鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月9日、もう4時半である。

2007-03-09 17:27:21 | 直言!
8枚あった。3時前に終わった。3時間かかった。私の予測は当たった。
10時に担当デスクから電話がはいり。ちょうど新聞2紙を読み終わってウトウトとしているときだった。子機が傍に置いていたのですぐとれた。
「いつごろできるのか」と問い合わせで少し考えて「3時頃」と言った。
出来上がってメール送信したのが2時50分、ギリギリセーフで3時に間にあった。さすが疲れた。
一杯のコーヒーとかりんとうを少し食べてまたパソコンの前に座った。
月曜日の連載のための準備である。
持ち合わせの写真でなんとかネットに載せようとするとなんで私がはいった写真ばかりとため息がでる。
このときは観光で行ってみんなと記念写真ばかり撮ったのである。
筆者は表に出ないほうがいいのに筆者の入った写真ばかりが箱の中に残っている。「なんで私が入っているの」と独り言を言いながらデジカメでとってメールに入れた。

そんなことでもう夕食の支度をする時間になった。1日が早く過ぎていった。
テレビもろくにこのごろ見ていないので何がおきているのかわからない。
テレビをつけると事件ばかりである。うんざりする。
それでなければ日朝作業部会である。
そんなに簡単にいかないだろう。
1960年から1970年、冷戦構造の1番厳しい時代だった。
双方の言い分があるだろう。
が、拉致被害者の問題は放置してはいけないだろう。
解決しているという。政冶に素人の私も日本に住んでいる一般も解決しているとは思っていない。
帰国してきた拉致被害者だけではないだろう。
調査報告は死亡になっている人もいるが拉致された家族はけっしてこの調査を信じていないだろう。家族の気持ちをさらに逆なでしていることに家族はいたたまれない。だから拉致被害者の問題が解決してからの日朝国交正常化は日本に住んでいる家族はじめ世論は当然そう思うだろう。

米ソ冷戦構造で世界の流れは変わった。
このことを踏まえていろんな角度から対応しなければならないだろう。
日本は大量の拉致被害者がいる。この問題が先決であると世論のだれもが思うことである。
「核」とは切り離して考えなければならないと国会関係者のある人が言っているが政治に素人の私でも「それは違うのでは」と思って新聞を見ている。
また「従軍慰安婦」「強制連行」の補償を北朝鮮はもちだしているがこれは後から決めることでやはり生身の人間の生存権が重要である。
失われた青春、失われた人生の大方、この犠牲は大きいだろう。
そんなことで私は静かに事のなりゆきをみている。何かよくわからないが何かが動いている。
どんなふうになっていくのかさっぱり分からない。

1950年代の半ばから北朝鮮の帰国運動が始まった。
あれから半世紀、北の国はけっして良くならなかった。帰国した同胞は日本におれば働けばなんとか生きることができた。
あのころ麦ご飯を食べていた在日同胞は今みんな米のご飯を食べている。
帰国しなかったらちゃんと米のご飯が食べられたのにと私は切なくそう思う。

昔は野山で摘んだ山菜が食卓に並んだ。生きるための食材だった。
今は在日同胞家庭でも山菜は健康食品として並び贅沢品になっている。
こんな世の中になることを誰も当時は予測できなかったがみんなとにかく働いた。よく働いた。1世たちは子どもたちに学力をつけることに必死になって教育をつけた。2世や3世は民族特有の感性の頭角もあらわして日本全国でいろんなところで活躍している。
こんなことになるように在日同胞たちは日本政府に人権擁護の問題として闘って勝とってきたものである。

そして日本で生きることは地域と共生することである。このことを学んだ。
客観的に物を見る力を育んだ。これは在日同胞にとっては財産である。日本人の知識に入り込むことができなかった多民族共生という感性を育んできた。在日同胞は日本社会で外国人として差別と偏見とも闘いながらなしえた感性だと思っている。これは在日同胞が構築してきた民族気質の財産であると私は思っている。
韓国人にも真似のできない民族気質を育んだことはすばらしい文化資産と私はおもっている。
客観的に物を見る力、偏見と差別の目でしか見てこなかった日本人の気質にはとうてい築くことはできないものだった。
日本人が多民族共生は唱えるが在日同胞と一緒に多民族共生を考えて真の多民族共生ななると私は思っている。
在日同胞が日本で育んだこの気質を今後も大切にしていかなければならない。
このごろ中立に行きぬいた私の父親の物の見方がやっとわかるようになってきた。父親はあるていどの分断国家のなりゆきを見えていたのだろうか。
韓国も北朝鮮も支持しなかった。
日本で生きる「在日」ということにこだわって生きてきた。
その生き方がようやくわかるようになってきた。

分断国家の現状を墓場の影からみているだろう。
「それみてみ。俺が言っていたっやろ。北は言葉の勉強なんかしていない。爆弾をつくる勉強していたのや」と民団や総連、民族団体にかかわらなかった父親はやっと心を解きほぐしていることだろう。
小さな田舎町でどちらの民族団体にも関わらないで生きることは大変だっただろうと今、父の苦労が理解できる。
しかし1つ「女は嫌いや」という言葉を思い出してまた父親に対して「なんちゅう親や」と呟いている。

そういえば朝、ウトウトしているときに息子が夢にでてきて私は夢の中でもないて本当にないていた。ないているところを電話で起こされた。あの夢はなんだろう。母親の私に悪いとおもっているだろうか。
夫はあのアホ息子にそんな気持ちはないないと言っている。
私はまだ許せないアホ息子夫婦。許せることと許せないことがある。
そんな息子に育てた覚えがないと私はいいたい。いつから周りを思いやることのできないアホになったのか言いたい。
1人で大きくなったように思って偉そうにしている。
アホ息子夫婦-------。

さて夢はなんだったのだろうか。
夕食の用意をしよう。
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1 コメント

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Unknown ()
2007-03-12 15:29:23
とにかく慰安婦問題については、まず小林よしのり著「戦争論2」の「総括・従軍慰安婦」を読んでほしい。
あらゆる関連本の中で一番良い。
この問題の全容も把握できる。
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