チモシェンコ大村のロン・ポール研究+くだらない話

ロン・ポール氏のブログ翻訳を通じて、リバータリアン思想・オーストリア経済学について勉強しています。

安全という幻想

2011-08-24 00:25:02 | 治安
おなじみ、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから。

Texas Straight Talk 2011/08/22

The Illusion of Safety

安全という幻想(拙訳:チモシェンコ大村)

ノルウェーとロンドンにおける最近の暴力事件は、アメリカ国内において、当然のことながら不安をもたらしました。それは、悪化する経済がアメリカの都市において暴力と混乱を引き起こしうると多くの人が恐れているからです。そうであるからこそ、議会は経済を最優先事項として、また国家安全保障として捉えるべきなのです。我が国の財政を健全化し、経済成長を促進しなければ、またそうするまでは、市民社会は退廃し続けるでしょう。

これらの事件から全てのアメリカ人が学ぶべき根本的な教訓は、「政府には我々を守ることができない」ということです。どれだけ多くの法を成立させようと、どれだけ多くの警察や連邦政府職員を市街地に配置させようと、覚悟を決めた個人や集団はそれでも多大な危害を加えることができるのです。ノルウェーにもイギリスにも、厳しい銃規制法があります。特にロンドンでは、監視カメラがほとんど全ての公共の場を見張っています。しかし、法律も隠し撮りカメラも、無法な暴徒や猟奇的な大量殺人者を前にしては役に立ちません。現場にいる私人だけが、これらの悲劇を防ぐことができ、あるいは小さくすることができたでしょう。そして、忘れてはならないのは、ロンドンにおける犯罪行為は、窃盗・放火・器物損壊だけではなく、無関係の見物人もまた襲われ殺された、ということです。このような事例において、自衛手段としての殺傷力のある武器の使用は完全に正当化されていたことでしょう。

おそらく、これらのおぞましい事件によってもたらせる唯一の良い点は、「自身の安全と家族の安全を守る責任は我々個人にある」という理解が強化されることです。つまり、はっきり言うと、家や個人に対する暴行を抑止するために、我々は銃器を安全に所持し、使用しなければなりません。警察や政府の職員が3.1億人のアメリカ市民を四六時中守ることができると考えるのは馬鹿げています。

しかし、メディアや多くの役人のおかげで、国家が我々の保護者であり、また全ての問題の解決策だと考えるようアメリカ人は仕向けられてきました。何か悲惨な事が起きるたびに、特にニュースで派手に取り上げられると、人々は反射的に、政府に何か対策を講じるよう要求します。この衝動は、ほとんどいつも、悪法やさらなる借金、そして自由を失うことにつながります。それは、自己依存・自己責任というアメリカの最高の伝統と完全に対立します。

我々は本当に警察の検問や監視カメラ、金属探知機の世界に住みたいと思っているのでしょうか。暴力行為について妄想する精神障害者や社会的疎外者を一人残らず投獄するつもりなのでしょうか。政府が完璧な安全を提供してくれると本気で信じているのでしょうか。あるいは、国家が提供する安全という幻想よりも自由のほうがより重要だと認めることはできるでしょうか。

自由は安全によって定義されるのではありません。自由とは、誰かが他者に対し乱暴や不正を働かない限り、市民が政府の干渉なく生活できることを意味します。リスクの無い世界を政府が作ることはできませんし、そのような架空の地で生活することを我々も望まないでしょう。全体主義的な社会のみが完璧な安全を価値ある理想として敢えて謳うでしょう。なぜならば、それにより、市民の生活を国家権力によって完全にコントロールすることができるからです。悲惨な事が起きて、政府のセキュリティー・ブランケット(訳注:幼児が安心感を得るためにいつも手にするお守り毛布;精神安定剤)を目の前にしたとき、それでも自由を信じることができるとしたら、その時に初めて、自由は意味を持つのです。

S&Pは当たり前のことを言っているだけ

2011-08-18 17:39:05 | 経済
おなじみリバタリアン代表ロン・ポールのブログから。(たまには研究の話もしたいのですが、なかなか時間が取れなくて・・・。)

