りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

検索、ねずみ小僧

2019-12-27 02:48:53 |  日 記 

オザワくんの「So kakkoii 宇宙」について、思いついたことを

あれこれ書いているのだけど、歌詞の一節の気になるところ、

例えば「高い塔」なら「ねずみ小僧が住んでいたという橋のあたり」とか、

アタリはつくんだけどホントのところはどうなのさ?って、

それじゃちょっと検索、っていうようなことをたくさんやった。

 

wikipediaに載っている情報はあんまり面白くない。

でも、「ねずみ小僧」なら、人形町あたりで生まれて、お父さんは歌舞伎関係者で、

どういうわけか捕まって、処刑されて、その後に

歌舞伎の演目になっちゃうっていうのは、なんというか、

いかにも!って感じがする。

 

「ねずみ小僧が住んでいた」場所というのは諸説あって、

というか、そもそもひとつところに長くいることはなくて、

転々と棲家を変えていたらしい。

リアルな泥棒の姿なんて、あんまり面白いものではないけれど、

これが「義賊」というイメージを纏うと、俄然カッコよくなってくるから不思議。

「願望」の方が、史実とされていることよりも、よっぽどリアルっていうのは、

それだけ「願望」が具体的ということか?

 

「義賊」と言えば「石川五右衛門」か「ねずみ小僧」が決定版!のはずだけど、

五右衛門の実際に較べると、ねずみ小僧の実際は

なんとも哀れなほどのコソドロ感が満載。。。もっとも、ホントのところの

詳しい事実ってことになると、両者ともにあやふやなまま。

しかしながら、人々のイメージ、というか願望は

泥棒にある種の救いを見る。

さらには美学まで、美しさまで被せてしまう?!

そうなのか。。。 

願いや祈りの方が大事なのだ。

そこに美しさを込めるからには。

 

 

 

 

オザケンの宇宙論

「高い塔」に吼える?/オザケンの宇宙論(2)

「フクロウの声」と「大きな魚の水音」から「宇宙の力」へ/オザケンの宇宙論(3)

言葉と音の匂い/オザケンの宇宙論(4)

「橋」がつなぐ/オザケンの宇宙論(5)

連想を呼ぶ/オザケンの宇宙論(6) 

 

 

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