それがこのエレベーター2台とも上層階優先で1階に下りたエレベーターはいつも上の矢印になっている。いくら扉の前で下の矢印のボタンを押して1階に来るとすぐ矢印は上になってしまう。それで扉が開くとすばやく飛び乗ってBにボタンを押すとやっと下の矢印を出してくれる。
こんなことを知らない間は乗って矢印を押すが私が乗った後にきた人が上のボタンを押すので下にあった矢印はまた上の矢印になっている。それでまた私はあわててBを押すと扉の前にいた男性それも高齢者(いちちじこのビルの中に社会保険事務所があったときがあった)が「上に行くと出ているのに何で下に行くのや」と怒られてばかり。何度か上に私も一緒にいくことになったが3回こんなことがあって近鉄奈良駅の改札口に抗議をした。そしたらその言い訳が「上の階優先にこのエレベーターが設置してあります」と言われてそれで思い出した。
この近鉄奈良駅ビルができたときこの何階から上は奈良で老舗ホテルの別館だった。作家の落合恵子さんがここに宿泊されてこの喫茶ラウンジでお会いしたことがあった。そのときに地方紙の女性記者や男性記者を紹介し当時奈良市内で幼稚園の先生をしていた若い女性も一緒に連れて行ったことがあった(この若い女性はすっかり落合恵子さんのファンになって幼稚園の先生をやめて絵本の店クレヨンハウス(大阪)のスタッフになった。そして今は東京に居住を移して落合恵子さんの秘書をしている。人生はわからないものである。立派に秘書をしているので落合恵子さんの信頼が厚いと聞いているのでほっとしている)
私も友人たちとこの8階にあった喫茶ラウンジをよく利用した。雑誌記者時代は辛いこと悲しいことがあると8階の喫茶ラウンジにきて下をみると歩いている人たちや車が胡麻粒に見えて人間というのはちっぽけな物だとわかってくよくよすることをやめた。自分のための励みになったところである。
それが時代は変わり老舗のホテルは閉鎖された。6階はシルクロード博に際して事務所になり上の階は中華料理の店になった。それで長い間このエレベーターは上の階優先になっていた。
しかし近年高齢者が増え若い母親は乳母車で電車を利用する人が増えていつも上にいく階に行くエレベーターで待たされることはしばしばだった。
私はコツを覚えたので(この駅には下りのエスカレーターがないので膝をいためてからエレベーターを利用)すばやく乗ってBを押すと下に矢印が行く。一緒にのる高齢者や若い母親たちは「上にばかり行くのでずいぶん待ったのです」と言う言葉を聞くとその手順の仕方を教えてあげた。
それから半年ほど立ったのだろうか。
2台のエレベーターがこの間修理されていた。しばらく従業員や出入り業者専用の1台のエレベーターを使って不便していた。2台のエレベーターは修理中になっていた。
そしてようやく2台のエレベーターが使用できるようになった。
エレベーターは扉の外で下ボタンを押すと普通にBに行ってくれるようになった。
なぜといつも思う。
近鉄奈良駅は大阪万国博覧会に奈良観光客を見込み都市整備もあって地上にあった近鉄奈良駅は地下にもぐり油阪の駅はなくなって新大宮駅になった。1970年前のことである。鳴り物入りで近鉄奈良駅工事が始まった。
柱の色は若草色、これは奈良の若草山を象徴して他の駅と違う色にしたと当時の奈良市長が談話していたことを思い出す。
そのときなぜ下りのエスカレーターを設置しなかったのかが不思議でしょうがない。観光都市奈良である。正倉院展も神社仏閣の宝物展示もある。花の見ごろは家族で訪れる。当然高齢者もいる。それなのにどうして下りのエスカレーターを設置しなかったのかが理解できない。
高齢者人口で高齢者が多くなった。おぼつかいない足どりで駅構内に入るのに長い階段は怖いのでエレベーターを利用するがまたホームにいくのに下りのエスカレーターがない。階段を利用している。最近エレベーターが1台設置されたがあんなに端っこにあるエレベーターはただ申し訳程度に付けてあるだけ。車椅子の人も不便である。端に行くまでに1台の電車を見送ってしまう。
なぜといつも思う。
とりあえず駅構内に行くエレベーターはやっと使いやすくなった。
今まで本当にみんな不便をしていた。
さて今度はホームに降りるのに階段を使わないで行く手だてを考えてもらいたい。利用しにくい端っこはあかんわ。あれは何のためについている。あれがお金の無駄遣いと思う。利用して生かされてそのお金は生きてくる。
車椅子の人には多少遠くても便利なので使っているが一般で高齢者でも1台の電車を見送ってしまいそうで怖いながら階段を降りている。
なんか近鉄奈良駅の設計はどうもミスが多いと思う。経費節減もあっただろうがなんとも後味の悪い駅の作り方になっている。
修学旅行生も使い勝手のよくない駅構内で狭苦しい中で切符を買っている。団体客専用の切符売り場の設置も必要だろう。こんなときはいつも市民は切符が替えなくて難義している。
