チモシェンコ大村のロン・ポール研究+くだらない話

ロン・ポール氏のブログ翻訳を通じて、リバータリアン思想・オーストリア経済学について勉強しています。

民間の慈善事業を称えて

2012-04-10 14:06:42 | ボランタリズム
おなじみロン・ポール議員のブログから

Texas Straight Talk 2012/04/09

In Praise of Private Charity

民間の慈善事業を称えて(拙訳:チモシェンコ大村)

現代における最大の誤謬は、「政府がやらなければ誰もやらない」というものです。これは、「政府の事業に反対する人は、同じことを他の誰がやっても反対するものだ」という考え方を伴います。このような誤謬は、医療から教育、貧困問題、住宅問題、災害支援まで、ありとあらゆる国民的論議において際立っています。

この復活節において、私はある団体を称賛したいと思います。この団体は、政府による強制や介入が無くても、民間の慈善事業でいかに多くのことを成し遂げられるかを証明してくれました。その団体とは、ミズーリー州スプリングフィールドに拠点を置くConvoy of Hopeです。Convoy of Hopeは、食料品業者であり、衣料品業者であり、医療保険プロバイダーであり、緊急救援隊であり、教育機関であり、また流通のエキスパートでもあります。この団体は、米国や世界中のコミュニティーと連携し、地域の慈善活動と企業、教会、政府機関を一つにまとめることで、貧困を軽減し、また、災害に見舞われた人々を支援してきました。彼らの非常に幅広い活動は、困っている人に物資やサービスを提供する上で、政府だけが唯一の救い手でもなければ最善の救い手でもない、ということを思い出させてくれます。

私は先日、Convoy of Hopeの本部と流通センターを見学する機会に恵まれました。これは私にとって、謙虚な気持ちにさせてくれる経験であったと同時に、勇気付けられるものでした。正直言って、ここまで集中的で、効率的で、万人を助ける体制が整った組織を見たことがありません。

Convoy of Hopeは、幼い頃に父を亡くし貧困に陥った経験を持つハル・ドナルドソンとデイビッド・ドナルドソンの兄弟によって設立されました。兄弟は当時、地元の教会やコミュニティーからあふれんばかりの支援を受け、そのことに衝撃を受けました。その結果、彼らは、他の困っている人たちに自ら手を差し伸べる責任を強く感じるようになったのでした。以来、Convoy of Hopeは100ヶ国以上の国で5千万人以上の人を助け、ほぼ3億ドルに相当する量の食料と物資を配布しています。

Convoy of Hopeは経費に予算のわずか10%しか使わず、約85人という少人数のスタッフしか雇っていません。監視団体のCharity Navigatorは、その財務的見識と透明性において、Convoy of Hopeを常に高く評価しています。

Convoy of Hopeはまた、民間企業と戦略的提携関係を結ぶことで支援を拡大させようともしています。その提携企業には、コカ・コーラ、ネスレ、P&G、ジョージア・パシフィック(訳注:製紙会社)、カーギル(訳注:穀物メジャー)、デルモンテ、FedExなどが含まれます。これらの企業は、建設資材からボトル入り飲料水、洗面道具まで、あらゆるものを寄付しています。ミズーリー州の真ん中には、その巨大な流通センターと本部が置かれ、ここから米国全土に向けて何台ものトラックが迅速に派遣されます。さらに、物流の効率を考えて、海外でも6つの流通センターを運営しています。

Convoy of Hopeの次のステップは大胆です。彼らは、貧困を解決すべく、全米ツアーを5月に始めます。この「Convoy of Hopeツアー」では、1日にコミュニティー当たり平均100万ドル相当の物資やサービスを提供する予定です。Convoy of Hopeの18輪トラックの支援団は全ての州を回り、困っている人々に様々な物資や実用的なサービスを提供します。これには、食料品、就職相談、衣料品、歯の治療、乳がん検査、散髪、家族の肖像画、子供に関するもの、礼拝、地元教会との連帯などなど、実に様々なものが含まれます。

Convoy of Hopeは人類のために多大な貢献をしてくれています。私は、Convoy of Hopeの皆が今回のツアーで大成功することを願っています。政府機関がConvoy of Hopeのように効率的に、機敏に、そして快活に機能するとは信じ難いです。民間の自発的な組織が貧困問題の解決や災害支援を行う上で、Convoy of Hopeは良い模範になると私は心から信じています。

私たち、政府の者です。救助にやってきました。

2011-09-08 15:51:20 | ボランタリズム
先週は、ハリケーン・アイリーンのおかげで大変でした。小生はニューヨーク州ロングアイランドに住んでますが、アイリーンが通過した後、6日間も停電が続きました。いや、というか、アイリーンと言うよりも、それは無能な電気会社のせいですね。あいむそーりぃ、あいりーん。

さて、おなじみ、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから。

Texas Straight Talk 2011/09/05

We're from the government. We're here to help.

