COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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故内橋克人さんマネー資本主義に替わるFEC自給圏を提唱

2021-10-20 19:12:54 | Weblog

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2021年9月23日、NHK総合テレビで同月1日に亡くなった内橋克人さんの追悼番組が放送されました。広く大勢の方々に知っていただきたい内容でしたので、私ができる限り聞き取った内容を記載しました。


濱中博久ナレーター「9月1日、鎌倉市内の病院で経済評論家として活躍した一人のジャーナリストが亡くなりました。内橋克人さん、権力におもねらず、弱い人の側に立ち続けた89年の生涯でした。人間復興の経済を掲げ、貧困と格差を拡大させてゆく現在の資本主義と市場経済を、市場原理至上主義と厳しく批判しました。内橋さんは人間の幸せを中心に据えたもう一つの経済、もう一つの世界は可能だと訴え続けました」。

内橋「絶えずですね、人間が主語でなければならない。人間が主語であるという経済学は可能かです。既存の経済学に挑んでね、現在の日本、社会、或いは世界を救うことはできないと思っているんです。まあ、非常に生意気な言い方なんですけどね、新しい経済学、もう一つの経済学、もう一つの日本が必要ですよ」

濱中「内橋さんは常に現場を歩いてきました。自分の目で確かめることを自らに課し、人々の声に耳を傾けました。今日は残された映像をもとに、内橋さんの歩んだ道を振り返っていきます。

【スタジオで】


三宅民夫アナ「私たちに多くの言葉を残して逝かれた経済評論家の内橋克人さん。お会いすると何時でも背筋の伸びる思いが致しました。スタジオには内橋さんと生前交流のあった経済学者の神野直彦さん【幸福と悲しみを分かち合う経済学を提唱、政府税制調査会会長代理】においでいただいております。神野さん、内橋さんが亡くなられましたが」。
神野「内橋さんはあの真理を伝えるジャーナリストとしてですね、情熱を燃やすとともに、人間としても真実に忠実に生きようとした人物ではないかというふうに思っています。それで内橋さんは常にですね、人間の幸福は何なのだろうかという根源的な、本質的な問いを発しながら、それぞれの時代の経済政策について批判をしてきたというふうに思います。それで人間は本当に幸せになるのかという根源的な問いを発しながらですね、異義を申し立ててきた方だというふうに考えています」。
三宅「では内橋さんの生涯と残されたメッセージを映像で振り返っていきます」。
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濱中「昭和7年神戸市に生まれた内橋さん、13歳の時に神戸空襲を体験した昭和一桁世代です。昭和32年大学を卒業後神戸新聞に入社、10年間の記者生活のあとフリージャーナリストに転身します。経済評論家内橋克人の名声を一挙に高めたのは、昭和53年に発表された「匠の時代」でした。日本の製造業を担う技術者、技能者が製品開発に骨身を削る姿を描き、ベストセラーとなりました。当時高度成長の時代が終わり、オイルショックと円高で苦境に立たされていた日本経済、内橋さんはその復活の鍵を握るのは、日本の技術開発力だと主張したのです。ところがその4年後、内橋さんは一転して日本の技術開発力に疑問を呈する著作を発表します。「幻想の技術一流国ニッポン」、高度成長の時代に積み上げた技術に胡坐をかき、人材の育成や基礎研究をないがしろにし始めた日本企業に、今度は警鐘を鳴らしたのです。

