人生は交渉の連続

あなたは、日常どのくらいの頻度で「交渉」をしていますか?

交渉と聞くと大げさなことに感じるかもしれませんが、同僚や部下に仕事を依頼したり、自社の商品やサービスを売り込んだり、クレームに対応したりなどといったビジネスの現場だけでなく、家事を頼んだり、小遣いアップを打診したりなどプライベートの現場でも、人生は交渉の連続です。

そんな交渉をうまく進めるにはどうしたらいいでしょうか。書店に行くと「交渉術」について書かれた本はたくさんあります。これらの本の多くは「ハーバード流」とか「ユダヤ式」といった欧米流の思想や発想をベースに書かれています。その基本は対決であり、戦いです。「相手を出し抜くテクニック」を堂々と教えていますし、ユダヤ式では「人はつねに醒めた合理主義者であれ」と説いています。

しかし、相手を打ち負かして自分だけが勝つ交渉は、本当にいい交渉ではありません。拙著『本当に賢い人の丸くおさめる交渉術』でも述べていますが、それは相手の恨みを買ってしまうからです。

弁護士として若いころ、裁判で勝利を重ね、ひとり悦に入っていた私は、ある日クライアントがあまり喜んでいないことに気づきました。裁判で勝っても相手の恨みを買うと、全面解決とならず、いがみ合いが続いてしまい、報復合戦の危険すらあったのです。クライアントが離れていく事態に私は悩み、本当に賢い人は、目の前の争いに勝つためだけに、“ケンカ”をしないことに気づきました。

その後、トラブルの解決は裁判を起こして勝訴することを目指すのではなく、話し合いでスピーディーに解決することを基本方針としました。すると以前に比べて、クライアントからも信頼されるようになったのです。

日本には古くから「和をもって尊しとなす」「損して得取れ」といった言葉があるように、相手のことを気遣い、思いやりながらコミュニケーションをとり、関係を築くという良き伝統があります。そこにいきなり欧米流の交渉術を持ち込むことはどうしても無理があるのです。日本人には「丸くおさめる交渉」が合っているのです。

交渉が苦手な本当のワケ

では、丸くおさめる交渉とは何でしょうか? それは一言で表すと「相手が喜び、自分が得する交渉」です。このように書くとあなたは「当たり前じゃないか!」と感じるかもしれませんが、これは思ったよりも難しいものです。たとえば、あなたのまわりにこんな人はいませんか?

・自分が強い立場にいるのをいいことに、立場の弱い相手に、無理な価格や納期を押しつける

・今月の自分のノルマ達成が危ういからといって、情に訴えて自社の製品を買うように、お客様に無茶なお願いをしたり、売り込みをしたりしてくる

どちらも、自分の利益ばかりを考え、相手の利益、すなわち相手の喜ぶことを考えられていません。

対決せずに解決する

確かに、「外注先が納期を守らない」とか「お客さんが代金を払ってくれない」という場面では、交渉に対決する姿勢を打ち出さなければならない場面もあります。

それでも、あなたが毎日している交渉、苦労している交渉のほとんどは、「自社の商品を高く買ってほしい」「自分の企画を採用してほしい」「材料の単価を少し下げてほしい」といったもので、対決ではなく、お互いが利益を確保しなければならない場面です。そして、「外注先が納期を守らない」とか「お客さんが代金を払ってくれない」といったトラブルが発生した場面でも、実は対決をしてしまうと交渉はうまく進められません。

対決とは言い方を変えるとケンカということです。納期が守れない、代金が払えない相手にも理由や事情があるのですから、まずはそのことを理解して今後のお互いのためにベストの解決策を探したほうが、早く、いい解決ができるのです。

「あなたが勝つ」ということは、「相手が負ける」ということを意味します。交渉相手が、お客の場合もあれば、取引先、下請け先の業者の場合もあります。上司や部下といった社内の関係のこともあるでしょう。顔を合わせるのは、今回が最後になるわけではありません。次に顔を合わせたときに相手はこの前の恨みを晴らそうと意地を張りますから、話がうまく進みません。

相手を喜ばせる一言とは?

丸くおさめる交渉は「相手が喜び、自分が得する交渉」です。まず、「相手を喜ばせる」ということは、相手に経済的なメリットを与えるという場合もありますが、必ずしもそれに限るわけではありません。相手に「この取引をして良かったな」とポジティブな感情を持ってもらうことも含みます。

たとえば、来期から材料の仕入れ量を増やすことが決まり、これに伴って原価を下げる取り組みをすることになり、あなたが「仕入れ先から材料の仕入れ値を5%下げてもらう」というミッションをもって交渉を担当したとします。そして、実際に希望どおりの値下げを実現できたとしましょう。

交渉は成功したわけですが、そのときあなたが、

「うちは他にもいくらでも仕入れる先があるんだから5%値下げしないとおたくとは取引しないよ」

などと値下げを強要していたとしたら、相手は

「値下げを無理強いされて、不当な条件を飲まされた」

と思ってしまいます。これでは相手を喜ばせたことになりません。

しかし、あなたが

「御社は当社にとって本当に大切な仕入れ先なんです。これまでは年間10トン程度の取引でしたが、向こう3年間、年間15トン以上仕入れさせていただくことを保証しますから、5%の値下げをお願いできませんか。うちも競争力のある製品を作るために努力しますのでぜひ協力してください。今後とも末永いお付き合いをしたいのでお願いします」