Texas Straight Talk 2011/08/15

S&P states the obvious

S&Pは当たり前のことを言っているだけ(拙訳:チモシェンコ大村)

先週の債務上限引き上げ合意により建前上は経済を救済したことになっていますが、政治家たちがそのことで得意になっている時間はほとんどありませんでした。合意がなされたのも束の間、スタンダード&プアーズがいずれにせよ米国債を格下げし、世界の証券市場を混乱させています。これが非常に苛酷な格下げであり、また、S&Pが当たり前のことを認めるのに時間がかかりすぎたということについては論を待ちません。しかし、ワシントンがどのように機能し、どこへ向かっているかを考慮に入れ、政府の財務状況に正直に向き合うものならば誰しも、S&Pの決定に反論するのは難しいでしょう。

それにもかかわらず、政府は2兆ドルの“過ち”を巡ってあれこれ詮索をしていました。S&Pはそれに対し、2兆ドルをどこで使おうと、議論されている時間枠ではほとんど影響を与えないという事実をもって返答したのです。他に何もなければ、これこそが問題の重大性を物語っています。2兆ドルは焼け石に水となったのです。

S&Pは、議会が大人らしく振る舞わず、必要で意味のある支出削減をできていないことに言及しました。もっともなことです。しかし私は、増税も部分的には必要だとするS&Pの提案には反対です。新しい仕事や製品という形で真の価値を生み出す民間部門から資本を奪い、代わりにワシントンに与えて無駄遣いをさせるというのは、一文惜しみの百失いです。政府は年間2.2兆ドルもの税金を徴収しており、これはすでにやりすぎです。その上、3.7兆ドルも使うわけですから、馬鹿げており犯罪的でもあります。問題は手に負えない政府の財政支出であり、米国民がお金を持ちすぎていることではありません。

それなのに、我々の軍隊を帰還させ、世界中で展開している高額な軍事作戦を終了させることについては、真剣に議論することさえもできません。それらは大統領がかつて支持していたことであるにもかかわらずです!

今回の格下げがなくても、主要な投資家たちは、財政における合衆国の将来に気付き始めています。中国は米国債に対してさらに興味を失っている様子です。他の国もその後を追っています。我々が目撃しようとしているのは、世界の準備通貨としてのドルの終焉です。それが起きれば、我々はもはや、本来時間をそれほど費やすべきではないことについて見せかけだけの議論をしていられる立場ではなくなります。我々の信用がなくなりつつある中で、真剣な支出削減を行うことを余儀なくされるでしょう。もちろん、さらにお金を刷ることで審判の時を先延ばしにできるかもしれません。しかし、その結果引き起こされる“インフレーション税”は、政府の福祉事業を縮小させることよりはるかに悪いことなのです。

ハイパーインフレーションは中産階級に大打撃を与えます。ワイマール共和国が自国通貨のハイパーインフレを引き起こした後では、一生分の貯金をはたいても切手一枚買えませんでした。銀行は、顧客の生涯貯金全額に相当する小切手を送ることさえもしませんでした。その小切手が、印刷されている紙自体の価値もなく、また、郵送に必要な切手ほどの価値もなかったからです。中産階級が壊滅するとはそういうことです。そのようなことをこの国で引き起こしうる様々な要素がまとまり、形になりつつあります。それは1971年からです。そんな混乱を阻止するための唯一の方策は、議会が早急に支出削減を行い、合衆国憲法を再び真摯に受け止めることです。福祉・戦争国家はいずれにせよ崩壊します。責任を持ってそれを縮小させることが、はるかに良いやり方なのです。


スーパー議会:ロビイストへの最高のプレゼント

2011-08-10 18:59:52 | 経済
お馴染み、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから。

Texas Straight Talk 2011/08/08

Super Congress A Gift to K street

スーパー議会:ロビイストへの最高のプレゼント(拙訳:チモシェンコ大村)

その全ての影響力を検討する十分な機会を議員に与えず、急いで議会を通過させられる大きな法案。先日の債務上限引き上げ決定の際に設立された“スーパー議会”は、そういった大きな法案に付いてまわる極悪なものの典型的な例です。この委員会は、Kストリート(訳注:ワシントンDCのロビイスト街)の富裕ロビイスト達には少し早いクリスマスプレゼントになるかもしれません。なぜならば、この委員会は、ロビー事務所が顧客の長年温めてきた計画や関心事を委員会の作る法案にねじ込む絶好の機会を提供するからです。委員会が行き詰った場合、防衛費が自動的に削減されると謳われていますが、それは、ただ単に軍産複合体に対して、ロビー活動に最大限の努力をするようシグナルを送っているにすぎません。

議員の立場として私が常に認識している危険信号は、非常に複雑で入り組んだ法律においては、その但し書きに危険な条項が隠される場合が頻繁にある、ということです。巧妙な一括法案により、立法者は良い点も悪い点も全て受け入れることを強制されます。またしばしば、それらを拒絶すると、有益な条項に反対票を投じているとして糾弾されます。法案や財政支出、浪費、政府の野放しな肥大化における、あからさまな憲法違反はそっちのけであるにも関わらずです。いつも私は、法案を少し読むだけで、違憲事項あるいは単に思慮に欠けた事項に出くわします。その時、私は反対票を投じる必要があります。

不幸なことに、ほとんどの立法者はこのようには考えないようです。一部の利権者に対する優遇措置やばらまきを押し通すために、抜け目ない駆け引きが行われるのが事実です。その結末は、最も優れたロビイストを擁した集団だけに有利に働く、本来無関係な条項を無数に含んだ巨大法案です。

1.5兆ドルの予算執行を取り仕切る12人委員会を創設し、その他の議員を排除することは、ロビー事務所が、任命された少数の委員に的を絞って活動を行えるということも意味します。それは間違いなく、ロビイストにとっては議会全体を相手するよりは御しやすいのです。もちろん、検討されるそれぞれの支出削減により、生活に困窮している人が別のところで恩恵を受けるでしょう。しかし、もっともあり得る結末ですが、実現される支出削減は、まな板の上にあげられた実際の政策のメリットやデメリットよりも、ロビー団体の腕前に応じて変化することになるでしょう。

間違えないでください。私は政府の支出を削減することに熱狂的に賛成しています。目標は、政府の大きさや活動範囲を最終的に憲法で規定されるレベルにまで縮小することです。しかし、そこに至るまでの過程もまた憲法に従ったものでなければなりません。非常に多くの利権者に影響を与える法案を高速処理するために、そのような特殊な権限を少人数の特別委員会に集中させることは、前例のない権力掌握としか言いようがありません。差し迫る大惨事への恐怖だけで、議員はこの法案を急いで通過させてしまったのかもしれません。代表なき課税に強い反感を抱いていた建国の父たちならば、98%の議員を予算審議から排除するなど、どんな状況であったとしても、適切だとは思わないでしょう。

私は、このスーパー議会から何も良いものは産まれないと感じています。私は、この委員会が汚職や利権に非常に脆くなるだろうと疑っています。建国の父たちの描いたものをそのようにぞんざいに軽視することからは何の利益ももたらされません。


就職活動チュッ

2011-08-01 23:56:33 | 日記
小生もポスドク3年目ですし、アメリカも飽きてきたので、来年には日本に戻れるよう就職活動をしているのであります。

正直、このままサイエンスをやるか、それとも別の仕事(書き仕事系)をするか、はっきりとは決めていないのですが、目に付いた公募には手当たり次第応募していくつもりです。今月も3件応募する予定。来月もそれくらい攻めます。来年度からの仕事を得ようと思えば、今が踏ん張り時です。

周りからは「お前は優秀だからなんとかなるやろ」とありがたいお言葉を頂きますが、現状はそんなに甘くないですよ、やっぱり。そもそも大した業績がないですからね。それに、自分が優秀かどうかよりも、結局自分が採用側の具体的なニーズに合う人材かどうかが重視されるようです。完全な買い手市場であります。

