クラゲに学ぶ―ノーベル賞への道
下村 脩【著】
(長崎)長崎文献社 (2010/10/30 出版)
カラー図版もふんだんに挿入された豪華ハードカバー。
別のところでも見たが、就職活動を一応やった著者は、ある会社で「あなたは会社勤めには向いていませんよ」と言われ、それもそうだと納得した由。
それを読んで溜息をつくのは、「会社勤めには向いていませんよ」ということは薄々わかっていながら、会社勤めに突入して三十うん年の南面堂(笑)。
サラリーマン養成大学のようなところに進んだ時点で、こうなることは定まっていたような?
ああ流されて・・・。
閑話休題。
研究で競争したことがない(=他のだれも取り組んでいなかった研究に挑戦してきた)
などに驚く。
転機は、名大助教授のポストを投げ打って2度目の渡米を決断したところだろう。
教授の定年が展望される中、既に米国での研究で大きな成果を上げている著者は、教授への昇進も確実という立場だったようだ。
それを、研究費を確保し続けなければならない米国での研究生活にあえて乗り出した。
研究環境を考えれば、リスクをとる意義があると考えたわけなのだろう。
教授として研究室を主宰するとなると、弟子たちの面倒を見たりもせねばならず、そのへんのモロモロが苦手で避けたかったというようなこともあったのかも。
研究に専念すべき人材がそのようにできたという巡りあわせ。
米国で世話になったF.ジョンソン教授は、著者に言わせれば研究者としてはどうということはなかったようだ。
著者の力量を認めてからは著者のサポートにまわり、成果を挙げさせたことで記憶されるべき人物となった、ということかしらん。
著者が恩師として感謝していたお三方についてちょいと調べるなど。
安永峻五教授については、(著者の講演の紹介などを除くと)さしたる記述が見つけられなかった。
平田義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)
フランク・ジョンソン教授の逝去記事。
Frank H. Johnson, 82, Ex-Princeton Professor
Published: September 26, 1990
とても有名だそうだがちっとも知らなかった、東大三崎臨海実験所の終戦後のこと。
米軍の進駐に際して團 勝麿講師が残した書置き.“The last one to go,”
The last one to go メモ関連
Katsuma Dan (團勝磨、MBLではKatyと呼ばれています)
バグダッドの博物館や何やらの施設には、その手の書き置きはなかったのだろうな。
あったとしても、イラク人たちが破壊・略奪したのだから、駄目か。
とほほ。
過去エントリ:
毎夏、お父さんのくらげ採りに付き合わされた少年は
くらげを採ったツトム少年の回想をミーハー的に見る
授賞式における著者の家族一同の写真にも映っていた努氏のパートナー、Julia Menapace女史の件。
Hacker invaded the wrong man's cyberspace
by Carrick Mollenkamp
Shimomura is dressed in what he usually wears: California comfortable. Sandals dangling off his feet. Black shorts. A black T-shirt that reads, "Flying to eternity, but still with us."
Sitting next to him is his friend and partner, Julia Menapace, herself a security expert and former programmer for Apple Computer who grew up in Durham and attended Duke University.
という記述を見つけた。
父君かな?
蛇足:本文中に「平成天皇」という記述があったのを見咎めるなど。
「○○(元号)天皇」という呼称について
編集しっかりしろ。
下村 脩【著】
(長崎)長崎文献社 (2010/10/30 出版)
カラー図版もふんだんに挿入された豪華ハードカバー。
別のところでも見たが、就職活動を一応やった著者は、ある会社で「あなたは会社勤めには向いていませんよ」と言われ、それもそうだと納得した由。
それを読んで溜息をつくのは、「会社勤めには向いていませんよ」ということは薄々わかっていながら、会社勤めに突入して三十うん年の南面堂(笑)。
サラリーマン養成大学のようなところに進んだ時点で、こうなることは定まっていたような?
ああ流されて・・・。
閑話休題。
研究で競争したことがない(=他のだれも取り組んでいなかった研究に挑戦してきた)
などに驚く。
転機は、名大助教授のポストを投げ打って2度目の渡米を決断したところだろう。
教授の定年が展望される中、既に米国での研究で大きな成果を上げている著者は、教授への昇進も確実という立場だったようだ。
それを、研究費を確保し続けなければならない米国での研究生活にあえて乗り出した。
研究環境を考えれば、リスクをとる意義があると考えたわけなのだろう。
教授として研究室を主宰するとなると、弟子たちの面倒を見たりもせねばならず、そのへんのモロモロが苦手で避けたかったというようなこともあったのかも。
研究に専念すべき人材がそのようにできたという巡りあわせ。
米国で世話になったF.ジョンソン教授は、著者に言わせれば研究者としてはどうということはなかったようだ。
著者の力量を認めてからは著者のサポートにまわり、成果を挙げさせたことで記憶されるべき人物となった、ということかしらん。
著者が恩師として感謝していたお三方についてちょいと調べるなど。
安永峻五教授については、(著者の講演の紹介などを除くと)さしたる記述が見つけられなかった。
平田義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)
フランク・ジョンソン教授の逝去記事。
Frank H. Johnson, 82, Ex-Princeton Professor
Published: September 26, 1990
とても有名だそうだがちっとも知らなかった、東大三崎臨海実験所の終戦後のこと。
米軍の進駐に際して團 勝麿講師が残した書置き.“The last one to go,”
The last one to go メモ関連
Katsuma Dan (團勝磨、MBLではKatyと呼ばれています)
バグダッドの博物館や何やらの施設には、その手の書き置きはなかったのだろうな。
あったとしても、イラク人たちが破壊・略奪したのだから、駄目か。
とほほ。
過去エントリ:
毎夏、お父さんのくらげ採りに付き合わされた少年は
くらげを採ったツトム少年の回想をミーハー的に見る
授賞式における著者の家族一同の写真にも映っていた努氏のパートナー、Julia Menapace女史の件。
Hacker invaded the wrong man's cyberspace
by Carrick Mollenkamp
Shimomura is dressed in what he usually wears: California comfortable. Sandals dangling off his feet. Black shorts. A black T-shirt that reads, "Flying to eternity, but still with us."
Sitting next to him is his friend and partner, Julia Menapace, herself a security expert and former programmer for Apple Computer who grew up in Durham and attended Duke University.
という記述を見つけた。
父君かな?
蛇足:本文中に「平成天皇」という記述があったのを見咎めるなど。
「○○(元号)天皇」という呼称について
編集しっかりしろ。