夫は体調がよくないのか家で過ごしている。
朝、眼科に行って目薬を貰ってきた。墓参りはまた今度にすることになった。
私は今日久しぶりにテレビを3時間ぶっ続けで見てしまった。
「なんでも珍百景」の番組が好きで今日はスペシャル番組、午後の12時から3時まで3時間、いつも夜水曜日7時から放映されるがその裏番組、いつも私の嫌いな番組の1つ「魔法のレストラン」が好きで見る夫とは趣味があわない。
いつも夫に「魔法のレストラン」の番組にチャンネルをまわされている。
近日はプロ野球の放映で「なんでも珍百景」が放映されていなかった。今日は3連休の初日に3時間スペシャルで放映されたので3時間見ていた。
3時にテレビが終わって起きて来た夫にチャネル権を譲って私はシャワーを浴びた。出てきてから家事をして台所に立った。
今日の夕食は入麺、素麺は湯がいた。出汁雑魚で出汁を取った。鍋の出汁に具を入れていつでも食べられるように下ごしらえをした。
その合間をぬってうるめ鰯を買ってあるのでうるめ鰯をオープンで焼いた。
さまして密閉容器に入れておくとビールの肴になる。
土曜日の韓国テレビは私の見たいものがない。
私は時代劇が好きでない。
国が崩壊するときの朝鮮王朝の時代のドラマ、なぜか見たくない。
一部の宮中は華やかな生活をドラマに放映されているがその下で苦しんでいた一般の民衆のことがそのドラマの影にあるので見たくない。
朝鮮王朝時代、我が家の歴史をたどれば両班の家で村では大地主で私から見ると曾祖父にあたる人は漢文を書いて書物を読んで過ごして生活を送る優雅な人生だった。日本植民地支配に入るところで田畑など土地はすべて日本総督府に取られていく歴史がある。1町だけ残された歴史がある。1町では一族の暮らしがなりたたない。小作人になった祖父は人の下で働くことが苦手だったが家族を養うために韓国全土の放浪して出稼ぎをした。そして食べるために日本にくれば食べられると考えて日本の京都に来た。京都駅の鉄道工事の労働者になって----。そしてやがて土建業の親方として財をなしていくが女と別れるたびに一文無しになっていく祖父の人生だった。
そんな親を見て育った叔父たちのほとんどは日本の会社で働くサラリーマンになったのかもしれない。
5歳で渡日した私の父親は祖父母から日本植民地支配に入るときにすべて取られた土地のこと。土地を取られて田んぼの前でショック死した曾祖父の嫁だった。日本に渡ってきた曾祖母は2度目の嫁である。
曾祖父は日本総督府がした土地調査法のときに申告書がかけなかった(日本の文字でかけないのがあたりまえ)ので警察に引っ張られて拷問も受けている。
留置場から出してもらう条件は土地を渡すことことだった。
よほど祖父はこの過去の歴史がわすれられないのか父親に話していたのだろう。
父親はまた2世の子どもたちに語り継いだ。
日本は日本植民地支配について道路建設や建物を作ったと自慢として話すがそうして植民地支配を美化している。しかし私は父親から語り継いだ我が家の歴史から見ると誰も日本植民地支配には喜んでいない。親日派も生きるための手段だったと思っている。2世は親から聞いた話をまた3世に語り継がないといけないと思ってここにたびたび我が家の歴史を書いては3世たちの甥や姪たちに残している。日本国籍にしても我が家の自負する歴史があったということを伝えていくためにも。
このとき朝鮮王朝の政府を司る関係者はなぜ世界情勢が見えなかったのか。
内々の内政干渉で明け暮れた歴史が垣間見えてどうしても時代劇は見る気がしない。ただそれだけである。
そして人間関係の縺れやしがらみや敵・見方関係も半端ではない。
すぐに済州島に島送りしていくその内容に私は好きになれないので見ない。
土曜日、これまで「ジャイント」が放映されていて楽しみにみていたが今は時代劇で見る気がしないのでみない。
それで土曜日の韓国テレビは見る気がしない。
4時7分です。
インターネットで韓国新聞をみます。
朝、眼科に行って目薬を貰ってきた。墓参りはまた今度にすることになった。
私は今日久しぶりにテレビを3時間ぶっ続けで見てしまった。
「なんでも珍百景」の番組が好きで今日はスペシャル番組、午後の12時から3時まで3時間、いつも夜水曜日7時から放映されるがその裏番組、いつも私の嫌いな番組の1つ「魔法のレストラン」が好きで見る夫とは趣味があわない。
いつも夫に「魔法のレストラン」の番組にチャンネルをまわされている。
近日はプロ野球の放映で「なんでも珍百景」が放映されていなかった。今日は3連休の初日に3時間スペシャルで放映されたので3時間見ていた。
3時にテレビが終わって起きて来た夫にチャネル権を譲って私はシャワーを浴びた。出てきてから家事をして台所に立った。
今日の夕食は入麺、素麺は湯がいた。出汁雑魚で出汁を取った。鍋の出汁に具を入れていつでも食べられるように下ごしらえをした。
その合間をぬってうるめ鰯を買ってあるのでうるめ鰯をオープンで焼いた。
さまして密閉容器に入れておくとビールの肴になる。
土曜日の韓国テレビは私の見たいものがない。
私は時代劇が好きでない。
国が崩壊するときの朝鮮王朝の時代のドラマ、なぜか見たくない。
一部の宮中は華やかな生活をドラマに放映されているがその下で苦しんでいた一般の民衆のことがそのドラマの影にあるので見たくない。
朝鮮王朝時代、我が家の歴史をたどれば両班の家で村では大地主で私から見ると曾祖父にあたる人は漢文を書いて書物を読んで過ごして生活を送る優雅な人生だった。日本植民地支配に入るところで田畑など土地はすべて日本総督府に取られていく歴史がある。1町だけ残された歴史がある。1町では一族の暮らしがなりたたない。小作人になった祖父は人の下で働くことが苦手だったが家族を養うために韓国全土の放浪して出稼ぎをした。そして食べるために日本にくれば食べられると考えて日本の京都に来た。京都駅の鉄道工事の労働者になって----。そしてやがて土建業の親方として財をなしていくが女と別れるたびに一文無しになっていく祖父の人生だった。
そんな親を見て育った叔父たちのほとんどは日本の会社で働くサラリーマンになったのかもしれない。
5歳で渡日した私の父親は祖父母から日本植民地支配に入るときにすべて取られた土地のこと。土地を取られて田んぼの前でショック死した曾祖父の嫁だった。日本に渡ってきた曾祖母は2度目の嫁である。
曾祖父は日本総督府がした土地調査法のときに申告書がかけなかった(日本の文字でかけないのがあたりまえ)ので警察に引っ張られて拷問も受けている。
留置場から出してもらう条件は土地を渡すことことだった。
よほど祖父はこの過去の歴史がわすれられないのか父親に話していたのだろう。
父親はまた2世の子どもたちに語り継いだ。
日本は日本植民地支配について道路建設や建物を作ったと自慢として話すがそうして植民地支配を美化している。しかし私は父親から語り継いだ我が家の歴史から見ると誰も日本植民地支配には喜んでいない。親日派も生きるための手段だったと思っている。2世は親から聞いた話をまた3世に語り継がないといけないと思ってここにたびたび我が家の歴史を書いては3世たちの甥や姪たちに残している。日本国籍にしても我が家の自負する歴史があったということを伝えていくためにも。
このとき朝鮮王朝の政府を司る関係者はなぜ世界情勢が見えなかったのか。
内々の内政干渉で明け暮れた歴史が垣間見えてどうしても時代劇は見る気がしない。ただそれだけである。
そして人間関係の縺れやしがらみや敵・見方関係も半端ではない。
すぐに済州島に島送りしていくその内容に私は好きになれないので見ない。
土曜日、これまで「ジャイント」が放映されていて楽しみにみていたが今は時代劇で見る気がしないのでみない。
それで土曜日の韓国テレビは見る気がしない。
4時7分です。
インターネットで韓国新聞をみます。
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