けれど関係者がバス停まで送迎して下さったのでそう負担に思わないですんだ。
遠いところからの訪問で関係者はかなり気を使って下さっているのが伝わった。
けど遠いな。池田市からバスに乗っても20分毎にバスがあればそう不安にならないが1時間に1本である。帰りも3時台はなくてそのかわり2時台は2本ある。その3時前のバスに合わせて会場を退席したので思ったより早く自宅に戻ることができた。
しかし遠いところまできたもんだ。3人の記者から揃って口にでた言葉だった。
3人偶然にも同じバスだった。
こんなに遠い。車ならなんとか苦にならないと思ったがバスに乗って山間の渓谷に入ると若い記者に頼まなくてよかった。私が来てよかった。これでよかった。もし車できて山間の渓谷の道で事故でもおきたら大変だ。私が来てよかった。バスにのるまでこんな遠いところとぶつくさ文句言っていたが乗って30分ほどすると山間の渓谷なのにダンプカーがひっきりなしに通っている。砂利などの採石場があるのかひっきりなしに通る。
私でよかった。と思った。そしたらぶつくさいっていたのが悪かったと心の中で反省していた。
こんなところはのんびりバスにのって夜に宴会の楽しみがあって1泊とまりだったら楽しいだろうなと思った。そしてバス停で待っていても地元の人は地域の事情を教えてくれたので助かった。まだ人間関係の温かいものが残っていた。
日帰りはしんどい。帰るバスの時刻を気にしているので仕事は中途半端になった。
ここから少し行けばるり渓がある。かつて日刊紙を発行していた在日韓国人の新聞社の記者時代、るり渓谷の京都府るり渓少年自然の家に2回取材で現場取材をしている。1度は知人の車で同乗させてもらったが2度目は園部まででて園部からタクシーに乗って現場に入った。帰りはタクシーだったのかバスだったのか忘れた。子どもたちの夏休みのキャンプで入った。そのころ在日韓国人の青年会の人たちは子どもたちをサマーキャンプに連れて行って韓国の歌やハングルを教えてキャンプファイヤーもする2泊3日の合宿をしていた。青年会の皆さんは数十人の子どもたちを連れて行った。
るり渓谷の次は鞍馬峠を越えて花背で行われた。ふだん子どもたちがいけないところに青年会の人たちが連れて行った。このときの子どもたち小学生としたら今ごろはもう成人して結婚もしているだろう。
この時のことはみんなずっと思いでとして残っているだろう。
父親の仕事で韓国からきていて日本の公立小学校に行っていた小学5年のときにるり渓に参加している(韓国に帰国しても子どものころの思い出として残っているだろう)いったん韓国に帰国して大学は日本の大学に留学された。卒業して大学院に進んでしばらく日本で韓国語講師をしていたが韓国に帰国された。今は日本語が武器になって韓国で日本語講師をしている。
るり渓谷に行った時はもう日本語が上手になっていたけど最初、日本にこられたときは日本語がまったく使えなかった。しかし子どもはのみ込みが早い。日本の大学を卒業して今は日本語講師として仕事をしている。
世の中、どうかわるかわからない。昨年5月韓国に行った時に勤務しておられる日本語学院の前を通った。清渓川の側を歩いていくとある。
1時間、バスにゆられながらところどころにある「るり渓谷」の看板にまた在りし日々を思い出していた。
豊能町は山の上にあるのだろうか。雪がまだところどころに残っていた。
吹田の千里からタクシーで20分、料金は5千円以上かかるという。それはあかんな。やはり阪急池田駅からバスにのるのが利用しやすいアクセスだった。
時間的に1時半から始まった。送迎もバス停まで関係者がして下さったのでバスにものれた。阪急池田から電車に乗って御堂筋線地下鉄梅田から難波にでると4時25分、奈良行き特急は4時35分、乗れないと思っていた。4時55分の特急になると思っていたが35分の特急にのれた。よかった。特急券の窓口も空いていたのですぐ特急券も買えた。特急に乗ってあわわてトイレに駆け込んだが思っていたより早く帰れた。
けれどもうくたくた----。スーパーに買物に行っても楽なものばかり買っている。昨日豚肉と大根の煮付けをしたがその中にいれる絹さやを買って惣菜は筍の煮つけと高野豆腐の煮付けを買った。家に帰ってきてそれを綺麗に切って皿に盛り付けた。夫のおかずはもう1品、焼豚を切ってキャベツを切って皿にもりつけた。
今日は手抜き、大根の煮付けがあるから。
明日はカレーを作る。
レトロカレーのたくさんの頂者がある。夫はこちらのカレーの作り方を好んでいる。じゃがいもや人参、形がないのである。私はこれが嫌いでじゃがいもや玉葱そして人参も大きく切ってゴロゴロとしているのが好きである。なんか子どもの頃から食べているカレーの味が食べたい。明日はそんなカレーを作ろうと思っている。
これから今日は少しテレビを見てねよう。けど遠い。今日は遠かった。
ノムノム モロヨ。あまりにも遠い。
でも途中で退席したくないくらい講師の話は良かったのに-----。
残念と3人の記者は口をそろえて言っている。
けれどとにかく池田駅までもどらないと落ち着かない。
残念だった。
講演をしたソンセンニム(先生)ミヤナミダ(すみません)他の記者たちは「関西も広い。知らない人がいっぱいおられた。いいときに退席したことは残念や」と言っていました。私も後ろ髪ひかれながらバスに乗りました。
なんの取材か。それはまだ書けない。私の本職に掲載してから1度、少し書きたいものがあるので書き込みをしたい。今日はまだできない。残念。すみません。
遠いところからの訪問で関係者はかなり気を使って下さっているのが伝わった。
