スロバキア、タトラ山脈の麓より

スロバキア人の夫と2人の娘と私の生活
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ワーキングホリデーと、もしも~の空想

2016-02-28 | ひとりごと
先週FBやブログで友人たちがスロバキアと日本のワーキング・ホリデー制度について書いていました。

そのニュースをへ~、これから私たちのような日本人×スロバキア人カップルが増えるかなだけでスルーしてしまった私、ダメですね。ブログを通してスロバキアの情報収集されている方もいらっしゃるのでしょうから、しっかりそういう情報も発信していかないと。

スロバキアとの間のワーキング・ホリデー制度は6月1日から導入予定だそうです。
詳しいことはこちらをどうぞ→スロバキアとの間のワーキング・ホリデー制度に関する口上書の交換-外務省-

海外生活への憧れはあったものの、私もマルツェルもワーキングホリデーという選択肢はどうしてでしょうね、一度も取ったことがないままもう資格もなくなってしまいました。
でももしこの制度が私がスロバキアへ来た2009年にあったなら、どうだったのだろうとふと想像してしまいました。
2009年、友人の協力を得て就労ビザを取得し、単身渡ったスロバキア。それがマルツェルに出会って数カ月のところで就労ビザを取り消されてしまい、警察に相談に行ったところマルツェルと結婚するよう勧められ、そのまま出会って半年のスピード婚から現在にいたります。マルツェルと結婚したこと、ここスロバキアで生活することになったことを一度も後悔したことはありませんが、唯一思うのはもっと早くに出会いたかった、これだけです。

でももしその頃ワーキングホリデー制度があり、私もこの制度を利用して来ていたならどうだったのだろうと。就労ビザを取り消されることもなく、よって滞在許可を取り消されることも、出会って半年で焦って結婚し、その後はネルカの誕生、オーストリアへ移住、スロバキアへ戻り、サクルカ誕生と今日まで毎日が目まぐるしく過ぎ去る代わりに、私の滞在期間が満了するまでもう少し二人で気ままにのんびりできたのかなぁと。

それならばもしもついでに、もっと早く、例えば私が初めてスロバキアに来た1999年に出会っていたら・・・。一冊の本になるくらいの大恋愛があったかもしれませんし、そもそも恋に落ちることもなかったのかもしれませんし・・・。

もしも~の後にどんな現在があったのかはわかりませんが、とにかく出会えたこと、今の私たちがあることに感謝です。

そして話を戻し、この制度を機に日本とスロバキアの距離が今後益々縮まりますように!


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