すっかり秋めいて
街路樹の葉が少し色づいてきましたね

朝晩は肌寒いですし
気温差が大きいので
きっと紅葉も鮮やかな色になるのではと
期待してしまいます

楽しみですね


先日大阪でトークセッションをしたのですが
2回目の連載に書いた思い出の地
大阪の体験話しを
同じ土地で出来る機会をいただいて
感慨深いものがありました


あの体験を皆さんの前でシェアをする中
当時の私には予想できなかった
自分のしたいことができる今の私に
感謝と感激とが入り混じりました


では、5回目のお話しを書いて行きます

< 第1章~体験したことにヒントがあったⅤ>
人生の転機の真っただ中で
色々なことが起き続けて
予想しなかった妊娠をして
面白くなってきたお仕事は退職
生きる場はまた変わり
心や身体の中に
新しい風が吹いたような感覚を持って過ごしていました
妊娠してからというもの
深呼吸を心がけて毎日2キロほど歩いていました
道端の花や木、草を見ては
きれいだなあ、ゲンキだなあと思いつつ
どんどん歩く習慣をつけました
意識はしていませんでしたが
身体と心のリズムをチューニング=同調するのを
やってきたんですね
家に一人でいると、私のそばに
くら~いエネルギーの主が
そばにいるような感じがするのです
小さな時から、心も身体も敏感体質で神経質でした
土地も変わり、住む家が変わっても
より一層嫌なエネルギーを感じるのが増すのは
とてもイヤだけど、その感じがなくなるのもイヤで
定まらない気持ちを持つ
はっきりしない自分に不満でした
そんな不快気分を一掃するために
陽のあたる場所で身体を動かして
気持ち良さを味わうお散歩をしたのでした
コレをすると、家にいる勇気や
生きていくためのゲンキが湧いたのです
後に、エクササイズやセラピー
スピリチュアルワークを学ぶ段になって
エネルギーを転換する方法を
無意識のうちに試していたんだと気づき
自分の行く先、人生のステージはどこかを
たましいは教えていたんだなあと
つくづく思いました
そんなマタニティライフを送る私は
おなかで「育だてているわが子」との話すことを
日々の中で自然にするようになっていました
話しかける、というより
やりとりしている会話のイメージです
おなかの中に聞こえているらしい、と知るのは
妊娠4カ月を過ぎたころでした
それからは
こえの返事がなくても話しかけました
それでも、一人でブツブツ言うのは
なんだか気も引けたので
心の中で話しかけるほうが多かったんです
いわゆる「テレパシーコミュニケーション」をしていたと思います
他の妊婦さんもやっていることだと思っていたので
あえて他人とその話をシェアすることもなく
過ごしていた妊娠後期のある日
この土地に住み続けるのはいやだ
もう無理、キツイ、つらい
突然心の中に「ボン」とこの思いが湧きあがり
いてもたってもいられず、パニックを起こしそうになりました
ですが、病気をしたおかげで
不安や恐れのこえが私を支配した時
どうすれば落ち着くか方法をわかりつつありました
それを試そうとして、
息を吐きながら胸をさすって
太陽を思い出しながらいると
私の奥で、なにかを感じました
なにかは私の中でだんだんはっきりしてきて
「大丈夫、いつまでもここにいない」と
直感しました
私に起きたオカルトチックな出来事ですが
不思議なことに
「コレは本当だ」と、わかっていました
仕事に行くと決める前のあの感じともまた違う
今回の感じる経験を
おなかの赤ちゃんとの話題にし始めると
ますます引越しするような気がしてきました
そうして、妊娠5カ月を過ぎたあたりで
本当に転勤命令が出て、
お引っ越しすることになったのです
場所は、私の実家に近い岐阜県
ビックリとやっぱりとあの感覚は何?
違う気持ちを一度に感じたとき
おなかの赤ちゃんから「だって本当のこと」と
伝わってきたように感じたのです
赤ちゃんは知っていたんだ、とピンときました
そんな体験を経て、お引越しを済ませ
自然の多い岐阜県可児市に住み
お散歩ワークは、山や木々、花や川、など
自然達と赤ちゃんと話しながらしていました
その頃から、どんどん直感が冴えていき
赤ちゃんのおかげかな~と
一人で喜んでいました
そしてある日、
赤ちゃんの名前を考えることになりました
男の子かも女の子かもわからないので
両方の名前を用意しなくちゃ、と
お散歩しながら考えていたら
「あいこ、ってつけて」響いてきたのです
信じられないほど鮮明に私の意識に訴えかけました
え?女の子なの?という質問を心の中でしたと同時に
「そうだわ」と肯定していました
自然たちとお話ししながらお散歩すると
感じること、直感が鮮明になることを
発見していたので、感じたことを信頼しました
そして、
パニックになりそうな時、落ち着かせるためにすることや
転勤が決まるまえに感じた感覚と良く似ているし
心配症で不安や恐れを感じやすい私なのに
私自身がとても落ち着いて、それを受け入れている
どの時も、気持ちが落ち着いていく時に
わかりたいことをキャッチしている
どうやら、気づいてないけど同じつながりがありそうだ
そんなことを感じてもいました
当時は胎内記憶も、胎話も知らないのですが
「感じたことを信頼すること」だけはわかっていたので
つけてほしい名前はわかったので
漢字を決める時に実行してみたのです
あいこ、という名前の漢字を
知人の方にも伺いながら、候補をいくつか出しました
それを、紙に書いておなかの前で見せながら
これだと思ったら、おなかをキックして教えてほしいと
赤ちゃんに頼んだのです
そうして、決まったのが「亜衣子」です
この名前でこの漢字にする、と決めて生まれて来た子は
やっぱり女の子でした
産む前に男女を教えてもらうなどは
できなかった頃の話しです
彼女は、私の感性をヒラクお手伝いを
おなかの中でしてくれていたんですね
こうして、一つ一つのやりとりで
通じ合える、つながっているという確信を得て行きました
翌年、長男もおなかにやってきたのですが
その時は感じることが鮮明になっていたので
おなかの赤ちゃんと、娘と私のやりとりは
口の会話と、心の会話「テレパシーコミュニケーション」の
ちゃんぽんでした
おなかの中にいた時の息子は
私が無理をして動いたり、気持ちをがまんしたりしていると
必ずと言っていいほどおなかを蹴って
サインを送ってきました
やすめ、休め、動くな、のんびり、と
またそのサインは絶妙でした
その直後に熱を出したり、痛みが出たり
身体や気持ちの変調をよく捉えて
私に教えてくれました
こうして
すくすく育つおなかの長男の予定日が近づいた
ある日の夕食タイム
今日は祝日で病院代がかさむけど
明日以降ならいつでも生まれてイイよ~
亜衣子と2人でおなかをさすって話しをしました
するとその夜中、
息子は「了解~」とおしるしサインをくれて
それから約5時間後の朝8時30分頃に
生まれてくれました
この時ばかりは、生まれてすぐに
彼にお礼を言いました
ママの気持ちを受け止めてくれてありがとうって
こうして、私は
非科学的だと周囲に冷ややかな目で見られるのを恐れながらも
私の思いや感じることと、同じ何かとがつながると
それが「現実になる」と学んでいったのです
そして、感じることを大事に子育てしながら
次のステージへ行く時を待っていました
そしてチャンスは、長男が生まれてから2年後に
やってきました
今まで学んだことをお仕事活かす

新しいテーマに取り組む転機が訪れました
では、ここから先は
また来月に