【2011年NHK番組百年インタビューから】
三宅「この匠の時代が出て数年後に幻想の技術一流国ニッポン」。
内橋「あらゆるメディアがね、技術一流国日本、アメリカを超えた、ヨーロッパを超えた、恐るべきものは何もないと、こういう論調になっていくんですよ。日本天国論、日本は天国であって。で、私は現実に技術者、技能者に会ってますから、良心的な方は言うのですよ、これは危ない、これは危ない。例えば半導体、あのういわゆるDRAM(記憶装置)というふうな単純な半導体ですよね。で、アメリカをDRAMの分野において、普通の半導体において凌駕することができました。その間アメリカは何をしてたか、CPU(中央演算処理装置)とかMPU(超小型演算処理装置)とか、あの頭脳を持った半導体なのですよ。こういうものにどんと飛翔していったのですよ。それを研究者達は知っていた。技術者たちは知っていた。知らないのはね、一般の日本人だけなんですね。或いは煽っている人達」。
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濱中「内橋さんの心配どおり、技術立国日本に陰りが見え始めた頃、マネー資本主義が台頭します。1980年代後半、日本社会はバブルに踊りました。投機が投機を呼び、株と土地が急騰しました。そして90年台初頭バブルが崩壊します。この時不況から脱出する手立てとして打ち出されたのが規制緩和、民営化、金融の自由化などでした。派遣労働者が働くことのできる業種を拡大する労働者派遣法の規制緩和、スーパーの出店を容易にする大規模小売店舗法等の規制緩和、殆どの論者がこの動きを支持する中、内橋さんは独自の論を展開します。こうした改革はマネーの動きを活発にさせるかも知れないが、働く一般の人々の利益には繋がらないのではないか。特に内橋さんが気にかけたのは、若者達の未来でした。当時増えていた一日契約で働く若者達、携帯電話で仕事を探し、一日単位で働く新しい働きかたでした。企業は人材サービス会社と契約を結び、必要な時に必要な数だけ一日契約で人を確保。こうすることで企業はコストを削減できます。内橋さんは若者の働き方についても警鐘を鳴らし続けました。

【2002年NHKクローズアップ現代の場面から】
内橋「技能とか技術はですね、ある程度の期間ですね、その仕事に習熟をして行く、そして習熟してまあ自分のものに完全にしてしまってからですね、そこに能力或いは独創力、創造力、そういうものを発揮するというね、余地が生まれてくるわけですよ。だがそれを細切れにしてしまってね、それだけの想像力、競争力がでてくるかという、そこが一番大きな問題ですね」。
国谷キャスター「こうした働き方が広まる抵抗がある中で、何が問われていると思いますか?」。
内橋「結局ですね、厳しい経済状況の中で、働く側の権利というものがね、どんどん譲歩させられていると思うのですよ。一体どこでね、立ち止まるのか、その基準とは何かといえば、働くというのはね、やはり人間の尊厳を守るということなのですね。ですから尊厳ある労働ということ、これは国際的にも叫ばれているけれど、それを割り込まないというね、そこが国民的な議論の場にね、やっぱり持ち出す必要がある。そういう時期に来ている。まあ分かれ道に来ていると言ってよろしいのではないかと思うんですね」。
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濱中「90年台後半以降、派遣やパートで働く非正規労働者が増えていきました。内橋さんは、労働規制の緩和などによって正社員が減り、非正規労働者が増えていることが未来に与える影響に危機感をいだいていました」。

【2001年クローズアップ現代の場面から】
国谷キャスター「これをだからパートタイマーがこういって増えていくことを大きくとらえてみますと、どういうことになると思いますか?」。
内橋「これで行きますとやはり所得は少なくなる。そうすると例えば賃金が減るからマイホームを持たなくなるし、消費もなかなかですね、回すことができない。そうすると景気が悪くなってくるということになりますね。それをマクロで見れば日本経済全体としてですね、このまま放置していいかと、こういう問題がでてくるんではないでしょうか」。
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濱中「2008年に起きたリーマンショック、この時内橋さんが懸念した通り、日本企業は一斉に派遣切りに踏み切ります。年末の東京日比谷公園で開かれた年越し派遣村では、仕事も住まいも失った人々が押し寄せました。内橋さんはこの頃、マネー資本主義が猛威を振るう中で、日本に新たな貧困が広がっていると指摘しました。働いても働いても貧困から抜け出すことができないワーキングプアの存在です」。

【2000年 NHKスペシャル ワーキングプアIIから】
内橋「結局勤労、働くということにね、どう報いるのかということがその国のね、本質を物語るわけです。このまま行きますとね、やっぱり生活するのに必要な最低限の収入さえ得ることができない勤労者、働く人ですね。マジョリティーになる。多数派になる。私はまあその心配をいうたびにですね 貧困、マジョリティー、少数派ではない、貧困者は多数派になりますよ。そんな国がどうして豊かな国と言えますか?」。
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濱中「常に立場の弱い人の側から発言し続けた内橋さん。その根底には異議申し立てが許されず、盗聴を強いられた戦争の時代への嫌悪がありました。早くに母親と死別していた内橋さんは13歳の時、神戸空襲で母親代わりだった親戚の女性を亡くしています。避難していた防空壕が爆弾の直撃で崩れてしまったのです」。

【2011年NHK番組百年インタビューから】
内橋「左肩に直撃を受けてね、でしかも崩れていますから防空壕がね、お墓になっちゃったんです。兵隊に行く人でね、旗振って送って行って、襷をかけて出かけて行く若い兵士となって、召されていくわけですよ。で、万歳万歳という軍歌を叫ぶ。けれどもね、そのお母さんがね、その輪の中で泣いている。だからね、戦地へ行って死んでおいでと言うお母さんは本当にいたのか?私ねえ、信じられない」。
三宅「それがなかなか出せない。」
市橋「結局、異論、異義ですね。デセンター、つまり異議を呈する者をね、抹殺していく。認めない、それがね、これはあのう亡くなった久野収さんがね、conformismというのをね、頂点同調主義というふうにね、あのう訳していらっしゃるんですね。自ら進んで天辺にね、合わせていく。そしてもうひとつがね、herdingという、まあ群衆心理という意味ですけれど、同質化していくんですよ。同じ質になっていく。人と違った存在、違ったことを言う異質というものをね、恐れる。この二つがね、もう戦前からの私たちのね、いわば心の中にしみこんでしまった体質。これが戦争というものを食い止めることもできなかったし、そしてそれが戦後もね、生きている。ずーと続いている。敗戦を境にして新しい社会が生まれたなんてね、私は思いません。戦前から続いている。私はそれがどんなに危ないかっていうね」。
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【スタジオで】
三宅「内橋さんは一貫して弱い立場の人たちの側に立って、異議を唱え続けるんですね」。
神野「千万人といえども我行かんというような強いこう、凛とした意志に基づいて異議を申し立てていらっしゃったというふうに思います。内橋さんは現場を観察し、取材し、真実はなにかということを探るわけですけれども、その時に内橋さんはですね、この社会の真実を見抜こうとすれば、この社会の最も弱い立場の人、最も虐げられている人の目から見れば、この社会の真実が見えてくる。従ってそういう人の立場から自分は発言しているので間違いないのだという強い確信があったというふうに思います。内橋さんの考え方の基本にあるのは、生命主義というのでしょうかね、人間の社会で最も大切にしなければならないのは人間の命だ。経済というのは人間の命を守るためであるのであって、経済のために人間の命があるのではない。従ってその人間の命を排除してしまうような経済は特に厳しく批判してきた。同時に内橋さんはですね、単に状況を分析しているだけではなくて、そこから抜け出して新しい社会を築いていくビジョンを提示したというふうに思います」。
三宅「それではその内橋さんが私たちに残してくれた未来の日本社会のデザイン、それはどんなものなのか御覧いただきましょう」。
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【FEC自給権の提唱】
濱中「内橋さんの描いた未来の日本、それは農村や漁村を主役に据えた新しい社会です。内橋さんは地域での食料自給をベースに、付加価値の高い農作物を作る農村の実現を提唱しました。そのモデルとなる大分県日田市大山町の直売所では、毎日農家が野菜を並べます。更に農作物を作るだけでなく、梅などを農家らが加工して、消費者に直接販売しています。生産、加工、販売のすべてを農家が行うことで、高収入を得ることができます。内橋さんはこうした農村が全国に広がれば、農業は未来の基幹産業になりうると主張しました。そしてもう一つの基幹産業がエネルギーの地域自給です。内橋さんは北欧のデンマークのように、市民が共同で出資して地域ごとに再生可能エネルギーを発電し、利用する社会の実現を提案しています。日本でも地域でのエネルギー自給を目指す取り組みが始まっています。内橋さんが注目したのは、滋賀県東近江市を中心とする菜の花プロジェクトです。農家と地域住民が連携し、菜種を絞って食用の菜種油を生産しています。家庭で調理に使った後の油を回収し、集めた廃食油は精製し、バイオディーゼル燃料に精製します。内橋さんは菜の花からエネルギーと食料を取り出すこの取り組みに、大きな可能性を見出していました。更に内橋さんは、介護や医療も基幹産業になりうると言います。手厚い介護や医療は多くの雇用を生み出します。コロナ禍を体験した今、こうした命を守る産業の重要性が高まっていると内橋さんは指摘していました。FoodのF、つまり食料、EはEnergy、再生可能エネルギー、そしてCはCare、介護、医療、福祉。内橋さんは人間の生存に欠かせないこの三つを地域でまかなって行くFEC自給圏を提唱、これを現在のマネー資本主義に対抗する新たな経済のモデルとしたのです」。



