チモシェンコ大村のロン・ポール研究+くだらない話

ロン・ポール氏のブログ翻訳を通じて、リバータリアン思想・オーストリア経済学について勉強しています。

厄介な隣人と債務上限問題

2011-07-26 20:03:41 | 経済
お馴染み、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから

Texas Straight Talk 2011/07/25

The Pesky Neighbor and the Debt Ceiling

厄介な隣人と債務上限問題(拙訳:チモシェンコ大村)

想像してみてください。あなたの名義で住宅抵当貸付を受けた厄介な隣人がおり、なんらかの法律上のからくりにより、あなたにその借金を返済する義務があるとしたら。あなたは、その隣人が、飲み騒ぎ、高級車を買い、自宅を増築し、手足となって働く召使を数十人も雇うのを見ている。さらに、彼は、あなたの名義でクレジットカードを何枚も手に入れてしまう。彼は、それらを1枚、1枚、限度額いっぱいまで使い切り、あなたの信用を利用して次から次へと新たなクレジットカードを手に入れる。この隣人は、限度額まで使ったカードの利子を払うためさらに新しいカードが必要だと毎度訴える。もし彼が返済を怠ったら、あなたのクレジットスコアに傷が付き、あなたが自分の買い物をするときに融資を受けるのが難しくなるだろう。払わなければならない利子も高くなるだろう。あなたは思いを巡らし、自分名義でされた借金が踏み倒されないよう、彼がまた別のクレジットカードに申し込んでも相変わらず何も言わない。その一方で、新しいピカピカのベンツがもう一台、彼の家の前に現れる。いつになればあなたはこのゲームにうんざりするのでしょうか。良い方策が残されていないとは言え、最終的に「勝手に借金を踏み倒せばいいが、俺の金を使うのは止めろ!」と彼に言うつもりはあるのでしょうか。

この比喩は、政府と債務上限に対する我々の状況を表しています。政府は、アメリカ国民の名を借りて、莫大な債務を溜めこんできました。国民は厄介なことに巻きこまれてうんざりしています。良い選択肢は残されていません。部分的なデフォルトには代償が伴うかもしれませんが、政府にまたクレジットカードを与えるよりはいいのです。

政府はいつもの脅し作戦を使い、国民をさらなる支出に強引に付き合わせようとしています。2008年10月に決定した巨額の救済措置(訳注:金融安定化法)をめぐるレトリックを覚えているでしょうか。我々はこう言われました。(救済措置をしなければ)銀行でなく国民に大打撃を与え、引き続き大規模な雇用喪失と住宅差し押さえをもたらすだろう、と。また、我々はこう言われました。大き過ぎてつぶせない(訳注:too big to fail, TBTF)企業の連中にこの金を渡さなければ、経済は深刻な不況に陥るだろう、と。そうして両政党の指導者は不安になり、前例のない市民の抗議にも反して、銀行に大金を与え国の負債を増やすことに合意したのです。その結果、銀行は何も学びませんでした。何が起こっても政府は自分たちを救済してくれるということを除いては。しかし、その救済措置に関係なく、国民は職や家を失い続けてきました。そして我々は今なお深刻な不況の中にいます。

上記の比喩を初めて読んだ時、あなたは、「その隣人の借金は違法なものであり、自分の責任でもなければ自分の問題でもない」と片づけてしまったかもしれません。それは正しいでしょう。公平な法制度であれば、そのような借金の責任をあなたに押し付けず、その代わりに、盗みを働いている隣人を刑務所に送り込むでしょう。しかし、連邦議会は、あなたの同意なく、あなたに断りもなく、あなた自身やあなたの子供、孫たちに、債務を負わせることができるのです。これは、政府が法を超越していることを示す、もう一つの例です。TSAは我々に性的な嫌がらせをする権利を主張する一方で、先週、TSA検査官に仕返しをした女性を逮捕しました(訳注:コロラド在住の女性がTSAの女性検査官の胸を触り、逮捕された事件。参考)。それと同様に、政府が行う場合には、どういうわけか、他人の物を盗むことが合法になってしまうのです。

