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ハーバード白熱教室のサンデル教授が原爆投下との関連で語ったこと

2010-09-07 20:36:50 | Weblog

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目 次
 はじめに
 1.特別講義の中で交わされた謝罪の是非の論議
 2.市瀬キャスターのインタビュー
 おわりに
 参考資料
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はじめに
 今年4月からNHK教育テレビで12回にわたり放送されたハーバード白熱教室では、政治哲学のマイケル・サンデル教授が実生活の様々な局面で「正義」とは何かについて学生達の議論を触発する講義で、大きな反響を呼びました。そのサンデル教授がこの8月に来日し、25日に東京大学安田講堂で全国から抽選で選ばれた1100人の聴衆の前で特別講義を行いました。それについては種々のマスメディアでも既に報道済みですが、ここでは翌26日にBS1のきょうの世界で紹介された中から、サンデル教授が原爆投下に関連して特別講義の中で触発した議論と、番組市瀬キャスターのインタビューで語った見解について触れて見たいと思います。

1.特別講義の中で交わされた謝罪の是非の論議
 サンデル教授は、原爆投下についてオバマ大統領は日本の人々に謝罪すべきかどうかを挙手で答えさせたところ、意見が割れました。発言を指名された学生の意見は次のようなものでした。
学生Aの意見の要約「問題なのは、生まれるところは選ぶことができない。選ぶことが出来ないのに謝罪を強制されることに問題がある。自分のしたことに責任を持つのは当然だが、自分の関われない所の問題に責任を持つのは、やはり納得が行かない。」

この発言に対して、サンデル教授は次のように問いかけました。「私達は自分の意思で取った行動についてのみ、責任をとればよいのでしょうか。それとも、過去の世代の過ちに対しても、道徳的責任を負わなければならないのでしょうか。私達はこの点を考えないといけないのです。」

別の学生が次のような見解を述べました。
学生Bの意見の要約「世代を越えても責任を取るべきだ。戦争とは国と国との戦いであるが、もっと小さなコミュニティー(註:地域社会とか共通の利害を持つ集団を意味する)を考えた時、ある会社で起きた不祥事が、担当者が代われば済むかということだ。関わった人が死んでもコミュニティーは続く。コミュニティーが続く限り、もしくは相手が納得するまで、責任を持たなければいけない。」

サンデル教授は彼に更に問いかけました。「オバマ大統領は原爆を落としたことについて謝罪をすべきだと思いますか?オバマ大統領がその道徳的責任を表現するならば、最善の表現はどういうものになると思いますか。」

これに対する学生Bの発言の全文は以下のようなものでした。
「謝罪は当然すべきだと思います。彼が核の脅威を無くそうと言うのならば、コミュニティーが続いている限り、核の脅威を最初に示した国がそれをちゃんと説明しないと、核の脅威そのものに対する説得力はなくなるので、過去の過ちは過去の過ちだったことを認めて、だからこそ新しい世界を作る義務があるのだと、彼らにはそれを言う権利がある。だからそのような形で考えて行けば、オバマ氏は核をなくすための素晴らしいリーダーとなり得ると思います。」

聴衆から拍手が湧き起こりました。サンデル教授は次のように結びました。
「このような考え方、議論の仕方、論争の仕方、お互いの意見が違ったとしても耳を傾け、お互いから学び合うこと、これはこの安田講堂の外でもできることではないでしょうか。どう思いますか。私はそのように希望しています。皆さんと一緒に正義について考えることができてとても嬉しいです。本当に有難うございました。」

2.市瀬キャスターのインタビュー
 市瀬キャスターはインタビューの冒頭で、今、正義について議論する理由は何かを問いました。サンデル教授は、人間が互いに尊重しながら生きてゆくためには、道徳的に正しい生き方が必要であり、道徳的に正しい生き方は何かを判断する上での原理・原則として正義の重要性を説きました。このような論議を背景に、市瀬キャスターは原爆投下の問題を切り出しました。以下は番組で交わされた論議です。

市瀬キャスター「道徳的に正しいことは何か、その議論を聞いて疑問を持ちました。広島への原爆投下の問題です。あなた自身は原爆投下についてどう思いますか。」
サンデル教授「これは20世紀の歴史の中で最も悲惨な出来事の一つだとは思いますが、原爆の投下が正当化されるかどうかはとても難しい問題です。しかし今年アメリカの駐日大使が初めて広島の平和式典に出席したことは、非常に良いことだったと思います。オバマ大統領も将来広島を訪れる可能性を示しました。本当にその意思があるならば、それは原爆投下に対する嫌悪を感じているということであり、和解に向けた第一歩だと言えます。日本側にとっては、原爆投下を招いてしまった責任を認識するチャンスでもあります。過去の出来事であっても、責任は私達全員にあります。公平な解決策は互いに謝罪をし、和解に向けた対話を進めることです。」
市瀬キャスター「しかし原爆投下そのものは正当化されますか」
サンデル教授「それは難しい質問ですね。私は明確で決定的な答えを持っていません。原爆の投下は不当な行為です。それによって日本は本土決戦を免れ、日米双方で多くの命が救われたと言います。日本とアメリカがまずすべきことは、歴史の責任をきちんと認識することです。そして相互に謝罪し、和解することが重要だと思います。」

おわりに
 サンデル教授は、原爆投下の正当性や謝罪の是非について明確な見解を示しませんでした。もどかしさを感じた視聴者も多かったかもしれません。アメリカが多数の被災者を生んだことへの罪悪感を逃れるために、戦争を早期に終結するための必要悪とみなす傾向が強いとの見方もあります。広島原爆投下後、当時のアメリカ大統領トルーマンが「我々は大きなギャンブルに勝った」と言ったように、アメリカ側に開発した新兵器を使ってみたいという誘惑もあったことでしょう。しかしながら、サンデル教授が言うように、それによって日本は本土決戦を免れ、日米双方で多くの命が救われたことは否定できません。日本は南太平洋の島々や沖縄での無謀な戦闘、イスラム過激派戦士の半世紀も前を行く特攻作戦で多くの兵員を死地に追いやり、たび重なる本土空襲による被害にも拘らず、偽りの戦局情報を流して本土決戦を鼓舞していました。
 教育テレビで放送された講義では、サンデル教授はもっと身近に起こり得る様々な問題で、何が道徳的か、何が正義かを学生達に問いかけ、議論を触発していました。しかし議論の目的は相手を論破することではなく、問題に対する理解を深めることにあったと思います。原爆投下についてもその正当性の論議に終始するのではなく、それに至った歴史を正しく検証し、決して使用せず廃絶を目指すべく相互理解を深めて行くことが大切でしょう。
 このブログで度々紹介している仙台の平和七夕は、35年前に20数名の市民達が2000羽の平和を願う折り鶴を飾ってスタートしましたが、今年は全国各地から核兵器のない平和な世界を願って100万羽以上の折り鶴が寄せられ、少数ながら海外からも届きました。七夕祭りの盛況ぶりはこちらのサイトでご覧いただけます。この市民グループが今春立ち上げた平和七夕のブログも最近では折に触れて記事が更新され、低俗なコメントやトラックバックも削除されるようになりました。時々訪問して見て下さい。

参考資料
サンデル教授の著書:『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』(鬼澤 忍訳、2010年早川書房、¥2415)
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