツーリズムを提唱し、狩野川沿いのルートを“コリドー狩野川”と命名。2ヶ月間に渡るサイクリングラリー、1年限定のコースサインの設置、狩野川100kmサイクリングというロングライド(2010年までに11回開催)をスタートさせた。それから10年。発足から14年。狩野川倶楽部は、さらに落ち込んだ伊豆地域の観光を新次元で再生するミッションを抱えつつ、昨年秋NPO法人となった。

 狩野川ブランドを創造していくためには、一定のテーマが必要である。ただ流域に存在するという理由だけで、参加可能なものであってはならない。地域に求められているのは既産業の進化と新産業の創造であり、地域の可能性を探るための実験要素を孕みながら、イノベーションまたはリノベーション型の事業を仕上げていくことである。そのためには、地域の個性を微に見つめなおし、その個性を顕在化し、その個性を活かせる技術を使って、新しい次元での情報交流と商取引を実現していかなければならない。 

 狩野川流域というエリアをステージとした事業を仕上げていくには、「山と川」がもたらす「土と水」の要素を外すことはできない。「土と水」がもたらす農のめぐみを体感し、「山と川」をゲレンデとした遊びを体験する。つまり、アグリツーリズム+リバーツーリズムを融合した新たな観光産業の創造である。

 そこでは、農産物や食材の生産履歴だけに限らず、あらゆる商品やサービスの正体を明らかにし、資源やゲレンデの成り立ちやコンディション、といった広義のトレーサビリティシステムを構築し、他にはない緻密で高品質なツーリズムを提供していく。観光カリスマに代表されるコマーシャルツーリズムは、既にマーケットからその存在価値を求められなくなっている。その意味からも、本事業を通して新次元のツーリズムを提供する“狩野川方式”の確立を目指すべきであろう。

 そこで、狩野川がもたらすめぐみを、地域生活者の普段の暮らしに享受できるしくみをつくり、 新次元の狩野川ライフスタイルを提案しようと、『めぐみのみち めぐりのみち』というポータルサイトをスタートした。 豊かな生活地づくりの実現から、魅力ある交流、価値ある産業を創造していきたいと考えている。


狩野川を、ロコカヤッカーと

2011-04-11 13:17:40 | 自然回帰の旅
 伊豆半島を北に向かって流れる狩野川。この川を観光商品化しようと2000年からリバーツーリズムのひちつのあり方として、狩野川のサイクルツーリズムの定着化に携わってきた。年に一度の、サイクリスト向けツアーイベントとして運営してきた狩野川100kmサイクリングは、今年で12年目を迎える。

 もうひとつのリバーツーリズムは、狩野川をメインゲレンデとするロコカヤッカーで、カヤックタパ自然学校を主宰する上野裕晃さんが提唱するカヤックツーリズムだ。

 狩野川は、上流・中流・下流と、正しい川の顔を持った類まれな川だ。落差があり、清冽な水が流れ落ちてくる上流。開けた河原に、深瀬、荒瀬、淵を交互に重ねる中流。豊かな水を湛え、ゆったりと蛇行して海へ注ぐ下流。特に中・下流にかけては、富士山を真正面に見据えた光景など、魅力あるカヤックゲレンデが拡がっている。

 この川は、春にカヤックで下るのがおすすめだ。この川を知り尽くしたロコカヤッカーをガイドに。首都圏のひとびとは、秩父・長瀞へとさかんにカヤックを愉しみに行くけれど、狩野川に目を向けてみて欲しい。極上のゲレンデと、面白いロコカヤッカーたちのライフスタイルと、伊豆ならではの美食がみんなを待っている。



わさび田のデザイン

2011-04-04 19:08:31 | 自然回帰の旅
 ここは天城湯ヶ島、狩野川の源流にある山本さんのわさび田だ。岩尾林道という森林管理署管理林道を走り、上流側からトロッコに載って降りていくと、こういう光景が拡がる。わさびの収獲、苗の植え付け、わさびをつかった調理と食体験という、わさびづくしのもてなしをしていただいた。