なんとかしてもらいたいものである。
こんなことを知らない間は乗って矢印を押すが私が乗った後にきた人が上のボタンを押すので下にあった矢印はまた上の矢印になっている。それでまた私はあわててBを押すと扉の前にいた男性それも高齢者(いちちじこのビルの中に社会保険事務所があったときがあった)が「上に行くと出ているのに何で下に行くのや」と怒られてばかり。何度か上に私も一緒にいくことになったが3回こんなことがあって近鉄奈良駅の改札口に抗議をした。そしたらその言い訳が「上の階優先にこのエレベーターが設置してあります」と言われてそれで思い出した。
この近鉄奈良駅ビルができたときこの何階から上は奈良で老舗ホテルの別館だった。作家の落合恵子さんがここに宿泊されてこの喫茶ラウンジでお会いしたことがあった。そのときに地方紙の女性記者や男性記者を紹介し当時奈良市内で幼稚園の先生をしていた若い女性も一緒に連れて行ったことがあった(この若い女性はすっかり落合恵子さんのファンになって幼稚園の先生をやめて絵本の店クレヨンハウス(大阪)のスタッフになった。そして今は東京に居住を移して落合恵子さんの秘書をしている。人生はわからないものである。立派に秘書をしているので落合恵子さんの信頼が厚いと聞いているのでほっとしている)
私も友人たちとこの8階にあった喫茶ラウンジをよく利用した。雑誌記者時代は辛いこと悲しいことがあると8階の喫茶ラウンジにきて下をみると歩いている人たちや車が胡麻粒に見えて人間というのはちっぽけな物だとわかってくよくよすることをやめた。自分のための励みになったところである。
それが時代は変わり老舗のホテルは閉鎖された。6階はシルクロード博に際して事務所になり上の階は中華料理の店になった。それで長い間このエレベーターは上の階優先になっていた。
しかし近年高齢者が増え若い母親は乳母車で電車を利用する人が増えていつも上にいく階に行くエレベーターで待たされることはしばしばだった。
私はコツを覚えたので(この駅には下りのエスカレーターがないので膝をいためてからエレベーターを利用)すばやく乗ってBを押すと下に矢印が行く。一緒にのる高齢者や若い母親たちは「上にばかり行くのでずいぶん待ったのです」と言う言葉を聞くとその手順の仕方を教えてあげた。
それから半年ほど立ったのだろうか。
2台のエレベーターがこの間修理されていた。しばらく従業員や出入り業者専用の1台のエレベーターを使って不便していた。2台のエレベーターは修理中になっていた。
そしてようやく2台のエレベーターが使用できるようになった。
エレベーターは扉の外で下ボタンを押すと普通にBに行ってくれるようになった。
なぜといつも思う。
近鉄奈良駅は大阪万国博覧会に奈良観光客を見込み都市整備もあって地上にあった近鉄奈良駅は地下にもぐり油阪の駅はなくなって新大宮駅になった。1970年前のことである。鳴り物入りで近鉄奈良駅工事が始まった。
柱の色は若草色、これは奈良の若草山を象徴して他の駅と違う色にしたと当時の奈良市長が談話していたことを思い出す。
そのときなぜ下りのエスカレーターを設置しなかったのかが不思議でしょうがない。観光都市奈良である。正倉院展も神社仏閣の宝物展示もある。花の見ごろは家族で訪れる。当然高齢者もいる。それなのにどうして下りのエスカレーターを設置しなかったのかが理解できない。
高齢者人口で高齢者が多くなった。おぼつかいない足どりで駅構内に入るのに長い階段は怖いのでエレベーターを利用するがまたホームにいくのに下りのエスカレーターがない。階段を利用している。最近エレベーターが1台設置されたがあんなに端っこにあるエレベーターはただ申し訳程度に付けてあるだけ。車椅子の人も不便である。端に行くまでに1台の電車を見送ってしまう。
なぜといつも思う。
とりあえず駅構内に行くエレベーターはやっと使いやすくなった。
今まで本当にみんな不便をしていた。
さて今度はホームに降りるのに階段を使わないで行く手だてを考えてもらいたい。利用しにくい端っこはあかんわ。あれは何のためについている。あれがお金の無駄遣いと思う。利用して生かされてそのお金は生きてくる。
車椅子の人には多少遠くても便利なので使っているが一般で高齢者でも1台の電車を見送ってしまいそうで怖いながら階段を降りている。
なんか近鉄奈良駅の設計はどうもミスが多いと思う。経費節減もあっただろうがなんとも後味の悪い駅の作り方になっている。
修学旅行生も使い勝手のよくない駅構内で狭苦しい中で切符を買っている。団体客専用の切符売り場の設置も必要だろう。こんなときはいつも市民は切符が替えなくて難義している。
なんとかしてもらいたいものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます