goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

友ちゃんブログ

適当で、いい加減・・・それが理想

麦茶のサーバー

2012年09月25日 07時23分25秒 | O村高校

ステンカラーコートの記事を読みかえしながら「まことや」さんについて思い出したことがあるので・・・。

高校2年生の夏の事です。
今は「まことや」さんは市立図書館前に移転してますが、当時はアーケードにありました。
丁度今、再開発をしている一画だったですね。

夏には店先に麦茶のサーバーを置いておられました。
店先でしたので、お客様のみならず通行人にも「冷えた麦茶をどうぞ」のサービスだったのでしょう。よく、その麦茶を部活の練習の帰りに吉田三つ足君と頂いて帰ってました。 

多分「品良く一杯だけ」では無かったはずです。
しかも、1度だけじゃありません。
昨日も、今日も、そして明日も、って。
それでも、いやな顔もせずに飲ませてくれてましたね。
まぁ、学生服も取り扱っておられましたから、無理に断れず、と云ったとこでしょうけどね。

その節はお世話になりました。

 

↓ ランキング参加中。ご面倒ですが、ポチッと頂ければ励みになります。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ステンカラーコート

2012年09月23日 11時55分55秒 | O村高校

衣替えをしていて、捨てたと思っていたコートが見つかりました。

以前記事としてUPしたステンカラーコートです。

P9230026

タンスに掛って無かったんで、てっきり捨てたと思っていたんですが、そうではなくてわざわざクリーニングに出して衣装ケースにしまっていました。
しわだらけになってますけど。


P9230028

高校当時、冬場の登下校時に防寒着として着ていたコートです。
今から34年ほど前まで、になりますかね。

その当時流行りの「  」なんですよ。

P9230027

当時、男子生徒の防寒着として流行ったのが、このステンカラーコートとトレンチコート。 

「VAN JACKET INC 」は卒業した年の4月に事実上倒産したんでした。今はまた新しくなって復活しているみたいです。
トップブランドでありながら倒産ということで、「多少希少価値がでるかも」と取っておいたんでしょう。


記憶では3年間で買ったコートの数はトレンチが2着。そして、このステンカラーが1着。
1年の冬に最初に買ったのはトレンチだったと思います。
 
これはどこで買ったのか? 買って送ってもらったのか?覚えてないなぁ。
トレンチは確か「Fワン東京屋」さんだったなぁ。
 
 
改めて次男に

 「これ着らん?」と見せたのですが、

「着らん」

 「VANぞ!」

「・・なん、それ?聞かんね」

 「VAN・・・は知らんか・・・・」

 

 

↓ ランキング参加中。ご面倒ですが、ポチッと頂ければ励みになります。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本郷先生と鉛筆

2012年08月26日 10時31分51秒 | O村高校

前記で思い出したので。

高校1年。私は7組の野郎組み。
教室は旧講堂内(2階)に臨時に建てられたプレハブ教室。

 

以下の話は、私自身の記憶なのか?
それとも、横で見ていた事だったのか? 
が、今となっては良くわかりません。
何となく記憶が合成されてるような気もするのです。席が教壇の前になった時の事なのは確かなのですが・・・。

先生が教室に入ってこられました。
皆がバラバラと起立。
すると、先生は「やり直し!」と仰って一旦教室の外へ出て引き戸を閉められました。

再び引き戸を開けて入室。

皆が一斉に起立。

教壇の前に立たれました。

一礼。

そして、

皆が着席。

その当時、先生が教室入り口の引き戸を開けて入室されたら、
特に号令をかけなくとも、皆一斉に立ち上がっていたような記憶があります。
いや、やっぱり日直が号令を掛けていたのかしら?
どげんやったっけ?