とお願いをしたとしたら、相手も前向きな気持ちで値下げを検討してくれるはずです。

外から見るとどちらのケースも「希望どおりに値下げを実現した」というあなたの会社だけにメリットがあるように見えますが、前のケースでは相手は喜んでいませんし、後のケースでは相手も喜んでいると言えるのです。

相手を喜ばせれば、10年単位でトクをする

どうして交渉でわざわざ相手を喜ばせなければならないのでしょうか。

理由は3つあります。

1つ目は、相手が喜ばない交渉をしてしまうと、決着までに時間がかかってしまうということです。意地の張り合いで互いが自分の主張を譲らないと、月日ばかりが経過していき、その間に別のことをできたかもしれない時間を失ってしまいます。

2つ目の理由は、相手が喜ばない交渉をしてしまうと、相手の恨みを買ってしまうということです。相手を打ち負かし、あなたが「勝利」を手にしてしまうと、相手はあなたに不満を持ちます。「今回は負けたから、次は絶対負けないぞ!」と考えたり、さらには「もう二度とあなたとは取引をしたくない」と思われるかもしれません。

最悪の場合、あなたの会社のことを「あの会社はカネの亡者で最悪だ。みんなも取引しないほうがいいよ」と業界に悪いうわさを流されてしまいます。

3つ目の理由は、相手が喜ぶ交渉をしないと、関係や縁が次につながらないということです。たとえば、あなたの会社のサービスを新しいお客様に導入してもらうにあたり、年間100万円で契約してもらえれば30万円の利益が出るのに、お客様は年間80万円で契約したいと希望しているとしましょう。

この金額では年間10万円しか利益が出ないので儲けが3分の1になってしまいます。ですから強気で交渉して自社の利益を少しでも多く確保したほうがいいようにも思えますが、それは短期的な利益しか見ていないのです。

相手が「いいサービスなのだけどちょっと高すぎる」と考えたとしたら、次の年には継続して契約をしてもらえません。しかし、「すばらしいサービスで価格もリーズナブルだ」と考えてくれたら、契約が10年続くかもしれません。

そうすると年間の利益は10万円に過ぎませんが、10年間では100万円の利益を受けることができるのです。つまり、この例で言えば、今年の利益だけを考えたら強気で価格交渉したほうが自社の利益が大きくなるのですが、10年という長期的なスパンで考えると相手の喜ぶ価格にしたほうが自社の利益も大きいということなのです。

それだけではありません。相手が本当に喜んでくれたら、長年契約を継続してくれるだけではなく、自分のまわりにいる同業者にも「あそこの会社のサービスはいいよ」と口コミで広めてくれて、広告宣伝をしないのにお客様がどんどん増えていくことになるのです。

ココが交渉の急所です

「丸くおさめる交渉」「相手が喜ぶ交渉」は、「利他(りた)の交渉」ということができます。「利他」という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、これは「他人に利益となるように図ること」「自分のことよりも他人の幸福を願うこと」という意味です。もともとは仏教用語で、人々に功徳・利益(りやく)を施して救済することから来ています。つまり利他の交渉とは、「相手のことも思いやり、相手にとっての利益も考えて交渉する」ということになります。

そして、丸くおさめる交渉で大切なのは相手が喜ぶだけではなく、自分が得する交渉であるということです。それは、いくら利他の心で相手に良いことをしたとしても、自分が得をしなければいつまでも長続きしないからです。会社が営業を継続していくためにはお客様から感謝されるだけでなく、毎年経済的な利益を自社にも積み重ねていかなければなりません。

もちろん、自分に得がない交渉をしたのでは、交渉相手が喜んだとしてもあなたの上司が喜ぶわけがなく、社内で「お前は弱い人の手助けをしてエラいぞ!」などとほめてくれるわけもありません。

もっとも、本当に相手の利益のことを考えてあげられるようになると、相手もあなたの利益を考えてくれるようになるので、結局あなたも得することになります。相手も自分だけが得をしてはいけないと考える性質があることを「返報性の法則」と言います。仏教の世界ではこのことを「自利利他」と呼ぶそうです。本当に利他の心をもって相手を思いやると、結局得は自分に返ってくるという意味です。「情けは人のためならず」と言いかえることができますね。

このように「相手が喜ぶこと」と「自分が得すること」の2つが両立する場所を探すことが、丸くおさめる交渉の急所になります。

「交渉術」の本の中には、「相手の正面に座ったほうがいい」「資料はテーブルのここに置くのがいい」「交渉場所はどこどこがいい」といったケース別のテクニックを教えようとするものがあります。

しかし、このような細かい交渉テクニックは、それとまったく同じ状況にならなければ使えませんし、そんなことをいざ実際の交渉の場で思い出して実践することはほとんど不可能ではないでしょうか。読み物としてはおもしろいのですが、本当に日々の交渉に生かせるのか疑問です。交渉上手の人にテクニックだけに頼る人はいません。それよりむしろ交渉を進めるにあたっての考え方や基準を持っています。何より交渉そのものよりも事前準備を大事にしているのです。 


う~む、どうしたもんだろうか。