【2011年NHK番組百年インタビューから】
内橋「人間の生存条件を有利にして行くためのね、新しい新しい21世紀型の本当の産業でね、私は必要だしまた当然生まれてくると、こういうふうに信じているんです。しかもその非正規雇用とか正規雇用とかいうね、労働のま言えば分解、解体ではない、新たな働き方、生きる、働く、暮らすというものを統合できる。それを成し遂げなければ100年先ね、本当に日本社会、私健全な姿でありうるのかね、どうかそれをあのう恐れるという気持ち、これは申し上げておきたいと思いますね」。
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【スタジオで】
三宅「内橋さんのFEC自給圏の構想、神野さんどう御覧になりましたか?」。
神野「FEC自給圏という内橋さんの思想はですね、新しく築いていく社会の在り方を明確に議論として示して貰っていると思います。それは二つの内橋さんの言葉を使えば、共生が実現している社会だというふうに思います。それは人間と人間が共生している、それからそのことによって人間と自然も共生している、そういう社会こそですね、ポストコロナの社会として目指すべき社会なんじゃないかというふうに主張されているのだろうと思います」。
三宅「内橋さんはこのFEC自給圏の構想を、マネー資本主義に対抗する経済の新たな考え方として唱えていらっしゃったということですね」
神野「結局市場ということを野放しにしてしまうとですね、人間と人間との関係、人間と自然との共生という、いわば人間が生存していくための条件をこわしてしまう。で、市場というのはそもそも、人間が主語だとおっしゃってましたが、人間が利用するものであって、人間がコントロールすることをしておかないと、市場は人間の生存条件である二つの共生を崩してしまう。これをもう一回再創造していこうとするのがFEC構想だと思います」。
三宅「これを生かしていくために、私たちはこれから何をしたらいいのでしょうかね?」。
神野「内橋さんがもうなにもいな言えない訳ですから、生き残った私たちがその志を引き継ぐとすれば、多くの人が知恵を出し、討論、議論を積みながらですね、FEC自給圏を手掛かりにして未来社会を築いていく、そういう営為や努力が必要なのではないかというふうに思います」。
三宅「有難うございました。では最後に、今からちょうど10年前、内橋さんにお話しいただいた未来へのメッセージが残されていますので、それをご覧いただきたいと思います」。
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【未来へのメッセージ】
内橋「戦前と戦後は違うと思い込んでいると思います。けれどもですね、私はたとえばお上ということ、ま頂点 これにですね、人々が疑問を呈する勇気がなくて、同調していくという頂点同調主義ですね、この観点から見る限り私たちの社会はね、戦前戦後変わっていない。若し頂点、天辺に自分を合わせていって自らを主張できない、自立できない、そういう人々の群れであり続けるならば、私は100年後も変わらないし、私たちを見舞うリスクとか危険はですね、もっと厳しいものになっているだろうと思います。一人一人がきちんと自分の頭で考え自分の足で立つという、そういう日本人に変わって欲しいという、そういうメッセ―ジ、熱烈な希望ですね。それをお伝えしたいと、こういうふうに思います」。

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