鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

2024年1月12日(金)曇。

2024-01-12 07:38:15 | 直言!

2024年1 月12日(金)曇。 

今日の介護支援者の訪問は朝、9時半のリハビリの先生、空の写真は今朝、6時43分に撮影。昨日、午後2時ごろから、また、夫の家探しが始まった。メガネがないといって探している。ここに置いたというところは、洗った密閉容器の置いているところ、鍋から出した食材を密閉容器にいれたももの、眼鏡に触った記憶がない。家探しする夫にまた、私は怒っている。使ったものは決めたところに置いてそこに入れるようにすると、何度も口がすっぱくなるほどいってきた。私は最近、つい、「親はどんな躾をしてきたの」と、親のことをいってしまう。そして夫はいう。「親は仕事で(土建業)関西のあちらこちらをまわっていた。京都で子供だけで暮らしていた」という。こんな生活、私には考えられなかったので、在日の暮らし、私の知らないことが多いこと知っていく。メガネは1時間探していたがでてこない。私がトイレにいって、夫にこの辺にあるのではと思い当たるところをいっていた。夫は「メガネは俺の頭の上にある」といったが、メガネはでてきた。何度も探している椅子の下、また探すと落ちていた。メガネの枠の色と同じホットカーペットでわからなかった。でてきた。よかった。深夜、布団の中で考えていた。密閉容器の横のテーブルに置いていたメガネ、密閉容器を取るとき、何かの拍子でテーブルから下に落ちたようだ。朝、夫に私だったかもしれないと謝った。 

私は父親は京都市内に勤務していた会社員、平日は勤務して日曜日には家にいた。家にいたときは子供たちにも食事をしているとき、躾のあれこれを細かく、注意して教えていた。人形作りの好きだった私、小学生の頃、母親の針箱を出していた。そりとき、ハサミもそこに入れていたと思っている。それが、父親はある日「使ったものは元のところに戻すように。それでないと、後に使う人がわからない。後に使う人を考えて元のところに直すこと」と、いった。このことは大人になってもいつまでも覚えている。また。中学生の頃、父親は本を読むようにともいっていた。それが貧しい我が家には本らしい本は何もなかった。たまに父親の書庫を見ると、かろうじて父親の仕事の本と昔の歴史写真集があった。この歴史写真集は見たくてたまに見ていた。しかし子供が読む本はなかった。中学3年になって、高校進学のために母親に「中学時代を買ってほしい」といった。父親に話したのか、これはすんなり毎月、買ってもらっていたので、これはまた読むのが楽しみで、付録の問題集で進学の勉強をした。 

木津川市山城町上狛学校前で生まれて、6歳で木津町南大路町で育った。周りは日本人ばかりのところで育った。今は町名変更もされている。子供のころ、近所に開店した天ぷら店の天ぷらが美味しかった。やがてこの店は貸本屋にかわり、ここで本を借りてよく読んだ。石坂洋二郎の小説もここで借りて読んでいた。もう、雑多とした街の光景はなくなり、整然とした街、タウンという町になった。 

今朝、食べた物。ご飯は180カロリー、味噌汁は大根、大根の葉、玉ねぎ、白菜、わかめ、麩、菊菜入り、大根と筋肉の煮付け(昨日の昼間に作った)、今朝、わかめと玉ねぎとキュウリの酢の物を作ったのでこれも今朝の食材になった。焼鮭、ウインナソーセージ、佃煮塩昆布に牛乳で400カロリーになる。 

これから新聞を読むことにしよう。また。 

 

 

 

 

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