4人がけの向かい合わせのところに私は座っていたが向かい側の親子連れが芦屋で降りたのでこの席に芦屋から乗った女性2人連れが座った。こぎれいな格好していたのでこんなに遅くどこかの会社に勤めておられるのかなと思ったらそうでもない。
どうやら何かの会合の帰りのようだった。私は絶対に大阪でおりて環状線にのりかえてまにあえば近鉄鶴橋から9時10分の特急に乗りたかった。私の腕時計は3分ほど進ませてあるので1分2分の時刻も気になって携帯の時刻を何度も見ていた。これに乗り遅れると次は9時40分の特急になる。鶴橋からは快速急行は絶対に座れない。9時10分の特急にまにあったがその前の快速急行、全車両が満員、立っている人も満員だった。特急にのって正解だった。
そして電車の中の2人の女性の会話、2人とも声が大きいのできくとはなしに私の耳にもはいってくる。
いろんな人の名前もいっぱいでる。
Yさんやら、Fさんやら-----。あの人やら、会計の人やら------。
なんか私が35歳ごろから奈良県の地方紙のペングループの創設当時のような会話だ。「だれは私には言葉でいじめる」「私にはそんなことないわよ。あの人は個性的だから距離置いた方がいいよ」と年輩の女性が話す。
「あの人ははっきりものいうからこわい」というと年輩の女性は「出る杭はうたれるというけれどあの人出る杭でもううたれている。けれどああいうものをはっきり言う人も会の中では大事よ」というと若い女性は「そうですね。難しいすね」とあれこれとその後も「1人、1人の名前を出して品定めをしている。
こんな会話、何年ぶりに聞いただろう。
仕事の中では人の悪口の話はめったにしなくなった。
冗談でときどき話しをすることはあっても悪意でけっして話すことは長い年月の中でなくなった。
まして男性が多くいる会合では私は黙っている方が楽だから黙っている。また男性諸氏たちはけっして個人の品定めの陰口は絶対にいわない。その場にいなくなった人の悪口は絶対にいわない。だから私も気をつけて絶対にいわないようにしている。個人の話はほめる話はしても悪口はいわない。これは男性社会の会合の暗黙のルールである。まして私は仕事以外、何もしらないので男性諸氏たちに教えてもらってしているので気が楽である。
そんなことで向かい側にすわる女性2人連れは1人1人の名前や肩書きを出してあれゆこれやと言っている。そして尼崎あたりから年輩の女性の会合の運営について「なんでも会長の責任にしてくる。あれこれ頼んでも最後は会長だからといわれてどれほど気をつかてきたか」と話すと若い人はまたその会長と言うと人にゴマをすりだした。
「だから会長さんよくやられましたと思います。家のこともきっちりして娘さんのところにも手伝いに行かれて会長さんはすごいですよ」と話すと年輩の女性は「今度の会長はどうされるかわかりませんが、はっきりものをいわれるので周りは大変だけれどやりやすいですよ」と話していた。
そして大阪についた。私は早くおりる支度をして大阪駅で降りて走るようにして環状線に飛び乗った。席があいていたので座った。
聞いた声がすると思ったら1つ置いた隣に若い女性が座り年輩の女性が立っていた。私は2つ向こうですぐおりるからと言ってたっていた。
年輩の女性は桜ノ宮で降りた。そして若い女性は年輩の女性がおりたとたん、携帯を取り出した。
話し方から高級な服装に携帯もさぞ使いこなせると思っていたら、携帯を左手で持って右手のひとさし指で1個づつボタンを押して操作していた。
その格好がこっけいで噴出しそうになった。
みかけは美人で高級なこぎれいな奥様風なのに携帯の扱い方はなれていなかった。
はてはいいところの奥さんで携帯も必要のない人なのかと思ったりしたが、いいところの奥様でも近頃はたいてい携帯を使いこなしている。
彼女の携帯をあつかっているその様子に私も携帯の使い始めを思い出していた。
ロックの仕方もわからなかった。昔の携帯は番号がむき出しになっていた。
電話番号の入力もしらないでいちいち手帳を見て電話していた。
今だったら着信やリピートを探してかけられるしアドレス帳をひらければできる。
人はそれぞれさまざまな生き方をしている。
ただ電車の中での会話に私の若かったころを思い出しいつになっても女性の会合にはいろいろ人のことをいうのがつきものなんだ。いつの時代もかわらない。これが女性の特徴なのか主婦の会話なのだろうか。
久しぶりに聞いた会話の中身に私の若かったころの会合に関係していたころを思いだし何年ぶりにこんな会話をきくのだろうと----。
そして近鉄奈良駅から自宅に向かう市内循環バスにのった。地方紙の社屋の夜の明かり、こうこうとした社屋の明かりに会合に深く関係していた人、亡くなった人だが今にも社屋の玄関からカメラバッグをもって飛び出してきそうな錯覚を起こしていた。
どうやら何かの会合の帰りのようだった。私は絶対に大阪でおりて環状線にのりかえてまにあえば近鉄鶴橋から9時10分の特急に乗りたかった。私の腕時計は3分ほど進ませてあるので1分2分の時刻も気になって携帯の時刻を何度も見ていた。これに乗り遅れると次は9時40分の特急になる。鶴橋からは快速急行は絶対に座れない。9時10分の特急にまにあったがその前の快速急行、全車両が満員、立っている人も満員だった。特急にのって正解だった。
そして電車の中の2人の女性の会話、2人とも声が大きいのできくとはなしに私の耳にもはいってくる。
いろんな人の名前もいっぱいでる。
Yさんやら、Fさんやら-----。あの人やら、会計の人やら------。
なんか私が35歳ごろから奈良県の地方紙のペングループの創設当時のような会話だ。「だれは私には言葉でいじめる」「私にはそんなことないわよ。あの人は個性的だから距離置いた方がいいよ」と年輩の女性が話す。
「あの人ははっきりものいうからこわい」というと年輩の女性は「出る杭はうたれるというけれどあの人出る杭でもううたれている。けれどああいうものをはっきり言う人も会の中では大事よ」というと若い女性は「そうですね。難しいすね」とあれこれとその後も「1人、1人の名前を出して品定めをしている。
こんな会話、何年ぶりに聞いただろう。
仕事の中では人の悪口の話はめったにしなくなった。
冗談でときどき話しをすることはあっても悪意でけっして話すことは長い年月の中でなくなった。
まして男性が多くいる会合では私は黙っている方が楽だから黙っている。また男性諸氏たちはけっして個人の品定めの陰口は絶対にいわない。その場にいなくなった人の悪口は絶対にいわない。だから私も気をつけて絶対にいわないようにしている。個人の話はほめる話はしても悪口はいわない。これは男性社会の会合の暗黙のルールである。まして私は仕事以外、何もしらないので男性諸氏たちに教えてもらってしているので気が楽である。
そんなことで向かい側にすわる女性2人連れは1人1人の名前や肩書きを出してあれゆこれやと言っている。そして尼崎あたりから年輩の女性の会合の運営について「なんでも会長の責任にしてくる。あれこれ頼んでも最後は会長だからといわれてどれほど気をつかてきたか」と話すと若い人はまたその会長と言うと人にゴマをすりだした。
「だから会長さんよくやられましたと思います。家のこともきっちりして娘さんのところにも手伝いに行かれて会長さんはすごいですよ」と話すと年輩の女性は「今度の会長はどうされるかわかりませんが、はっきりものをいわれるので周りは大変だけれどやりやすいですよ」と話していた。
そして大阪についた。私は早くおりる支度をして大阪駅で降りて走るようにして環状線に飛び乗った。席があいていたので座った。
聞いた声がすると思ったら1つ置いた隣に若い女性が座り年輩の女性が立っていた。私は2つ向こうですぐおりるからと言ってたっていた。
年輩の女性は桜ノ宮で降りた。そして若い女性は年輩の女性がおりたとたん、携帯を取り出した。
話し方から高級な服装に携帯もさぞ使いこなせると思っていたら、携帯を左手で持って右手のひとさし指で1個づつボタンを押して操作していた。
その格好がこっけいで噴出しそうになった。
みかけは美人で高級なこぎれいな奥様風なのに携帯の扱い方はなれていなかった。
はてはいいところの奥さんで携帯も必要のない人なのかと思ったりしたが、いいところの奥様でも近頃はたいてい携帯を使いこなしている。
彼女の携帯をあつかっているその様子に私も携帯の使い始めを思い出していた。
ロックの仕方もわからなかった。昔の携帯は番号がむき出しになっていた。
電話番号の入力もしらないでいちいち手帳を見て電話していた。
今だったら着信やリピートを探してかけられるしアドレス帳をひらければできる。
人はそれぞれさまざまな生き方をしている。
ただ電車の中での会話に私の若かったころを思い出しいつになっても女性の会合にはいろいろ人のことをいうのがつきものなんだ。いつの時代もかわらない。これが女性の特徴なのか主婦の会話なのだろうか。
久しぶりに聞いた会話の中身に私の若かったころの会合に関係していたころを思いだし何年ぶりにこんな会話をきくのだろうと----。
そして近鉄奈良駅から自宅に向かう市内循環バスにのった。地方紙の社屋の夜の明かり、こうこうとした社屋の明かりに会合に深く関係していた人、亡くなった人だが今にも社屋の玄関からカメラバッグをもって飛び出してきそうな錯覚を起こしていた。
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