それで冷房をいれた。
仕事でなくてパソコンで雑用していると冷房をいれていないときもあるが今日は風もなくて暑い。
朝からたまっていた雑用を片づけていく。
それをしないと編集局も雑用が片づけられない。
雑用が終わったのが10時です。
10時から昨日の現場の原稿を作成した。
終わったのが11時半、11時半から資料をFAX送信して終わると12時です。
これでやっと1つの仕事が終わった。
昨日は自宅を出たのが9時15分、9時半に行きつけの喫茶店に着いた。
間にあった。常連の人がおられた。
先日、コーヒーだけでなくサンドイッチを食べた私の支払いをして下さっていたのでこれはあかんと考えて韓国海苔をお返しに持っていった。
10時過ぎると喫茶店を出られるので急いで自宅を出た。
それから10時50分まで新聞2紙を読んで喫茶店を出た。
天理行きのバス乗り場に向かった。
少し待って11時6分の天理駅のバスにのった。
所要時間は30分余りです。
12時10分前に天理駅前についた。
「奈良おんな物語」で取材する天理市在住の女性が車で迎えに来て下さった。
大型店舗のコーヒー店に行った。ここで2時40分までいて彼女の車で天理市立北中学校夜間学級に行った。3時からの取材、私を見つけた93歳の1世の人が顔を見せてくれる。つい話がはずんでいく。1世の朴さんもものすごく苦労しているのに長生きしておられる。そして夜間中学に通って学んでいる。
ひとしきり自分の娘と私と年を重ねている。
私が育った木津町におられて私が小学6年の時に桜井市に引越しして行かれた。
桜井市でひのき縄の縄ないをして生計をたてて檜縄の縄ないの仕事が時代の流れで廃業していく。そして工場に勤めて子どもを何人も育ててこられた。
北朝鮮に帰国することも考えたらしい。
余りにも生活がしんどくて北朝鮮に帰ると楽といわれていたのでそんなことも考えていたと話されたことがあった。
しかし伴侶の人が何かを直感で感じとっていたのだろう。
「この日本に朝鮮人が一人もいなくなったらその時は帰るが今は帰らない」と断固として北朝鮮の帰国は反対した。
朴さんは「帰らなくてよかったです」と話されたことがあった。
こうした生きた歴史の事実を話して下さる1世です。
3時50分に学校を出た。
ボチボチと歩いて天理駅まで出た。
約15分程度、かかって天理駅に着いたのだろう。
4時16分のバスに乗るのにトイレを探すが駅ではみつからない。
結局、バス乗り場のところでしょうと思ったらバスが入ってきた。
次のバスを待つのが面倒でバスに乗った。
バスはまだ停まっているので運転手に「後、何分で発車しますか」と聞くと「2分と○○秒です」という。頭の中は2分しかない。これは無理とわかって「わかりました。奈良まで辛抱します」といった。
奈良に着くと4時55分です。
急いで近鉄奈良駅構内に入ってトイレに行ってトイレを済ませた。
急いでスーパーに足りない食材の買い物に行く。
5時半にバス乗り場に来ているがバスがなかなか来ない。
やっと来た市内循環バスに乗って自宅に戻ると6時です。
自宅にもどるとすぐにすると夫から電話が入る。
急いで夫の食べる食材を食卓に並べておいて私は家事をしていく。
夫が戻ってきて家事が終わってから私はシャワーを浴びた。
その後に台所に立ってざる蕎麦を湯がいて夕食はざる蕎麦にした。
私は疲れて食欲がない。
それでも8時半ごろにパソコンを開いて撮影した写真を取り込んだ。
30分ほど雑用してパソコンを閉じた。
ぼんやりテレビを見ている。
睡魔で寝たのが11時半です。
また来週は連日忙しい。
体力が持つのか心配です。
ホンマ---、1年1年体力が落ちているのか疲れが取れない。
さてこれから昼ごはんにします。
12時半になった。