私の席は教壇のすぐ前ですから、先生に一番近いのですが、
その位置からは先生を見上げる形になりやや辛い位置です。
それで、下方の机か教壇の前板を見ているのが楽ですね。

 
 

いきなり先生の掌が目の前に。
私には何の事だか分りません。

「 えっ? 」と先生の顔を見上げます。

「 鉛筆 」

「あっ、はい」

と筆箱からシープペンを取り出し渡します。

「いや、鉛筆」

「あっ、あっハイ」

シャープペンではなく鉛筆と指定。
鉛筆を取り出し渡します。
先生は受け取った鉛筆の芯の研げ具合をチェック。

軽く首を縦に振り OKのサイン。

そして、おもむろに出欠確認を始められます。

出欠確認が終わると、スッと無言で鉛筆を返され授業開始です。

 

以後、本郷先生の授業の時は、教壇の直前の席の者は出欠用鉛筆準備担当です。
鉛筆の研げ具合が悪と良い顔はなさいません。
前もって家で鉛筆削りで削ってくるか、
教室でカッターで研いでおくか準備しておかなくてはなりません。

↓ ランキング参加中。ご面倒ですが、ポチッと頂ければ励みになります。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

 
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菜系あだな

2012年08月25日 00時16分38秒 | O村高校

ふと思い出したのでUPします。同級生ネタです。

〝あだ名〝についてです。

あだ名は時として本人のウイークポイント等を突いている時があります。
ですから、誰しもが喜んで呼ばれている訳ではないこともありますね。
でも、そうであればあるほど、親近感や仲間意識が強かったりもしますね。
友達じゃないとそう呼ばない、みたいに。

 

今回は野菜系あだ名について、お二方。

 

まず、お1人目。

「じゃーる(ジャール)」
ご存じ? I丸信吾くんです。
これは確か中学校当時についたんじゃないかな。

その言われは・・・。

当時中学生は校則で丸坊主が当たり前でした。
実はI丸君の頭、いわゆる頭蓋骨は多少歪(いびつ)でした。

と云っても、あくまで皆に比べると、少し凸凹が多いという程度です。

その凹凸を誰かがちょうどどジャガイモみたい、と云ったのがきっかけだったと思います。

Eyes0459_2

(画像はコピペさせてもらいました)

「ジャガイモのような頭のI丸」

それが、

「ジャガイモのI丸」

さらに

「ジャガ丸」

そして最終形

「ジャーる(じゃーる、ジャール どれが正式なのかは分りません)」

となったんじゃなかったかな。
その後の進化形で高校当時は何と呼ばれていたか、ちょっと記憶にありませんが・・・。

私の中では今でも〝じゃーる〝です。

 

 

では、お二人目。

「 たまねぎ 」があだ名だったT口敬治君についてです。

彼とは高1の時に7組(野郎クラス)で一緒でした。
男ばかりのクラスなので、詰まらんことが流行るんです。
誰かの背中を皆で寄ってたかって両手でバチバチと叩くのです。
これはその効果がもっとも出易い冬の体操着の時にやってたんじゃないでしょうか。
標的を誰かが指示し、誰かがそいつの上着をめくり、逃げないように誰かが押え、
残りの皆が両平手で思いっきり叩くのです。
当然、背中は真っ赤になります。痛そうに苦悶するのを見て楽しんでいましたっけ。

 

さて、本題ですが、

その言われは・・・

7組の一時の流行に、ゴムバンドで髪を頭のてっぺんにまとめることが流行りました。
これも誰かが標的を絞り、本人をはがい締めにして動けないようにし、他のものが輪ゴムで髪をくくっちゃうんです。
当然、こういったいじめみたいなことは、割りと温和な人間が標的となるものです。
標的の一人となったのが敬二でした。

彼の顔は少し丸顔でしたから、その容姿が「玉ねぎ」にそっくりだったんですよ。

Onion3e_3

(画像はコピペさせてもらいました)

う~ん、頭のてっぺんで噴水みたいにまとめ上げるんです。

下の画像みたいに。



09052009n_b

(画像はコピペさせてもらいました。)

 

それで、「たまねぎ」とあだ名がついたんだと記憶しております。


以上は、私が記憶している事です。それが正しいのかは保証できません。
これを読んだ同級生からの情報も見ることにしましょう。

御二方、勝手にUPお許しを。

 

あっ、そうだ。〝たまねぎ〝君についてもう一つ。

それは、生物の授業でのこと。
本郷先生がたまねぎに質問をされました。(前後の流れは覚えてないけど)

本郷先生 「T口、カメは何呼吸か?」

たまねぎ 「(起立し、しばし考えた挙句)・・・エラ呼吸です」

一同   「ハハハッ、ケケケッ」

本郷先生「カメがエラ呼吸なら、そりゃ、スーパー天然記念物たい!」


予告 : 次に本郷先生についてちょこっと上げますね。

↓ ランキング参加中。ご面倒ですが、ポチッと頂ければ励みになります。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合唱

2012年08月19日 19時14分12秒 | O村高校

本日同窓生のnsh君からコメントを貰いました。
その中に、当時音楽の担任だった植木先生の退職コンサートに行ってきた、と書いてありました。
それで、思い出したことがあったので早速UPさせてもらいます。

大村高校1学年の時は、私は7組。
以前も書きましたが、1学年では唯一男ばかりの野郎クラスでした。
芸術の専攻は音楽。
その音楽の担任が大高へ赴任したばかり(多分)の植木先生でした。

教科書とは別にいろんな歌のプリントをもらいました。

その当時先生がお好きだったのでしょうか。

岡林信康の「手紙」や「チューリップのアップリケ」等をよく歌わされました。

</object>
YouTube: 手紙/ 岡林信康



</object>
YouTube: チューリップのアップリケ 岡林信康

この2曲差別がテーマです。
重い歌です。

 

他にも歌いましたよ。
「 モルダウ 」とかね。

</object>
YouTube: モルダウ 【合唱】




さて、ある日の植木先生の授業中。 先生のピアノ伴奏で合唱の練習。

その合唱曲は何だったかは覚えていません。

合唱の中で音階が高くなっていくフレーズだったか、もしくは、変調するフレーズだったかで、 誰か、いや数人、いやいやもっと多くの仲間だったかも知れませんが、ちょっとふざけて歌ってしまったのです。 多分初回は「もう一回、やり直し!」とおっしゃったんだったと思いますが、歌い直しの時にもまたふざけて歌ったしまったっため、

先生は鍵盤を叩き「授業はやめだ!お前たち勝手にせろ!(まぁ、そんなセリフたったと思います)」と相当お怒りになり、隣の控室に入ってしまわれました。

若い先生だったからでしょうか、
私たちは野郎クラスと云うこともあり、多少おちょくり気分だったかもしれません。
ふざけ過ぎたようです。

シーンとした教室の中、当人達はもとより全員で反省をし
「このままという訳にはいかんやろ」
「先生に詫びを入れて、授業をしてもらわんばやろう」
と云うことで、代表2人が控室にお詫びと授業の続行をお願いしに行ったのです。
その代表2人は誰だったっけ? 残念ながら覚えてないなぁ。

その後、先生は授業を続けてくれました。良かった良かった。

この音楽の授業、先生の都合で自習の時間があったりしたんですが、
そんな時はBケンやヤートが生ギターを演奏してくれたり、その伴奏に合わせて歌ったりして、結構楽しかったですね。 

植木先生の退職コンサート のプロフィールからも、先生は合唱がお好きだったんですね。

UPのきっかけになったnsh君に感謝。

 

追記 : 

恒吉さんが退職コンサートの様子がTV放送されたのをYoutubeにUPしてくれました。

私たちが16歳、先生は23歳だったんですね。いやぁ、懐かしい。

リンクです。

 → → 植木幹彦先生退職記念演奏会

 

↓ ランキング参加中。ご面倒ですが、ポチッと頂ければ励みになります。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする