今日、私は久しぶりに女友達と1年ぶりにあう。
ご主人が体調を崩されて目が離せなくなったので私とも会えない日が続いていた。今日は連休の半ば、近くに住む息子さんがきてたぶんご主人のそばにおられるのだろう。それで会うことになった。
連休はどこかに行きたいと思いながら遠出することは大変である。
どこも人出が多くてそれだけで疲れがでそうである。
夕方から空は雲ってくるといわれているがどうなることか。
今日は9時に外出の支度をしないといけない。
女友達と会う前に済まさないといけない用事がある。
銀行に立ち寄って通帳記入して確認してそして何がしを引き出してまた振り込むところがある。それを今日すまさないといけない。
昨日は桜井に行く道すがら天理街道を走ると左の山は様々な緑のコントラストが目を楽しませてくれた。
この山の辺の道を歩いて長岳寺まで行く人もいるだろう。
雑誌記者時代は長岳寺の「そば」が美味しいと有名だったので「大和の食べ物」で取材して記事にしたことがあった。それからもうずいぶんの年月が経った。今でもその「そば」があるだろうか。
昨日、この付近の天理街道を車で通りながらそう思った。
夫はしきりに「このへんで美味しいそば屋さんがあると聞いているが」という。
だったら「車をそちらに行こうか」と言ったが夫は「またお前に怒られる」と言う。山の奥に入る道が怖い。道なき道を走るのが怖い。
ずっと昔、生駒の山中に入って住宅街に出てきて曲がりくねった上り坂でしかも細い道で死ぬほど辛い目をしたのでそれから多くの人が通る道を走るようにことごとく言うので夫も私と一緒ではそんな山中に絶対に行かなくなった。
もう今では長岳寺では「そば」を作っていないのだろうか。
それで付近にそば屋さんができたのだろうか。
もう20数年前にもなる取材だったので状況は変わっているだろう。
車を降りて少し散歩すれば奈良のいにしえの歴史に多くぶつかるのに、たいてい素通りをして家路に向かっている。
そういえば町の中にこいのぼりをあまり見かけなくなった。
もっと前は、田園の中にある家の間から色鮮やかなこいのぼりが風の方向に向かって泳いでいた。
そんな風景に5月の間じかになると学校で習った歌が口からでていた。
~屋根より高い鯉のぼり、大きな真鯉はお父様、小さな緋鯉は子どもたち-----~なんて口にでたが---。
~柱のキズは一昨年の五月五日の背比べ、ちまき食べ食べ兄さんがはかってくれた背の丈~
さて「背比べ」に思う。
今は家に傷をつけられるのだろうか。
ちまきは昔、家で作って子どもたちが食べていた。何もおやつがなかった時代、ちまきも子どもたちの楽しみだった。
今は食べ物が町にあふれている。「ちまき」と言う言葉もしらない若者たちが多いだろう。日本の食べ物として生活の中に伝承していかなければならないだろう。
美しい家屋に住んでいると都会では背比べをした柱のキズはあるのだろうか。
そういえば天理街道から見える昔ながらの家屋を見ると懐かしかった。
木の雨戸に縁側があった。そしてその付近は少しだが畑と花畑のある家が多かった。
秋になるとこの庭はむしろが敷かれ収穫した豆が干したり米が干されていた。
韓国ではさしあってトウガラシが干されているというところである。
秋の色からにして韓国と日本の景色が違う。
韓国の庭に干されたトウガラシ、赤いトウガラシの風景に人が生きている活気が見える。
長い冬に向かっての一時に食べ物の補給で慌しい韓国人の暮らしである。
日本の風景は枯葉の色が多い。豆は小豆色や黒が多いが日本の田園は田んぼの稲刈りのあとでのんびりと穏やかな景色を出していた。
このへんから民族の気質が違ってくると今やっと気がついた。
こんな風景を写真にとって何かにまとめてみようかな。日本と韓国をまわって面白いだろうな。
風景の写真をとるなら誰にも話さなくても撮れていく。
面白いかもしれないな。
なんてそんなことを考えている。
さてもう外出の支度をしないといけない。
