チモシェンコ大村のロン・ポール研究+くだらない話

ロン・ポール氏のブログ翻訳を通じて、リバータリアン思想・オーストリア経済学について勉強しています。

インターネット革命は自由革命である

2012-10-23 13:41:01 | 監視国家
Texas Straight Talk 2012/10/22

The Internet Revolution is a Liberty Revolution

インターネット革命は自由革命である(拙訳:チモシェンコ大村)

1990年代後半までは、オーストリア経済学や合衆国憲法の歴史、リバータリアン思想について興味を持ったとしても、それらに関してほとんど情報がありませんでした。ミーゼスやロスバード、ハイエクの偉大な業績を探そうと思えば、何時間も費やして、古本屋を巡ったり、知名度の低いリバータリアン系雑誌のバックナンバーをあさったりしなければなりませんでした。当時、地方の図書館や大学では、リバータリアン政治学や経済学の書籍は無視されていたのです。

しかし現代では、インターネットさえあれば、誰でもすぐに、リバータリアン思想やリバータリアン経済学に関する古典的名作に触れることができます。リバータリアン活動家は、国家権力の害悪や、自由がもたらす恩恵について、かつてないほど容易に情報を広めることができるようになりました。これもインターネットのおかげです。人類の歴史の中で初めて、世界中にいる自由の信奉者たちは、国境を越え、迅速かつ安価に情報を共有することができるようになったのです。この情報は、政府による検閲なしに、国家権力を疑問視し自由を推進しようとする何百万人もの同志を勇気づけてきました。

だからこそ、自由を志向する米国民は、あらゆる手段を尽くして、インターネットを介した自由な情報伝達を検閲したり制限しようとする政府の試みに反発し、それを阻止しなければならないのです。

そのような政府の試みの一つが、CISPA(Cyber Intelligence Sharing and Protection Act)と呼ばれるものです。この法案は、大企業と政府の巨大な癒着を産み出し、米国民から、合衆国憲法修正第4条(訳注※)で保障された人民の権利を奪うことになるでしょう。

(訳注※ 不合理な捜索および押収に対し、身体、家屋、書類および所有物の安全を保障されるという人民の権利は、これを侵してはならない。)

CISPA法案のもと、連邦政府と民間企業は、“サイバーセキュリティ”という名目であれば、司法のチェックを受けることなしに、個人のオンライン通信記録を閲覧することができるようになります。しかし、米国は立憲共和制国家であり、監視国家ではありません。セキュリティの必要性が過剰に宣伝されていますが、だからと言って合衆国憲法がくつがえされることはありません。

“サイバーセキュリティ”の確保は、サイバースペース上で会社を運営し利益を得ている企業の責務であって、納税者の責務ではありません。インターネット企業は、ネットワークやサーバー、クラウドデータセンター、ユーザーや顧客の情報を守るために、市場を基盤とした民間レベルでの解決法を模索するべきです。政府の諜報機関の役割は米国を軍事的脅威から守ることであり、民間企業を助成することではありません。空港におけるTSA(運輸保安局)のように、CISPAも、セキュリティ対策を国営化することで、民間企業が自分で自分を守るインセンティブを奪うことになるでしょう。

想像してください。機密情報取扱許可を持った政府の役人が民間企業に配置され、顧客に関する機密情報を政府の諜報機関に送る橋渡しをするのを。しかも、彼らには免責特権が与えられています。想像してください。グーグルやフェイスブックが、一般市民のオンライン通信について国家安全保障局に直接報告しているところを。想像してください。国際市場において民間企業を“支援する”ためだけに、政府の膨大なリソースが無駄に使われるのを。CISPA法のもと、これらのすべてが現実のものとなります。

この記事を書いている時点では、下院と上院は、CISPA法案の最終案について今年中に合意に達することはなさそうです。しかし、議会がすぐに動かなかったとしても、オバマ政権は大統領令を行使し法案成立を強行する構えをみせています。

過去5年間にわたり、リバータリアン運動は急激な高まりをみせました。これも大部分はインターネットによるものです。リバータリアン運動が発展し続けるためには自由を守ることが不可欠です。したがって、インターネットの自由をめぐる戦いは、リバータリアン運動の活動家全員に関係のあることなのです。我々は力を結集し、インターネットへの介入を拡大させようとする政府に立ち向かわなければなりません。その介入の表向きの理由がいかに正当であってもです。モラルや政治的正当性を圧力をもって法制化しようとする政治的右派や左派のことばに抗わなければなりません。著作権保護、ポルノ、サイバーテロ、賭博、“差別発言”―――こういったものは、国家の規模や権限を増大させるという、人類史上あらゆる国家がやってきた行為を正当化するための言い訳に過ぎません。

この点が分かれば、インターネットの自由と人間の自由は切っても切れない関係にあることが理解されるでしょう。

ごまかしの統計

2012-10-17 10:31:01 | 経済
Texas Straight Talk 2012/10/15

Keeping Up Statistical Appearances

ごまかしの統計(拙訳:チモシェンコ大村)

労働統計局が先週発表した雇用統計に、現政権の支持者は大喜びしています。オバマ政権が権力の座について以来初めて失業率が8%を下回ったのです。これを受けて、ケインズ主義者たちは皆、ホリデーシーズンと大統領選を目前にして米国の経済は確実に回復に向かっていると主張しています。しかし一方で、政府の策略を見抜いている人もいます。

実際の状況は、景気回復どころではありません。2千3百万人もの市民がいまだに失業中か、慢性的な不完全雇用の状態にあるのです。この数値は来年さらに上昇することが想定されています。ワシントンの現状をみれば、楽観できる材料は全くありません。政治家は、経済停滞の原因を正直にかつ知的に分析することを拒み、真の解決策を真面目に考えたり実行したりすることはありません。彼らにとっては、バラ色の分析結果が出るように統計値の定義を変え再計算するほうが、ずっと楽で痛みを伴わないのです。そこには、いつか状況がどうにか変わるだろうという根拠のない希望しかありません。しかし、こんなやり方を続けるだけでは何も改善しないのです。

現在の経済的苦境を長期的に解決するには、短期的な痛みを伴います。連邦準備制度理事会(FRB)のような欺瞞に満ちた巨大な組織の経済的役割を再評価することは、権力を持った一部の人間にとって不都合になります。同様に、政府プログラムの停止や不要な省庁の廃止を言い出せば、必ず誰かを怒らせることになります。それによって政府からのお金を受け取れなくなる人が出てくるからです。

積んだリンゴが全部腐っていても、誰も手押し車をひっくり返そうとしません。

労働統計局の発表する失業率には、失業者の全てがカウントされているわけではありません。これは秘密でも何でもありません。1994年に、政府の統計学者が、失業統計から大量の人間を差し引くために、“就業意欲喪失労働者”(discouraged worker)という言葉を作ったのです。これにより、政府は、国民に職探しをあきらめさせるだけで、失業率を下げることができるようになりました(訳注:つまり、ホームレスなど、職探しをあきらめたとみなされた人は失業者としてカウントされない)。

政府は雇用を生み出すどころか、失業率を人為的に下げることで意図せぬ結果をもたらします。

理想的には、労働統計局が発表する数字が妥当で、企業がそれに頼れるほうがいいのです。しかし、賢明な企業人であれば、労働統計局の統計を信用すれば判断を誤り失敗につながるということを知っています。先日発表された雇用統計に関して、投資家のジム・ロジャーズは、「政府のアドバイスを聞くべきでない。特に米政府のアドバイスは。政府はしばしば国民を間違った方向へ導く」とコメントしています。また彼は、大統領選が目前に迫っていることも指摘しており、政府が統計をごまかすのには格好のタイミングであったとしています。

生産的経済の真の推進力となる企業人には、偽りの数字をもとにリスクをとることなどできません。まさにこれが、経済学者であるジョン・ウィリアムズがShadow Government Statisticsというウェブサイトを立ち上げた理由です。彼は、従来の方法論と定義をもとにした統計を用いることで、ビジネス界の意思決定者たちに、実際の経済状況をありのまま伝えています。彼は、実際の失業率として、22.8%という驚くべき数字を挙げています。

これは、真実として受け入れがたい数字です。政治家にはこの数字を飲み込むことができたとしても、国民は遅ればせながらも真の改革と真の解決策を求めるようになるかもしれません。景気刺激策と呼ばれる財政出動や、量的金融緩和、無数の規制など、ワシントンの人間のやることはすべて景気悪化につながっただけだと考えるようになるかもしれません。国民は、政府から配られる金が少なければ少ないほど民間部門により多くのお金が残り、ただの見せかけとは異なる真の繁栄を再び享受することができるということを理解するようになるかもしれません。

政府への依存が混沌を呼ぶ

2012-10-10 09:23:11 | 経済
Texas Straight Talk 2012/10/08

Government Dependency Will End in Chaos

政府への依存が混沌を呼ぶ(拙訳:チモシェンコ大村)

政府からの施しに依存することに関して否定的な発言をすれば、メディアはそのような発言を「物議を醸す意見」としてレッテルを貼ろうとします。しかし実際は、そういった発言は絶対的に正しいのです。政府に依存している米国民は全体の半分どころではなく、それ以上です。フードスタンプ(食料配給券)や生活保護を受けている人だけでなく、メディケアや社会保障を受けている高齢者や、政府に直接雇用されている人を計算に入れると、3億8百万人の全人口のうち1億6千5百万人もの人が政府に依存していることになります。これは人口の53%に相当します。

社会保障やメディケアは国民の権利だと主張する人もいます。なぜならば、これらの制度を支えるために国民は税金を払い続けてきたからであり、あるいは、苦しい状況に陥った人のために政府によるセーフティーネットが必要だからだというわけです。しかし、国民が頼みにしてきた財源が、国家破綻や過剰なインフレによって無価値になってしまえば、このような考え方は無意味になります。

問題は、人間の尊厳や政府への依存についてではなく、政府のする約束はいつも欺瞞に満ちているということです。

先日FRB(連邦準備制度理事会)は、金利をほぼゼロに維持し、銀行のもつ価値のない資産を無期限に買い続けることを発表しました。これにより、議会は、財政赤字や債務を気にすることなく支出できます。システム全体が崩壊するまで、議会が無責任に散財するのは目に見えています。まさにブレーキのない暴走列車です。連邦債務の上限を決める法律は、政府支出を抑える上で全く役に立っていません。おそらく年内にも、再び債務上限を引き上げなければならなくなるでしょう。ギリシアは今、緊縮財政を強いられ、町では暴動が起きています。いくつかの現実的な予測によると、連邦政府に財政規律を与える術を見つけなければ、ギリシアで今起きていることが10年以内に米国でも起こる可能性があります。

ひとたび全システムが崩壊すれば、医療や食料配給、シェルターは国民の権利だとする主張にはほとんど意味がなくなってしまいます。政治家が大量のリソースを横取りして不適切に運用してきたことを考えれば、その崩壊はほぼ避けられないように思えます。それなのに、政府に大きく依存する国民の数は危険なほどに高くなっています。正直なところ、この事実を私は非常に恐れているのです。

さらに悪いことに、企業への助成金の額も過去最高となっており、減少する気配はありません。数値化は難しいですが、ケイトー研究所のタッド・デヘイブンの推定によると、連邦政府は、社会福祉支出のほぼ2倍のお金を企業助成に使っています。これに関しては、両党とも同罪です。企業はますます、納税者からの贈り物に依存するようになってきているのです。かつて企業は、良質な商品をより安価で消費者に提供することだけを考えていました。しかし今は、ウォールストリートで成功するか否かは、Kストリート(訳注:ワシントンDCにあるロビイスト街)に敏腕ロビイストを送り込めるかどうかに全てかかっているのです。政府からの受注や助成金、救済措置に依存している“民間”企業の従業員を含めるならば、政府に依存する人の数はさらに多くなります。

政府が国民に課税し、紙幣を印刷したところで、新たなリソースは生まれません。政府はただ富を再分配するだけです。そして一方で、無駄だらけの大規模な官僚機構を産み出します。政府は、健全であったはずの経済に寄生する巨大な吸血虫なのです。我々は、ワシントンにいる無責任な政治家に強大すぎる権限を与え、あまりにも長い間、彼らに経済を任せすぎてきました。彼らがシステムを崩壊させたときにもたらされる混沌は、非常に多くの人にとって痛みを伴うものになるでしょう。経済を再び活性化するには、政府による規制や助成を排除した自由市場経済を確立しなければなりません。

答えは、さらなる事業や支援を政府に要求し続けることではありません。答えは、政府への依存が国家破綻をもたらす前に、我が国の経済と国民をワシントンの支配から解き放つことなのです。

ゴールドは良貨である

2012-10-03 12:02:48 | 経済
Texas Straight Talk 2012/10/01

Gold is Good Money

ゴールドは良貨である(拙訳:チモシェンコ大村)

昨年のことになりますが、FRB(連邦準備制度理事会)議長は私に、「ゴールドはマネーではない」と言いました。各国の中央銀行や政府、主流経済学者が主張するこのような考え方は何十年にもわたりコンセンサスを得てきました。しかし最近になって、このコンセンサスから離れた意見をする人が著名な経済人の中にも現れました。先日のフォーブスの記事によると、ブンデスバンク(ドイツの中央銀行)総裁と二人の名高いアナリストがドイツ銀行にて、ゴールドは良貨であると賞賛したそうです。

なぜゴールドは良貨なのでしょうか。それは、ゴールドは、市場が求める貨幣としての特徴を全て備えているからです。ゴールドは、分割可能であり、持ち運び可能であり、見分けが可能です。そして、何よりも重要なことに、その量が少ないため、安定した価値保存手段となります。ゴールドは、市場が良貨に求める全ての基準をクリアしており、歴史を通し良貨として認められてきました。ごく最近のFRBによる量的金融緩和の後、ゴールドの価格は1オンス1800ドル近くまで上昇しました。これは、フィアットマネー(法的不換紙幣)の価値が下がる一方で、ゴールドが本当のマネーであることを皆が理解しているからです。

この点については、中央銀行の人間も、表向きは否定しますが、実際には理解しています。国際通貨基金(IMF)の強い影響力は、その莫大なゴールド保有量に起因すると考えるアナリストもいます。そして、世界各国の中央銀行も、過去1年間にわたってゴールドの保有量を増やしています。市場経済の新たな局面に入りつつある中、彼らは欧米のフィアットマネーから自国を守ろうとしているのです。

フィアットマネーは良貨ではありません。なぜならば、それは制限なしに発行することが可能であり、したがって、安定的な価値保存手段になりえないからです。フィアットマネー制度は、紙幣の印刷機を動かす一部の人間に完全な裁量権を与え、政府が増税という政治的リスクを犯すことなくお金を使うことを可能にします。フィアットマネーはそれを作り出した人間と、それをまず初めに受け取る人間に利益をもたらし、政府とその取り巻きの懐を肥やすのです。このようなフィアットマネーの負の一面は隠蔽されています。なぜならば、FRBの作り出す金こそが、未来のバブル崩壊と物価上昇、失業、生活水準の低下を引き起こす原因だということを国民に気づかれてはならないからです。

このような事情があるからこそ、安定したマネーを選ぶ自由を国民に与えるのは非常に重要なことなのです。今議会の初めに、私は、通貨の自由競争法案(下院法案1098号)を提出しました。これは、ゴールドをマネーとして使用することを再び認める法案です。ゴールドやその他の貴金属への課税をなくし、法定通貨に関する法律を無効にすることで、健全なマネーとフィアットマネーのどちらかを選ぶことができる選択権を国民に与えるのです。これまで通貨の独占者がしてきたように政府がしつこくドルの価値を落とし続けるのであれば、国民は、ゴールドのように健全かつ安定的な代替のマネーを使うことで自らの身を守ることができるようになります。

フィアットマネーのピラミッドが崩れる一方で、ゴールドの輝きは変わりません。ゴールドは、ケインズ派が我々に信じ込ませようとしたような粗悪な過去の遺物などではなく、ブンデスバンク総裁が表現したように「不朽の傑作」なのです。中央銀行や政府がゴールドを中傷するのは、ゴールドが、フィアットマネーの価値低下と政策の欠陥を露呈するからです。政府がゴールドを嫌うのは、国民がそれによって騙されないからなのです。