けど遠いな。池田市からバスに乗っても20分毎にバスがあればそう不安にならないが1時間に1本である。帰りも3時台はなくてそのかわり2時台は2本ある。その3時前のバスに合わせて会場を退席したので思ったより早く自宅に戻ることができた。
しかし遠いところまできたもんだ。3人の記者から揃って口にでた言葉だった。
3人偶然にも同じバスだった。
こんなに遠い。車ならなんとか苦にならないと思ったがバスに乗って山間の渓谷に入ると若い記者に頼まなくてよかった。私が来てよかった。これでよかった。もし車できて山間の渓谷の道で事故でもおきたら大変だ。私が来てよかった。バスにのるまでこんな遠いところとぶつくさ文句言っていたが乗って30分ほどすると山間の渓谷なのにダンプカーがひっきりなしに通っている。砂利などの採石場があるのかひっきりなしに通る。
私でよかった。と思った。そしたらぶつくさいっていたのが悪かったと心の中で反省していた。
こんなところはのんびりバスにのって夜に宴会の楽しみがあって1泊とまりだったら楽しいだろうなと思った。そしてバス停で待っていても地元の人は地域の事情を教えてくれたので助かった。まだ人間関係の温かいものが残っていた。
日帰りはしんどい。帰るバスの時刻を気にしているので仕事は中途半端になった。
ここから少し行けばるり渓がある。かつて日刊紙を発行していた在日韓国人の新聞社の記者時代、るり渓谷の京都府るり渓少年自然の家に2回取材で現場取材をしている。1度は知人の車で同乗させてもらったが2度目は園部まででて園部からタクシーに乗って現場に入った。帰りはタクシーだったのかバスだったのか忘れた。子どもたちの夏休みのキャンプで入った。そのころ在日韓国人の青年会の人たちは子どもたちをサマーキャンプに連れて行って韓国の歌やハングルを教えてキャンプファイヤーもする2泊3日の合宿をしていた。青年会の皆さんは数十人の子どもたちを連れて行った。
るり渓谷の次は鞍馬峠を越えて花背で行われた。ふだん子どもたちがいけないところに青年会の人たちが連れて行った。このときの子どもたち小学生としたら今ごろはもう成人して結婚もしているだろう。
この時のことはみんなずっと思いでとして残っているだろう。
父親の仕事で韓国からきていて日本の公立小学校に行っていた小学5年のときにるり渓に参加している(韓国に帰国しても子どものころの思い出として残っているだろう)いったん韓国に帰国して大学は日本の大学に留学された。卒業して大学院に進んでしばらく日本で韓国語講師をしていたが韓国に帰国された。今は日本語が武器になって韓国で日本語講師をしている。
るり渓谷に行った時はもう日本語が上手になっていたけど最初、日本にこられたときは日本語がまったく使えなかった。しかし子どもはのみ込みが早い。日本の大学を卒業して今は日本語講師として仕事をしている。
世の中、どうかわるかわからない。昨年5月韓国に行った時に勤務しておられる日本語学院の前を通った。清渓川の側を歩いていくとある。
1時間、バスにゆられながらところどころにある「るり渓谷」の看板にまた在りし日々を思い出していた。
豊能町は山の上にあるのだろうか。雪がまだところどころに残っていた。
吹田の千里からタクシーで20分、料金は5千円以上かかるという。それはあかんな。やはり阪急池田駅からバスにのるのが利用しやすいアクセスだった。
時間的に1時半から始まった。送迎もバス停まで関係者がして下さったのでバスにものれた。阪急池田から電車に乗って御堂筋線地下鉄梅田から難波にでると4時25分、奈良行き特急は4時35分、乗れないと思っていた。4時55分の特急になると思っていたが35分の特急にのれた。よかった。特急券の窓口も空いていたのですぐ特急券も買えた。特急に乗ってあわわてトイレに駆け込んだが思っていたより早く帰れた。
けれどもうくたくた----。スーパーに買物に行っても楽なものばかり買っている。昨日豚肉と大根の煮付けをしたがその中にいれる絹さやを買って惣菜は筍の煮つけと高野豆腐の煮付けを買った。家に帰ってきてそれを綺麗に切って皿に盛り付けた。夫のおかずはもう1品、焼豚を切ってキャベツを切って皿にもりつけた。
今日は手抜き、大根の煮付けがあるから。
明日はカレーを作る。
レトロカレーのたくさんの頂者がある。夫はこちらのカレーの作り方を好んでいる。じゃがいもや人参、形がないのである。私はこれが嫌いでじゃがいもや玉葱そして人参も大きく切ってゴロゴロとしているのが好きである。なんか子どもの頃から食べているカレーの味が食べたい。明日はそんなカレーを作ろうと思っている。
これから今日は少しテレビを見てねよう。けど遠い。今日は遠かった。
ノムノム モロヨ。あまりにも遠い。
でも途中で退席したくないくらい講師の話は良かったのに-----。
残念と3人の記者は口をそろえて言っている。
けれどとにかく池田駅までもどらないと落ち着かない。
残念だった。
講演をしたソンセンニム(先生)ミヤナミダ(すみません)他の記者たちは「関西も広い。知らない人がいっぱいおられた。いいときに退席したことは残念や」と言っていました。私も後ろ髪ひかれながらバスに乗りました。
なんの取材か。それはまだ書けない。私の本職に掲載してから1度、少し書きたいものがあるので書き込みをしたい。今日はまだできない。残念。すみません。
結局どこもサクラがいてうザかった。。。( ̄д ̄;;
でも、ここは5人中3人サクラだったけど、残りの2人はしっかり食ってきたぜ!!
見分け方わかってきたし、もっと食えそうだ
慣れたらうままーのなかなかオススメのところだぞhttp://betrun.net/do-p/142