連載 2回目
スイミングスクールのインストラクターとして
お仕事を始めた直後、
生徒の親から届いた、非難ごうごうの投書。
もう頑張れない!誰か助けて!
マイナスエネルギー満タンの私は
自力で立ち上がるのは難しかったため、
周囲の助けを借りて、何とか乗り越え、前進しました。
さて、その後の私はどうなっていったでしょうか。
初めて読まれる方は、ストーリーがわかりにくいと思うので
1回目をお読みになってから、この先へ進んでくださいね。
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1回目が読めます
第1章~体験したことにヒントがあったⅡ
言葉が通じない相手とコミュニケーションする。
皆さんは、このような経験をされたことがありますか?
言葉が通じない相手、と言うのは
宇宙人のことではありません。
ことばの理解が難しい方々や、自然や動物、ということです。
今の私は、どうすれば通じ合えるかわかりますが
20歳になったばかりの、
心に傷をたくさん持っていた私にとって、
それは、わかりにくく、もどかしくて
頭を悩ませ、自信を失いそうになるキツイことでした。
池川先生の著書「雲の上でママを見ていた時のこと」にあるように
スピリチュアル的にみれば
うまれる前、雲の上でこういうキビシイドラマを設定して、
人生のテーマのヒントをつかもう、と
やる気満々だったのでしょうが
当時の私はまだ、そんなことは知る由もありません。
その日が来ると、仕事をさぼりたい一心で
おなかが痛くならないかなあ、と
真剣に思っていたんですから。。。
乗り越えた、と思ったはずの投書のことも
差出人がわかっていただけに、
その方を見ると
怒り、うらみ、落胆、不安、とにかくいろんな思いが
自分の中からブワ~っとわき上がりました。
実はその投書は、便せん5枚にわたって
びっしりと非難が書かれていたのです。
そこまで書くの?と言うくらいに。
なりは大人でも、心は傷つきやすいガラス細工の子どもです。
感情が大きく揺さぶられて
どうやって解放したら良いのかが解らない。
とにかく、ガマン、気持ちを圧し殺して
いつか消えてなくなる、そう思いこもうとしていました。
そのおかげで、いつもどこかしら調子が悪いと感じていました。
マイナスエネルギーをせっせと溜めていたんです。
この方法しかない、と思いこんでいたので
イヤだなあ、と感じても
自分を変えたらいい、とは思えなかったのです。
何かに直面するたび
誰か助けて、どうして私ばっかりこんなことが。。。
何かに依存したい気持ちが大きく
自己評価がとっても低かったので
私は運が悪い、こうなったのは○○をしたせい、
○○さんの言うことを聞いたのに、ちっとも良くならない
うれしいことは少しだけ、やりたくないことばかり
つらいことばっかりで、生きていてもしかたない・・・かも
不安と心配が心を占領し、不満タラタラでした。
ちょっとつまずくと、こんな調子の私なので
知的障がい児コースを担当した時の葛藤が
どんなものだったか、想像つきますよね。
障がい児療育や幼児教育を学んでもいない私に
どうしろというの!
途方に暮れる気持ちを押し殺し
生徒と向かい合いました。
この方法しか、という思いこみと依存心は
お仕事だからやらなくちゃ、というガンバリ精神を
よ~く低下させてくれました。
今から30年以上前の障がい児、者に対する理解は
地平線よりも低い?とさえ思えるほど
社会的な差別がありました。
誤解を恐れずに書くと
何も生み出せないやっかいもの、
面倒を見なくちゃいけない人
こんなレッテルを張られていたと思います。
社会風潮がこんなですから、
親御さんからの願いで始まった知的障がい児コースも
経営陣の考えの中には
優越感たっぷりの社会貢献意識があったかもしれません。
現場は、そんなことはわからないので
目の前にいる、発達遅滞、自閉症、ダウン症のお子さんたちを
何とかプールに入れるようにしなくちゃ、で精いっぱいでした。
悪戦苦闘、という言葉がぴったりのレッスン風景
抵抗なくプールに入れたホンの一部の子ども達は
ことばの理解ができて、コーチが関わるのを受け入れていました。
その他の子ども達は、
身体に触れると泣く、走り回る、言葉は話せない・理解できない
自傷行為で怪我をする、トイレに間に合わずお漏らし、
関わりを持ちたくない、と誤解されるような行動ばかり。
それは、意地悪じゃないよ、わかってよ~!