私たち、政府の者です。救助にやってきました(拙訳:チモシェンコ大村)

ハリケーン・アイリーンをきっかけに、連邦緊急事態管理庁 (FEMA)は、議会からもっとお金をもらおうと、ペコペコ頭を下げることでしょう。政府の他の部門同様、FEMAも一文無しなのです。FEMAに支給される追加予算は、他の部門での支出削減から賄われるべきだと提言されています。この考えは、経済を理解していない、大きな政府の主唱者にとっては、過激で人情に欠けるものかもしれません。しかし、私はさらに踏み込みたいと思います。FEMAはそもそも本来、設立されるべきではなかったのです。それは、災害救助における間違った考えに基づくものであるからです。

これは、FEMAが災害の現場に現れることで引き起こされる二次災害を経験したことのない人には衝撃的な考え方でしょう。しかし、FEMAの無能さを説明しているからと言って、災害の被害者を救助すべきでないと言っているのではありません。むしろ、その逆です。

災害の被害者には、可能な限りの支援をいかなる形であれすべきです。また、大惨事が起きた時の、善良なアメリカ市民の寛大さと慈悲深さには事実上際限がありません。これが本当であるかを知りたければ、ハリケーン・カトリーナの時の、市民から差し伸べられたあふれんばかりの支援の手を思い出すだけで十分でしょう。しかし、FEMAは、救援活動を行ったりその手助けをするどころか、むしろ救援の邪魔をしたのです。そのような事例は数え切れません。ボランティア消防隊員が募集されたとき、何千人ものボランティアの方が名乗り出ました。しかし、FEMAは、その管理体制や官僚的愚劣さのせいか、ボランティア隊員が実際に救援活動を行うことを許さなかったのです。例えば、消防団がヒューストンから到着したとき、彼らは迅速に現場に派遣されるどころか、その場で待機するよう命令されました。そして、何もせず2日間待った後、彼らはテキサスに送り返されたのです。また、火災がまさに激しさを増すなかで、千人のボランティア消防隊員がアトランタに送られ、セクシャルハラスメント講習を受けさせられていました。このバカバカしさの中で、残った隊員は、火を消すどころか、大統領をエスコートしたり、あるいはチラシを配布するために使われたのです。コンピューターエンジニアのジャック・ハリソン氏は、彼の能力が技術的インフラを再構築するのに必要だと言われました。彼は2週間ほどはぐらかされた果てに、FEMAが借りていたクルーズ船の安全担当者として配置されました。本来ならば、彼の能力を救援活動に使うべきであるにも関わらずです。人々が苦しみ、救助を待っているときに、FEMAによって、いかなる支援の手も葬り去られ、あるいは不適切に処理されたのです。FEMAのおかげで、赤十字でさえ何も自由にできませんでした。

9・11以来、事態は悪化するのみです。二つの船団にまつわる話を比較してみて下さい。一つは、9・11の時に組まれた船団、もう一つは、カトリーナの時のものです。9・11のテロ発生から1時間以内に、史上最大の海上輸送が、事態の緊急性を即座に察した地元住人によって、自発的に組織されました。他の逃げ道が閉ざされた中で、恐怖に襲われた50万人以上のニューヨーク市民が、フェリーやタグボート、娯楽船、漁船や荷船によって島を離れました。同じような船団が、カトリーナの時も民間で組織されました。物資が尽きて絶望的な状態にある病院から患者を救い出そうと、500隻の船がニューオーリンズを目指しました。しかし不幸なことに、その間にFEMAが指揮をとるようになり、救護船団は空しくも追い返されたのです。そんな中、患者の方たちは依然取り残されたまま困窮を極めたのでした。また悲劇的なことに、ハリケーン・アイリーンが襲った時、バーモント州空軍のヘリコプターはイラクにいました。彼らの力が地元でぜひとも必要だという時にです。

FEMAの創設は、「大きな政府は誰に対しても何でもできる」という盲信の現れです。FEMAは官僚主義的な組織です。官僚機構というものは、善意の人間により組織されているかもしれませんが、その本質上、仕事が遅く無駄が多いことで有名です。人間が飢え、負傷し、死にかけている時には、迅速性と能率性が求められます。それなのに、FEMAは書類や規則、ゴム印を手にしてやって来るのです。この類のことは、DMV(訳注:Department of Motor Vehicle;米国における車両登録や運転免許の申請・更新を扱う部局。お役所的な仕事の遅さ・傲慢さ・無愛想さの縮図みたいなもの)で十分です。しかし、一刻一秒を争う、生死にかかわる問題においては、そのようなことは許されるわけがありません。

被害者を本当に思いやりたければ、FEMAを排除することです。