ご主人が体調を崩されて目が離せなくなったので私とも会えない日が続いていた。今日は連休の半ば、近くに住む息子さんがきてたぶんご主人のそばにおられるのだろう。それで会うことになった。
連休はどこかに行きたいと思いながら遠出することは大変である。
どこも人出が多くてそれだけで疲れがでそうである。
夕方から空は雲ってくるといわれているがどうなることか。
今日は9時に外出の支度をしないといけない。
女友達と会う前に済まさないといけない用事がある。
銀行に立ち寄って通帳記入して確認してそして何がしを引き出してまた振り込むところがある。それを今日すまさないといけない。
昨日は桜井に行く道すがら天理街道を走ると左の山は様々な緑のコントラストが目を楽しませてくれた。
この山の辺の道を歩いて長岳寺まで行く人もいるだろう。
雑誌記者時代は長岳寺の「そば」が美味しいと有名だったので「大和の食べ物」で取材して記事にしたことがあった。それからもうずいぶんの年月が経った。今でもその「そば」があるだろうか。
昨日、この付近の天理街道を車で通りながらそう思った。
夫はしきりに「このへんで美味しいそば屋さんがあると聞いているが」という。
だったら「車をそちらに行こうか」と言ったが夫は「またお前に怒られる」と言う。山の奥に入る道が怖い。道なき道を走るのが怖い。
ずっと昔、生駒の山中に入って住宅街に出てきて曲がりくねった上り坂でしかも細い道で死ぬほど辛い目をしたのでそれから多くの人が通る道を走るようにことごとく言うので夫も私と一緒ではそんな山中に絶対に行かなくなった。
もう今では長岳寺では「そば」を作っていないのだろうか。
それで付近にそば屋さんができたのだろうか。
もう20数年前にもなる取材だったので状況は変わっているだろう。
車を降りて少し散歩すれば奈良のいにしえの歴史に多くぶつかるのに、たいてい素通りをして家路に向かっている。
そういえば町の中にこいのぼりをあまり見かけなくなった。
もっと前は、田園の中にある家の間から色鮮やかなこいのぼりが風の方向に向かって泳いでいた。
そんな風景に5月の間じかになると学校で習った歌が口からでていた。
~屋根より高い鯉のぼり、大きな真鯉はお父様、小さな緋鯉は子どもたち-----~なんて口にでたが---。
~柱のキズは一昨年の五月五日の背比べ、ちまき食べ食べ兄さんがはかってくれた背の丈~
さて「背比べ」に思う。
今は家に傷をつけられるのだろうか。
ちまきは昔、家で作って子どもたちが食べていた。何もおやつがなかった時代、ちまきも子どもたちの楽しみだった。
今は食べ物が町にあふれている。「ちまき」と言う言葉もしらない若者たちが多いだろう。日本の食べ物として生活の中に伝承していかなければならないだろう。
美しい家屋に住んでいると都会では背比べをした柱のキズはあるのだろうか。
そういえば天理街道から見える昔ながらの家屋を見ると懐かしかった。
木の雨戸に縁側があった。そしてその付近は少しだが畑と花畑のある家が多かった。
秋になるとこの庭はむしろが敷かれ収穫した豆が干したり米が干されていた。
韓国ではさしあってトウガラシが干されているというところである。
秋の色からにして韓国と日本の景色が違う。
韓国の庭に干されたトウガラシ、赤いトウガラシの風景に人が生きている活気が見える。
長い冬に向かっての一時に食べ物の補給で慌しい韓国人の暮らしである。
日本の風景は枯葉の色が多い。豆は小豆色や黒が多いが日本の田園は田んぼの稲刈りのあとでのんびりと穏やかな景色を出していた。
このへんから民族の気質が違ってくると今やっと気がついた。
こんな風景を写真にとって何かにまとめてみようかな。日本と韓国をまわって面白いだろうな。
風景の写真をとるなら誰にも話さなくても撮れていく。
面白いかもしれないな。
なんてそんなことを考えている。
さてもう外出の支度をしないといけない。
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