 伊豆に縁があって、いくつものわさび田を見て来たが、田に入ったのは初めてだった。わさび田に入って驚いたのは、水のみちの設計力、といえばいいだろうか。清冽な源流の水が、左右に広がる田を上から順に降りてくる。その複雑さは、水田の棚田の域を超えている。水の通りみちが、その場にあった石たちが複雑に組み合わせられ、田の水面も左・右・中で微妙な落差を保っている。さらには、ひとが田へ降りるみちも、自然石を使い独特の風情ある階段をつくっている。

 収獲したわさびの葉と茎をかじってみた。思わず「美味しい!」と言ったら、山本さんは「そりゃ、鹿しか食わんよ」と言う。すりおろしたばかりのわさびを手に取って食べてみると、ほのかな甘さが口の中にひろがった。焚き火を囲んで、わさびづくしの食事をいただく。すりおろしたわさびを鰹節と醤油でまぜ、黒米入りの炊き立てご飯にのせた“わさび丼”は、シンプルなのに奥深い、水のめぐみの味がした。

 

毎日が新しい日

2010-02-20 19:37:26 | 自然回帰の旅
 
 いつから、こんなに春の兆しを五感で体感できるようになったのだろう。毎年繰り返される2月の寒さだけれど、1月に較べて太陽が断然明るいことを嬉しく思う気持ちは、歳を追うごとに強くなっている。今日も、農道脇の大きな梅の木に花が咲き誇るさまを、心から美しいと感じて車を止めて見入ってしまった。

 春の兆しを感じられるのは、能力や感性ではなく経験や背景かもしれない。子供のころ、小学校へ通う道のりは四季を織り成すものばかりだった。この時期にはこの花が咲き、この季節にはこの匂いがたちこめ、この気温になるとあの鳥がさえずり、このころの夕暮れにはあの虫が飛ぶ、といったように自然時計が知らないうちに体内に埋め込まれてしまった。

 しかし、釣りや自転車から距離を置いてしまった20代のころ、その時計は眠っていた。おかしなもので、釣りがフライフィッシングに、自転車がロードバイクに代わり、自然の中に飛び込む機会が増えたとき、その時計はまた時を刻み始めた。

 早春のネコヤナギがどれだけ美しいか。梅の木の開花時に漂う香りがどれほど芳しいか。白梅と紅梅が並んで咲くコントラストがいかに美しいか。春を全身で体感するために、今、外へ出よう。今が、そのタイミングなのだ。イキイキした季節へグングンと向かう2月。この季節の変わり目こそ、四季の変化は劇的に起こる。

 今日咲く花がある。目の前を通り過ぎる幸運は、自分が出会おうとしなければ出会えない。忙しいとか、めんどうだ、などと言っている場合ではない。毎日が新しい日だ。新しい、面白い、美しい一日を、自分の意思と身体で創り出すのだ。

路地のまちの屋根

2009-07-03 00:22:56 | 自然回帰の旅

 京丹後の間人(たいざ)は、海に面した立体的なまちである。この屋根群を見てもすぐに想像はできないだろうが、このまちは屋根が整然と並んでいない。つまり、家の向きがバラバラである。曼荼羅的、とでもいえばよいだろうか。

 この曼荼羅的配置の家々を縫うように路地が巡っている。だから、細い路地を下っていくと、四差路が出てきたり、まるで庭先のような空間を通ったり、と遊び心をくすぐる仕掛けが満載である。しかも、これは意図したものではない。

 先週末の京丹後訪問時に同行したY川さんは、公道か民地かの区別を、下水道の蓋があるかないかで見分けていた。彼は、遠州横須賀の出身。間人の路地と民家群がいたく気に入り、約3時間でつぶさに路地を巡り、何度も訪ねているわれわれが気づかなかった木のベンチや、独特の雨戸システムを発見し、いたく感激していた。

 歩くだけで愉しく、見るだけで面白い。間人の魅力は、探せばまだまだ出てきそうだ。われわれが編集に携った“間人の人間になりきるマップ”片手に、このまちを一緒に訪ね、歩いてみないか。

互産互消

2009-06-29 20:47:54 | 自然回帰の旅

 京丹後に滞在中、何に驚くかといえば、さりげないけれど質の高い旅館の朝食だ。米、魚、野菜のすべてが驚くほど美味しい。例えば、朝食の魚は決まってカレイの干物。これが抜群に旨い。タケチャンファームの丹後米も、京丹後野菜も絶品だ。滞在中に観光協会青年部の皆さんが仕立ててくれたバーベキューでは、写真のカマスの干物が絶品だった。

 静岡に暮らすと、生しらすや鰹、鮪など太平洋の魚の美味しさに慣れ、農産物もそこそこのレベルにあるため、他県に比べて優位に食を愉しんでいるはずだ。しかし、である。京丹後で、ごく普通の食卓にのぼるであろう食材のレベルは、かなりのものだった。今回引き連れて行った仲間たち全員が、それを強烈に自覚した。

 ところが、日本食の最後の〆はお茶になる。これだけは確実に、静岡、しかも掛川に優位性があった。美味しいお茶があって、日本食は完結する。この京丹後の食材と掛川の緑茶を組み合わせればどんなに素晴らしいことか。

 逆に考えれば、お茶のマーケットはまだまだ日本にあるということだ。全国津々浦々に、まだ美味しい緑茶が供給されていないのが現実である。これは静岡の茶商たちが、売りやすいところ、大量に流通できるところへしかお茶を供給していない証でもある。これだけ格安に情報の交流が実現し、物流コストが抑えられ、ワン・ツー・ワンマーケティングが可能な時代になったというのに、ピンポイントのマーケットをおろそかにする茶の商いは、時代錯誤も甚だしい。

 京丹後とつきあってみて「地産地消」から『互産互消』という言葉が浮かんできた。地産地消はマーケティング用語となって一人歩きしている。しかし、食のすべてが揃う地域など希少だ。ないものは、ないのである。組み合わせて、交流して、豊かな食生活が実現できるならこれもまた素晴らしいことではないか。行政のいう姉妹都市交流よりも、互産互消の姉妹都市交流を実現していくことが、旧くて新しい、有意義な地域交流のカタチになるはずだ。

初夏の京丹後へ

2009-06-29 10:12:14 | 自然回帰の旅

 先週末、シーカヤックゲレンデとしての可能性調査を主眼に、みんなに京丹後の魅力を体感してもらおうと2日間のツアーを組み、間人へと向かった。初冬から春にかけての訪問ばかりで、初夏の間人訪問は初めてのことだった。

 到着早々、まずは「ひさみ」のランチで一行9名は盛り上がっていた。それもそのはず、早朝に間人へ到着していたカヤックインストラクターの上野裕晃さんは、朝9時に電話をかけてきて「一体何ですかここは。海も路地も人もめちゃくちゃ面白い!」と既に興奮気味だったのだから。

 午後からは、カヤックの積み下ろしがしやすい浜を探し、観光協会青年部の皆さん約10人にシーカヤックを体験してもらった。竹野川河口にそびえる立岩、青く澄み渡る丹後の海、水面から見える立体的な間人の街並、河口上流部すぐに拡がる里山、すべてこの地の大いなる風景資産だ。青年部の皆さんは、やはり海の男ばかり。すぐに要領を覚え、わざと沈するツワモノまで現れた。