建前上は、我々は法治国家に住んでいます。今回だけは、政府は債務上限に関する法に従う必要があるのです。

秋刀魚の味

2011-07-21 22:15:50 | 日記
小津安二郎監督「秋刀魚の味」を観ました(2度目)。

お年頃の娘をもった親父の哀愁を淡々と描いた映画なんですが、いやーいいですね。ほとんどがお見合いで結婚していたような時代の話ですから、当然現代とは時代背景が全く異なります。しかし、それでも何かリアルなものがそこにある。この素晴らしさを言葉で表現できたらいいですが、小生の力量では無理ですね。いや、ここで安易な言葉で総括してしまったら、小津監督に対して逆に申し訳ないことになりますね。ですから、はい、まだの方はぜひ観て下さい。

作家の保坂和志氏はこう言ってます。

作者にとって「小説を書く」とは「問題を解く」こととイコールになる。当然、読者にとっても「小説を読む」ことが「問題を解く」こととイコールになる。―ここでも注意してほしいのだが、その問題は読み終わった後で解けているわけではなく、小説を読んでいる時間(プロセス)の中そのものに問題を解くという行為が内在する。だから、その小説を読んでいない人に向かって説明しても、たぶん通じない。(中略)そして、小説も同じことで、読者が日常使っている言葉や美意識と完全に重なり合わないものを積み重ねていく、そのプロセスの中にしか答えはない。(「書きあぐねている人のための小説入門」より)


小説だけではなく、映画も演劇も絵画も、ありとあらゆる芸術というのは、「そのプロセスの中にしか答えはない」のだと思います。(小生のやってるサイエンスもそういう側面はあります。参加しないと面白さが分からないという点で)

話は飛びましたが、「秋刀魚の味」の中でとても気に入ってるシーン。親父と次男(高校生ぐらい?)のたわいもない会話。

父「ねぇさんね、誰か好きな人でもあるのかな」
次男「あるだろ」
父「あるかい」
次男「知らないけどさ。俺だってあるもん」
父「お前、あるのか」
次男「あるよ。清水トミ子ってんだ」
父「どこの人だい」
次男「どっか知らないけどさ、ちょいちょい口きぃてんだ」
父「ふ~ん。何してる人だい」
次男「毎日のってるバスの車掌さんだよ」
次男「名札で名前覚えたんだ」
次男「ちぃせんだ、太ってんだ、かわいいんだ」
父「ふ~ん。そうか」

と、こんな感じ。書いたところで観てない人には伝わらんか。とにかく、自分で口にしたくなるようなセリフがいっぱい。いいんだなぁ~、いいんだ。あの、棒読みな感じがいいのかなぁ~。なんだろうなぁ~。

などと、思いに耽っているとまた観たくなるのですね。


債務上限を巡る政治劇

2011-07-19 19:52:30 | 経済
お馴染み、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから

Texas Straight Talk 2011/07/18

Debt Ceiling Drama

債務上限を巡る政治劇(拙訳:チモシェンコ大村)

債務上限を巡る討論は、ワシントンにおける政治劇場に格好の舞台を提供しています。債務上限引き上げの支持者は、いつもの脅し作戦と偽情報を用いて、さらなる借金と増税を容認させようと反対者を威嚇しています。しかし、事実とプロパガンダを見分けることは重要です。

まず、真の改革なくしては、デフォルト(債務不履行)は不可避であるということを政治家は理解する必要があります。実際のところ、金融政策上のごまかしによってデフォルトは毎日起こっているのです。連邦準備制度がさらなる量的緩和に乗り出しドルを減価する度に、アメリカ国民の購買力は損なわれ、インフレにより国民の貯金も本来の価値を失います。つまり、アメリカ国民に対するデフォルトが起きているのです。2008年以降、ドルは金(ゴールド)に対し、その価値を50%近く落としています。過去数年にわたりインフレ率は2%に満たない、と連銀は主張しています。しかし、別のデータをまとめた経済学者の見立てでは、従来の方法で計算した場合、インフレ率は9%にもなると示されています。驚くべきことに、政府はそれでもまた、自身の金融政策が与える損害を隠ぺいするために、CPI(消費者物価指数)の計算方法を変更しようとしています。CPIを変えることで、政府は高齢者の社会保障年金にCOLA(cost of living adjustment; 生計費調整)を加味することを免れ、ブラケットクリープ(訳注:インフレが続くと名目所得が増大し、税制の変更はないにもかかわらず所得階層区分“ブラケット”が上がるため限界所得税率も平均所得税率も上昇してしまう現象。大辞林より)という隠れた方法で増税をすることが可能になるのです。これはデフォルトです。このデフォルトが銀行や外国の債権者ではなく自国民に対するものだからと言って、その重大性は損なわれるわけではありません。

また、政治家は、我々の借金が持続不可能なものであることを認めなければなりません。何十年にも渡り、政府は歳入をはるかに超える支出を行い、また保証してきました。しかし、問題は、国民への課税が不十分であるということではありません。政府はこれまで、総額61.6兆ドル、世帯当たり52万8千ドルもの負債を溜めこんでしまいました。家庭から搾取する税額がこの半分であったとしても、そのような税制は想像を絶するほどに苛酷なものです。それは、すでに乾き切った雑巾を絞る(訳注:原文ではsqueeze blood from a turnip)のと変わりがありません。問題は間違いなく、自由社会における政府の本来の役割を拡大解釈した結果産み出された、過剰な財政支出にあるのです。

おそらく最も唾棄すべき詭弁は、「8月2日までに債務上限の引き上げ合意に至らなければ、社会保障費を払えなくなるだろう」という脅迫です。実際のところ、社会保障庁の主計官は先週、現在の社会保障税歳入は現在の給付費を賄うのに十分以上であることを認めています。仮に社会保障費が払えなくなることがあるとすれば、その唯一の原因は、使い道の決められたこの資金を政府が別のところで使おうとするからでしょう。政府が、救済措置・景気刺激策・量的緩和の形で5.3兆ドルの支援をすでに受けている大銀行のお友達を警告するどころか、むしろ社会保障給付に頼る高齢者を脅しつけている現状は、多くのことを物語っています。このように社会保障を持ちだして議会に増税させようと恐喝するやり方は、政府が約束するものに依存することがいかに恐ろしいかを表しています。また、多くの若者ができるならば社会保障制度に加入したくないと考えているのも理解できます。

いずれにせよ、我々は困難な経済状況に向かっています。しかし、問題解決を先延ばしすればするほど、現行のシステムが自壊したときのダメージが大きくなるのです。我々は、この問題に関して新たな制度や権限を追加することを止めなければなりません。我々は、地球の反対側に住む人間に対して高額な空爆作戦を仕掛けるのを止め、我々の兵士を帰還させなければなりません。我々は、秘密主義の銀行カルテルが金融政策のペテンによって我々を永久に奴隷化するのを止めさせなければなりません。そして、我々は、政府による干渉を取り除き正常な状態に戻れるよう、社会における政府の役割を徹底的に再考しなければならないのです。

牛乳を飲もう

2011-07-14 20:25:30 | 日記
小生のような大人の男の子が口にするのは憚れるような話題ですが、まぁ~そのぉ~、オナンっていう生き物には周期的なものがありますよね。それで肉体的に辛いのも分かるし、イライラしちゃうのも分かりますよ。でもね、それで理不尽な八つ当たりをされる男のほうも堪ったもんじゃないのですよ。男なら誰しも、小生の言うてることが分かるはず。なんかよく分からんが気づいたら謝罪させられてた、とかね (あるある)。とは言え、やはりデリケートな問題ですから、そんなことは自分の胸に仕舞い込んで、愚痴も言わずに生きとるわけです。偉いな、男って。

が、カリフォルニア州牛乳協会の皆さんがやらかしちゃいました。Got Milk?(牛乳飲んだ?)という有名なキャンペーンを以前展開させた彼らですが、その続編として今回は、Got PMS? Get Milk! (PMS[月経前症候群]になった?じゃ、牛乳を飲もう!)っていうキャンペーンを始めちゃいました。

詳しくは例えばこちらの記事などを観てほしいのですが、広告に出てくる、申し訳なさそうな顔をした男たちとそのセリフに思わず笑ってしまいました。

セリフはこんな感じ
I apologize for letting you misinterpret what I was saying.
(誤解させてしまったこっちが悪いんです)

I apologize for not reading between the RIGHT lines.
(ちゃんと空気読めなくて申し訳ないっす)

I'm sorry for the thing-- or things that I did or didn't do.
(自分のせいなのか分かんねぇけど… とにかく謝る!)

We can both blame myself.
(おっしゃるとおり、俺が悪かったです)

I'm sorry I listened to what you said, not what you meant.
(理解せずに話だけ聞いてた僕を許して!)


と、テキトーに訳しときました。腫れ物に触るようにご機嫌伺いをする男たちの表情といい、彼らの思いっきり下手に出たセリフといい、小生にも思い当るところがあって妙な快感を覚えてしまった次第です。中には不快に感じる人もいるかもしれませんが、たかが(おっと失礼)牛乳のキャンペーンで、女性の周期と言う微妙な所に大胆に切り込みかつ笑いを取ってしまうところが、アメリカの凄いところではないでしょうか。日本ではなかなかできませんよね、たぶん(あとで問題になって謝罪会見→社長辞職→入院)。

ちなみに、カルシウムを取るとPMSが軽減されるというのは本当らしいです。





通貨の競合

2011-07-12 22:18:39 | 経済
お馴染み、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから

Texas Straight Talk 2011/07/11

Competing Currencies - a Defense Against Profligate Government Spending

通貨の競合が放漫な財政支出を防ぐ(拙訳:チモシェンコ大村)

この6月末をもって、米連邦準備制度による量的金融緩和策が終わりを告げました。何ヶ月にも渡り連銀は、数千億ドルもの国債(連邦政府債務)を買い入れることで政府の放漫な赤字財政支出を許し、連邦債務をその限度額まで押し上げ、ドルの価値をさらに下げてきました。ドルの信用は失墜し、またユーロの信用も欧州の債務危機により打ち砕かれつつあります。そんな中、窮地に立たされた消費者や投資家はゆっくりとではありますが確実に、「政府の発行する通貨はその価値を保持しない」という事実に気付き始めているのです。

健全な通貨というものは、その通貨が市場取引を通じて強制力なしに自然に受け入れられ健全なものとして認められた時にのみ成立します。歴史を通して、金(ゴールド)と銀(シルバー)は、健全な貨幣としての条件を最も完全に満たした商品(コモディティー)です。であるからこそ、世界中の人々が、急速に価値を失いつつある紙幣の代替品を求め、今再び金や銀に群がっているのです。各国の中央銀行でさえ正気を取り戻し、金(ゴールド)を再度買いこみ始めています。

しかし我が国では、金や銀をお金として使おうとすると厳しく罰せられます。それらが合衆国憲法で認められた唯一の法定通貨であるにも関わらずです! 最近の例では、金銀で個人通貨を作ろうとした企業家が、連邦政府により“通貨偽造”の罪で有罪判決を受けました(訳注:Liberty Dollarの件と思われる)。また別の例では、法定不換紙幣の代わりに金貨や銀貨で従業員の給料を支払った雇用主が脱税で有罪になりました。連邦政府は、それらの貨幣が米国政府により発行されたものであり額面通りの価値を持った法定通貨であることを認めています。しかし、それを受け取った被雇用者の所得税という話になると、国税庁は突然その貨幣を、その時々の市場価格で取引されるべき貴金属として見なすのです。

これらの事例が浮き彫りにするのは、政府による通貨発行権の独占は、経済を中央統制するための手段にすぎないという事実です。ますます価値を失うドルを国民に押し付けることができれば、政府による通貨の減価には際限がなくなります。もし誰かが市場に基づいた通貨(つまり、市場によって決定される真の価値をもった通貨)を作り出そうとすれば、法定不換紙幣システムの愚かさが露呈しかねず、連邦政府は狼狽することでしょう。だから政府は、逮捕・没収・投獄といったお決まりのやり方で通貨の競合を阻もうとするのです。

そこで、私は、建国の父たちが思い描きかつ実行した、合衆国憲法で規定されている貨幣制度を復活させようと対策を講じました。私は以前、下院法案1098号、通貨の自由競争法案( Free Competition in Currency Act)を提出しました。この法案は、健全な通貨の流通を阻む3つの主要な障害を取り除くためのものです。その障害とは、1)連邦準備券の受け入れを強制する、法定通貨に関する連邦法、2)民間での商品通貨鋳造を禁止する以外には何の役にも立っていない、通貨偽造に関する法律、3)金貨や銀貨をお金として使用することを禁止する税法、であります。私は、今議会において、健全な貨幣制度に戻る重要性を強調するため、この法案について公聴会を開きたいと願っています。

市場参加者に健全な通貨を選ばせることで、政府のニーズではなく個人のニーズが確実に満たされるようになるでしょう。政府は国民の購買力を低下させ後世に債務を負わせる能力をもっていますが、健全な貨幣を取り戻すことでそういった政府の力も制限されるでしょう。連銀や銀行カルテルが利益を得る現行のシステムとは違い、健全な通貨によって全てのアメリカ国民が恩恵に浴することができるのです。