仕事でなくてパソコンで雑用していると冷房をいれていないときもあるが今日は風もなくて暑い。
朝からたまっていた雑用を片づけていく。
それをしないと編集局も雑用が片づけられない。
雑用が終わったのが10時です。
10時から昨日の現場の原稿を作成した。
終わったのが11時半、11時半から資料をFAX送信して終わると12時です。
これでやっと1つの仕事が終わった。
昨日は自宅を出たのが9時15分、9時半に行きつけの喫茶店に着いた。
間にあった。常連の人がおられた。
先日、コーヒーだけでなくサンドイッチを食べた私の支払いをして下さっていたのでこれはあかんと考えて韓国海苔をお返しに持っていった。
10時過ぎると喫茶店を出られるので急いで自宅を出た。
それから10時50分まで新聞2紙を読んで喫茶店を出た。
天理行きのバス乗り場に向かった。
少し待って11時6分の天理駅のバスにのった。
所要時間は30分余りです。
12時10分前に天理駅前についた。
「奈良おんな物語」で取材する天理市在住の女性が車で迎えに来て下さった。
大型店舗のコーヒー店に行った。ここで2時40分までいて彼女の車で天理市立北中学校夜間学級に行った。3時からの取材、私を見つけた93歳の1世の人が顔を見せてくれる。つい話がはずんでいく。1世の朴さんもものすごく苦労しているのに長生きしておられる。そして夜間中学に通って学んでいる。
ひとしきり自分の娘と私と年を重ねている。
私が育った木津町におられて私が小学6年の時に桜井市に引越しして行かれた。
桜井市でひのき縄の縄ないをして生計をたてて檜縄の縄ないの仕事が時代の流れで廃業していく。そして工場に勤めて子どもを何人も育ててこられた。
北朝鮮に帰国することも考えたらしい。
余りにも生活がしんどくて北朝鮮に帰ると楽といわれていたのでそんなことも考えていたと話されたことがあった。
しかし伴侶の人が何かを直感で感じとっていたのだろう。
「この日本に朝鮮人が一人もいなくなったらその時は帰るが今は帰らない」と断固として北朝鮮の帰国は反対した。
朴さんは「帰らなくてよかったです」と話されたことがあった。
こうした生きた歴史の事実を話して下さる1世です。
3時50分に学校を出た。
ボチボチと歩いて天理駅まで出た。
約15分程度、かかって天理駅に着いたのだろう。
4時16分のバスに乗るのにトイレを探すが駅ではみつからない。
結局、バス乗り場のところでしょうと思ったらバスが入ってきた。
次のバスを待つのが面倒でバスに乗った。
バスはまだ停まっているので運転手に「後、何分で発車しますか」と聞くと「2分と○○秒です」という。頭の中は2分しかない。これは無理とわかって「わかりました。奈良まで辛抱します」といった。
奈良に着くと4時55分です。
急いで近鉄奈良駅構内に入ってトイレに行ってトイレを済ませた。
急いでスーパーに足りない食材の買い物に行く。
5時半にバス乗り場に来ているがバスがなかなか来ない。
やっと来た市内循環バスに乗って自宅に戻ると6時です。
自宅にもどるとすぐにすると夫から電話が入る。
急いで夫の食べる食材を食卓に並べておいて私は家事をしていく。
夫が戻ってきて家事が終わってから私はシャワーを浴びた。
その後に台所に立ってざる蕎麦を湯がいて夕食はざる蕎麦にした。
私は疲れて食欲がない。
それでも8時半ごろにパソコンを開いて撮影した写真を取り込んだ。
30分ほど雑用してパソコンを閉じた。
ぼんやりテレビを見ている。
睡魔で寝たのが11時半です。
また来週は連日忙しい。
体力が持つのか心配です。
ホンマ---、1年1年体力が落ちているのか疲れが取れない。
さてこれから昼ごはんにします。
12時半になった。
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