 間人といえば間人カニ。高級食材の間人カニを食べに、11月から3月までは近畿はもとより中京、関東からも一泊二食五万円也のお金を払いながらここへやってくる。ところが、オフシーズンには海水浴シーズンを除けば、旅のモチベーションを上げられない、と地元の方は口々に言う。しかし、あるではないか。このシーカヤックを満喫できる美しいゲレンデが。里山と海が近接し、農の営みと漁の営みが融合した風景が。ごく普通の野菜、米、魚のとびっきりの美味しさが。

 海のフライフィッシングの可能性も確かめてみた。約2時間で2匹のカサゴがフライをくわえてくれた。これも新しい遊び方の提案だ。シーカヤックとフライフィッシング。こうしたクワイエットスポーツを愉しむ地元人が、ぜひとも現れて欲しい。

1300年の旅

2009-05-27 23:13:00 | 自然回帰の旅

 ライフスタイルデザインカレッジのプログラム「ハーフデイトリップ」は、文字通り“半日の旅”だ。自らの生活地を旅する場として捉え、資源を資産へと変えていこうと、昨年7月から5つの旅を提供してきた。

 日本の端っこではなく、ほぼ真ん中に位置するこの地には、多くの地域資源が埋もれている。自然と人との関わりが見える風景。時間が止まったままの空間。農の営みがつくる美しい里山。日々の生活の中に、選りすぐったかのようなロケーション、大切な価値が数多く存在している。何気ない日常にある生活を変える大切な時空を、このまちに暮らす人へ提案してみた。

 川への旅~川を眺め、水に浸り、魚を採る
  日時:7/5(土)8:00~13:00  旅先:原野川中流・上流
  講師:小川博彦さん(カメラマン、フライフィッシャー)
 石との旅~土に触れ、化石を掘り、想いを巡らせる
  日時:9/6(土)8:00~13:00  旅先:掛川市飛鳥
  講師:鈴木政春さん(静岡県地学会会員)
 星への旅~空を眺め、星を観て、想いを馳せる
  日時:11/1(土)16:00~21:00  旅先:掛川市五明
  講師:西村栄男さん(天文家)
 鳥との旅~里山を探り、空を探り、鳥を追う
  日時:1/31(土)8:00~13:00  旅先:磐田市桶ヶ谷沼
  講師:山崎孝弘さん(日本野鳥の会・静岡県支部)
 樹への旅~山を登り、森を歩き、巨樹に触れる
  日時:5/9(土)8:00~13:00  旅先:森町・浜松市春野町
  講師:中山高志さん(森林インストラクター)

 5月のファイナルプログラムは、樹齢1300年という春埜山の大杉に会いに行った。以前も書いたが、この樹へ案内したほとんどの人が「!」「?」だったが、今回もまた然り、だった。1300年もの年月、この樹は生きてきた。樹高43m、幹周14m。時間とお金をかけて屋久杉を見に行く前に、静岡県でこれだけの杉に出会えることをどれだけの方が知っているだろうか。この美しい生命に出会う旅は、自分で自分の生活をクリアに見直すための大切な時空だ。

 自らの足で巨樹を見に行くという行為は、自然を畏れ敬うための巡礼ではない。人生や愛、原風景やロマンを自然に求めることでもない。いつまでたっても自然の中は遊び場だ、と言い切れる大人が、驚き(!)と好奇心(?)を満たす場所に立ち入るための作法、と言えばよいだろうか。

緑、緑、緑

2009-04-24 23:20:34 | 自然回帰の旅

 桜の花が終わると、瞬く間に緑が増殖してくる。見事だった桜並木は、ことごとく若葉の木立の連なりになった。早春から晩春へ、スピーディーに季節は移る。

 あたりが緑色に溢れる前、枯れた草木がまだ残る早春の路地に見つけた、小さな緑の草花の美しさ。この草は何と言うのだろう。京丹後市間人の、入り組んだ路地の傍らに見つけた、名もない小さなこの草が、今年一番の新緑だ。

