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聖教新聞 (2018/ 5/11) 〈ライフスタイル ガールズトピック〉

2018年06月09日 22時05分18秒 | コラム・ルポ

〈ライフスタイル ガールズトピック〉 体格差には、事前の戦略・スピード・技で勝負!

2018年5月11日 聖教新聞

東京五輪に挑むパイオニア
空手選手(女子組手68キロ超級) 植草歩さん
 
建設が進む東京五輪開会式会場となる新国立競技場をバックに
建設が進む東京五輪開会式会場となる新国立競技場をバックに

 東京五輪の追加競技で初めて採用された空手。競技は演武の「形」と、対戦する「組手」があり、組手はコントロールされた技のポイント数で競う“伝統派空手”。その最有力候補の一人が、植草歩選手(68キロ超級)。五輪への出場は、今夏の国際大会から約2年間のランキングポイントで決まる。全日本選手権3連覇中の植草選手に、25歳ならではの思いを聞きました。

初めての挫折から奮起

 小学3年生の時、幼なじみに誘われて空手を始めた。「パン!とミットの弾ける音が気持ち良くて(笑い)」。手には拳サポーターをつけ、相手にダメージを与えないのが伝統派空手。五輪に向けて、試合を活性化させるためルールが毎年改正され、試合の組み立て方も変化するという。空手ド素人の記者の質問にも丁寧に答えてくれる、真っすぐな人柄。

 高校生の時、全国大会で初優勝。空手の特待生として帝京大学に進学すると、世界学生空手道選手権、全日本学生空手道選手権で優勝。しかし、大学時代の集大成として臨んだ全日本選手権の結果は2位。
 「初めて『優勝したい!』と強く思って臨んだのに、勝てなかったのがすごい悔しくて。『2位でもスゴイじゃん』と言われても、全くうれしくなかった。挫折感というか恥ずかしい気持ちでした」
 引退を考えた。東京五輪の開催は既に決定していたが、空手の採用はまだ未定。これまで女子選手は社会人になると競技から離れる人が多く、心は揺れた。
 「でもフィジカルトレーナーから『歩はアスリートとしては、いまだに身体の弱い部分や使いこなせない筋力がある』と言われ、そこが変わればもっと強くなれるのではと、社会人になって心機一転。環境や自分の考え方を変え、いろんなことに取り組み、今があります」
 そこから栄養士やトレーナーらと共に、下半身や体幹、蹴りを中心としたフィジカル、メンタルなど、心技体全てにおいて挑戦を開始。技の完成度も高め、自分では“遅咲き”と表現する、2015年からの全日本選手権3連覇という結果に結びついていく。

“空手やりたくない病”

 徐々に東京五輪への期待が高まり、追加競技の正式決定前に記者会見が開かれた。全日本優勝者の植草選手は出なくてはならない。でも東京五輪の時には28歳。その前に引退するつもりでいた。

 「自分はカッコいいこと言えないし、好きにしゃべろうと気楽に構えてたら、先輩が『続けるって絶対言ってね』って。『え、続けないですよ』と言うと『植草さんがそれ言っちゃダメ。夢の舞台で活躍したいって言って』って。
 それで言われるまま語ったら、翌朝の新聞に『五輪優勝します!』みたいに載ってて。自分の言葉ではなかったし、怖いなーって(笑い)。『どうしましょう』とトレーナーに。自分の気持ちより先に、周りがどんどん進んでいく感じでした」
 しかし“言っちゃった”ことで、覚悟を決めた。
 「女子の28歳って記録競技だとギリギリかもしれないけど、自分は対人競技だし、まだ変わる余地はあるかなって。トレーナーからも『高校も大学も受験せず空手で入れて、卒業後は履歴書も書かず空手をするために就職できて、空手に助けてもらったのに、恩返しをしないで自分だけ頑張ったと酔いしれて引退するのはどうなのか。恩返しを本気で思えた時に、一人前になれるんじゃないのかな』と言われて……。やっぱり五輪だし、私がとらないと絶対いけないんだって腹をくくりました」
 その後の活躍は前述の通りだが、特に重圧のかかる試合が終わった後、“空手やりたくない病”を発症するそうだ。そんな時は、どうするのか――。
 「トレーナーは『もうやらなきゃダメだ!と焦るまで(空手を)やるな』と。世界大会優勝後、フィジカルトレーニングはできても、空手はどうしてもしたくない。でも全日本選手権がある。大会が近づくにつれて『目がスピードに慣れないとか、反応が遅くなったらどうしよう』と不安になり、『やりたいです』って言ったんですけど『そんな中途半端だと、またやりたくなくなるから、やるな』と言われました。
 結局、選手権前ギリギリまで、有酸素運動やランニングなどをやりましたね。空手界は365日、日々鍛錬みたいな世界ですけど、各トレーナーは選手にできない決断をしてくれます。結果、その全日本も優勝できました」