子ども達は、必死で訴えていたと思いますが
受け持つコーチ達は、
わかり合うための情報も少なく、意識もズレていたので
お互いの気持ちがピッタリ合う所が、
なかなか見つかりません。
レッスン進行は、指導内容が構築できていなくて
コーチたちの相手を思う気持ちに依存した。
プロの仕事とは言い難いもので
療育的な水泳指導とは程遠いものでした。
そんな中で、オリンピック選手だった先輩が
誰にも触れさせなかった重度の自閉症児を抱っこして
体操室を行き来するようになりました。
それを見て、いいなあ~・・・
うらやましさと落胆しそうな気持ちが出た時
ハッと気づいたんです。
彼らはプールや水に抵抗があるのではなく
新しい場所や人に強い不安を感じているんじゃないか。
そして、彼らの気持ちをくみ取るどころか
面白いことをして気を引こう、
私の言うことをわかってよ、って思いながら
レッスンしてた。。。
なんて、独りよがりなんだ!
そりゃあ、通じるわけがない!
気づいた瞬間、ある記憶がフラッシュバックしました。
それは、父のことです。
42歳でくも膜下出血で倒れ、
成功率20%の手術から生還し
血のにじむようなリハビリが始まった頃
自分のイメージ通りに身体が動かなくて
よくかんしゃくを起こして、泣いていたんです。
運動機能に関係する脳の血管が切れたので
ことばも話せなくなりました。
頭の中には、言葉がいっぱいあるのに
つたえるための口と舌が思うように動かない。
父と、目の前にいる重度の自閉症の男の子が
重なった瞬間
思わず彼に手を広げて伸ばしました。
意図したのじゃなく、本能的な行動でした。
すると、彼はス~ッと私に身体を寄せて近づき
自然にハグ、していました。
知らないところで怖かったんだ。。。と感じました。
それから、そうしたいと感じて
彼を抱いてプールサイドを歩きました。
ただ歩くだけ、なにも言わず思わず。
何週か歩いた時、
フッとそうしてもイイという
不思議な感覚が私の中に起きて
プールサイドに座り、膝の上に彼を抱いたまま
足を水の中に入れたんです。
大丈夫でした。
彼の目を見たら
「イイよ」と言ったような気がしたので
ゆっくり少しづつ
浅い場所から、深いところに入れました。
全身が水に入った時、
やった!という喜びではなく
え・・入れたの?こんな静かな感じは何?でした。
その中で「安心」という言葉が
彼から伝わってきたのです。
そして彼は、私の胸に頭を寄せて
手で水をたたき遊び始めたのです。
ええ~っあんなに泣いてたのに。。。
驚いている私と
そうそう、これでイイという私が
同時にそこにいました。
言葉じゃないもの、ことばの前に在るもの
目に見えない気持ちは、
全身に出て伝わると
はっきり自覚したのです。
この経験は強烈に私の中に残りました。
言葉をつかわなくても、
どんな相手とも、通じ合えるかもしれない。
希望のような気持ちが湧き
身体のどこかに、熱を持った息吹が
吹きこまれたような瞬間でした。
それからというもの、このわかり合えた感覚を
また味わいたくて、日々悪戦苦闘を繰り返し
うまくいく時、行かない時という「経験」を積んでいました。
そうして、1年余りして結婚退職し
、
見知らぬ土地、関西で暮らすことになりました。
今振り返ると、
リズムを整える、同調するワークステップ2、です。
またもや、私の予想や思いこみをはるかに超える
いろ~んな出来ごとが次々と起こりました。
宇宙は私を試す?!
では、この続きはまた来月