間人の人間~たいざのひと

2009-03-20 15:26:08 | 自然回帰の旅
 
 京丹後市間人(たいざ)へ、今年になって2度目の訪問を終えた。いま、“間人の人間になってみる”というツーリズムコンセプトに基づいたマップづくりをすすめている。今回は、登場いただく方を取材し、路地を中心とした地域資源をあらためて確認してきた。

 いつもの観光協会青年部の面々に加え、いわゆる間人の“ロコ”にたくさん出会い「人間はこうでなきゃ」と感じ入ることばかりだった。初対面のわれわれに、ここまで肩の力を抜き、屈託ない笑顔と本音の会話で接してくれる地域と出合ったことがない。路地を歩き、ふと出遭った地元のひとと、ここまで会話を弾ませることができる土地は、他に知らない。

 ツーリズムコンセプトに確証を持つことができた今回、もうひとつの収穫は、間人の海がシーカヤックに向いていそうなことだ。この写真を見て欲しい。すぐにカヤックを滑りださせることができる傾斜のゆるい浅瀬、美しい入り江、穏やかな海面。地元では、シーカヤックを浮かべている人を見たことがないらしい。沖縄まで行かなくても、この海でシーカヤックを漕ぎ出すことに、高い価値が見い出せそうだ。

数字の妙

2008-12-04 20:01:39 | 自然回帰の旅

 金刀比羅宮参りには、785段の石段が待っている。その785段を踏みしめて登るプロセスは、飽きないほどに多彩な空間が待ち構えていて面白い。参道が適度に折れ曲がり、次の空間は丸見えではなく、チラリズムの中にある。
 
 この写真は365段めにある大門から階段を見下ろした光景だ。1年365日を思い出させるように、365段めのアクセントポイントがある。そして、前述した資生堂パーラー「神椿」は、キリ良く500段めにあった。途中、“ここの階段は女性の厄除け階段で、このブロックだけで33段”とガイドが解説していた。

 プロセスとともに存在する数字が妙に気になった。リズム、キリの良さ、配列、見た目。数字が持つ美感、とでもいうのだろうか、並べ方の美意識を感じる。お百度参り、二礼二拍手一礼、などもまさに数字の妙だ。

500段めの陶板画

2008-11-21 21:17:13 | 自然回帰の旅

 6年ぶりに四国へと足を運んだ。その理由はまた明らかにしていくが、初めて金刀比羅宮参りをすることができた。そこで見つけたのがこの巨大な陶板画。見たことがある。記憶がフラッシュバックし、テレビの美術番組だったことを思い出した。

 美術家の田窪恭治氏による全長25メートル、高さ6メートルの椿の壁画に囲まれた空間「神椿」。なんと資生堂パーラーがサービスを提供するカフェ&レストランだった。本宮まで785段の石段のちょうど500段め。江戸時代から休憩施設の茶屋があった場所。ヤブツバキの群生とともに、この巨大な陶板画がある。

モコモコ ブーム

2008-11-11 21:57:55 | 自然回帰の旅

 掛川市の旧大東町土方地区は、隆起したであろう「山」とも「丘」とも違う、こんもりした小山=モコモコが無数に点在し、独特のユルユルした地形をつくっている。これは、いわば自然が創り出した象徴的な造形物でもある。

 地域のひとびとは、その上で、またはその中で、暮らし、商い、農耕・生産を営んでいる。歴史をひもとけば、大きなモコモコのてっぺんが城であったり、水源であったり、墓であったりと、人の営みに大きな影響をもっていた。この自然の造形・地形が、原風景的懐かしさを憶え、五感に馴染むことを、あらためて実感している。

 このモコモコを使ってCMを撮影してみた。景観講座の題材にしてみた。この、たった標高10mにも満たないモコモコに登ると、不思議なことにみんな笑顔になる。モコモコのてっぺんに登って、いい顔をして遠くを見渡している。大東地区では、このモコモコを使って、2009年の静岡国民文化祭に参画することになった。いま、モコモコがちょっとしたブームになりつつある。