だから、あまり期待せず、とにかく応募書類を書きまくる。そしてそれを投函するときはThe PoliceのMessage In A Bottleを歌います。無人島に漂着してしまった小生が、空き瓶にメッセージを入れて海に投げ入れるのですな。俺の心の叫び、誰か心ある人に届いてくれよ、と。頼むから届いてくれよ、と。♪Only hope can keep me together~

そんな感じです。

削減が削減でない時

2011-08-01 21:47:10 | 経済
お馴染み、リバタリアン代表ロン・ポール議員のブログから

Texas Straight Talk 2011/08/01

When a Cut is Not a Cut

削減が削減でない時(拙訳:チモシェンコ大村)

債務上限を巡る最近のドラマには、財政支出の増額あるいは維持を望む一派と、大幅な支出削減を望む別の一派が関わっていると思うかもしれません。しかし、それは事実からはほど遠いのです。まき散らかされているレトリックにかかわらず、本当のところは、政府の支出をどれだけ増やすかを巡って議論しているのです。

あなたや私が考えている形での支出削減案は真剣に検討されていません。それよりむしろ、現在議論されている“削減”は錯覚なのです。それは、現在の支出からの削減ではなく、予定されている支出増加からの削減を意味しているのです。これは、ランボルギーニを買うのをやめて、代わりにフル装備のベンツを買うことで10万ドルも“節約”できたと言っている家庭のようなものです。本当の予算を考えるならば、まだ十分機能しているホンダを乗り続けるべきであるにもかかわらずです。しかし、これがワシントンの算術なのです。このやり方により、彼らが性懲りもなくアメリカ国民から略奪していることに関して不都合な事実を隠そうとするのです。

歳入額が横ばいであるにもかかわらず、いまだかつてない巨額の予算案を押し通そうと、デフォルト(債務不履行)や米国の「十分な信頼と信用」に言及した脅しのレトリックが不用意にまき散らかされている、というのが真実です。もしあなたの世帯収入が前年と変わらないとしたら、裕福を味わうために支出を大幅増額するような家計管理は賢明と言えるでしょうか。それが政府のやっていることです。一方の派が、他方の派に比べて少しだけ違う買い物リストを提案しているだけなのです。

現実問題として、財政を正常化することはそれほど複雑でもなければ耐えがたいほどの苦痛でもありません。予算管理法案(http://www.rules.house.gov/singlepages.aspx?NewsID=444)が“削減”可能だと謳うのは250億ドルです。これに対し、ただ単純に財政支出を現在のレベルに留めておくだけで、今後数年以内に4千億ドル近くもの(彼らが定義するところの)“削減”ができるのです。財政支出を現状維持するだけで、(ワシントンの算術ですが)1兆ドルの“削減”をするのに5年しかかからないのです。これならば、全く厳しくもなく、悲惨でもありません。

財政均衡も同様に、政府が少しばかりの財政上の常識を持てば、シンプルな問題であり、また実現可能な問題です。我が国の現在の歳入は年間約2.2兆ドルであり、景気後退が続く中、その額が増えることは無いでしょう。一方、我が国の支出は3.7兆ドルで、毎年増加することが織り込まれています。しかし、2.2兆ドルの支出を実現するには2004年に戻るだけで良いのです。当時の政府ははるかに小さな政府でした。ただ単純にその年の支出レベルに戻るだけで、今すぐにでも財政均衡を実現できるのです。それは全く厳しいことではありません。財政支出を現状に留め、経済が予想通りに成長すれば、支出削減などしなくても2015年までに財政均衡は自動的に達成されるでしょう。

我々は10年前に比べて35%も軍事費を増額しています。軍事能力は全く変わっていないにもかかわらずです。同じことが政府の他の部門にも言えるでしょう。なぜ予算が10年で2倍になったのでしょうか。この国の人口も領土も2倍になっていませんし、連邦政府がそのような非常識な額の予算増額を必要とするようなものは何もありません。

またワシントンの用語を用いますが、ただ単に支出を凍結することが、現在議論されているどの案よりももっとも大規模な“削減”になるのです。もし政治家が、本当の支出に対する本当の削減を行うのに耐えられないのであれば、ただ予算を凍結すればよいのです。これにより、経済は息を吹き返し、回復し、成長する可能性が高まるでしょう。