オンとオフを切り替えて

 モチベーションを保つには、オンとオフの気持ちの切り替えも重要だ。

 「空手の時は髪の毛は後ろで縛ってお団子に。オフの時は下ろして、化粧もする。今日もヘアアイロンで巻いてきました。いつもと違う自分になるのがオフ。買い物も好きで、海外では日本で見ないジャージとかつい買っちゃいます(笑い)。
 遊びも一生懸命やりたいです。25歳って今しかないじゃないですか。若い時にできることをするために、土日どう過ごすか。土曜は高校生の指導に行くので、その夕方とか日曜が丸一日オフの時は、どこに出掛けようとか。まあ長期のオフで旅行――とか1回もないんですけど(苦笑)」
 こんなに明るい植草選手だが、意外にも昔は人前で緊張して話せなかったり、ネガティブ思考だったという。
 「変わりました。私、音痴なんですけど(笑い)、帝京大学時代に皆の前で手拍子のアカペラで歌わなくてはいけなくて、度胸がつきました。前は人をうらやましく思うことも多くて“私なんて”というタイプ。だから勝てなかったんだと、今は思います。
 言葉は全部自分に返ってくるので、最近はポジティブな言葉を使っています。でも人間だから、国際大会で自分より大きく、手足が長い選手を前にすると、怖いなとか、負けたらどうしようと思う。でもすぐに“私ならできる”と心の中で何回も繰り返します。体格で不利でも、それ以上に自分には技とスピードと、相手選手に対して『この技で攻める』という事前の戦略がある。だから自信を持って臨めます。あとは『優勝したら○○するんだ!』と、楽しいことを考えるようにしてます」
 最後に、今後の抱負を聞いた。
 「東京五輪では、金メダルを取るのが一番の目標。もっと空手競技をメジャーにしたいです。自分自身、今はプロとして空手ができる環境なので、後輩のために違うステップの道筋も作れるのではないかと思います。育成も含め、次の世代の子たちが空手を続けやすい環境を作るのが夢です」

 うえくさ・あゆみ 所属JAL。1992年、千葉県生まれ。小学3年生で空手を始め、高校3年生の全国大会で優勝。世界空手道選手権では、2012年、14年に3位。16年に68キロ超級で優勝。15~17年、全日本空手道選手権大会3連覇中。

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【編集】加藤瑞子

【レイアウト】齊藤功輝
【新国立競技場前の写真】佐藤絢輝
【試合の写真】空手道マガジンJKFan提供


すごく前向きになれた記事 

コメント

面会交流のご飯

2018年06月09日 14時31分39秒 | つれづれに
きのうは近所のカフェにて夕飯



いつもだと、保育園のイベントとその後の昼ごはんがセットなんだけど、今回は娘の仕事の都合で、前日の夕飯と運動会がセットなんだって



店がご近所で顔見知りだということもあるのか、まあまあな感じかな

気持ち的にはオレが休職中だということも大きいけど、週一の休みだったら厳しいかもねぇ





運動会が終わり、娘は仕事へ

本来なら必要ないとは分かっているけど、ロイホの昼ごはんも一緒に



甘いのかな?…よく分かんないけど (^_^;)
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