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真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

「(大戦中の)日系人強制収容は、当時の勢いに人種的偏見も加わって実施された誤った政策でした」か?

2011-08-20 | 日記
「日系人強制収容は、当時の勢いに人種的偏見も加わって実施された誤った政策でした」、「政府は二度とそのようなことの起らぬよう…」で落着してメデタシメデタシと思うのは、御目出度い?

実は、諜報の点から、強制収用は大いに成果があったという事実は
1)たれにも知られていない
2)意外に知られていない
3)知る人ぞ知る
4)一部では有名
5)周知
さてどれだろう?

6)見たくない
7)知りたくないの
8)知るもんか
9)直視したくない
(ダチョウの砂肝にびっくりw)

堀栄三氏の「大本営参謀の情報戦記」に率直な所感が綴られていることは、皆さんの間では有名のようで:
護国夢想日記さん
4.戦争中、一番穴の開いた情報網は、ほかならぬ米国本土であった。如何に、秘密が保たれていたとしても、原爆を研究しているとか、実験したとか、きっと嗅ぎ出していたであろうに。
 日系人の強制収容は日本にとって実に手痛い打撃であった。


夢想紀さん
また、ロス・アラモスで新兵器の実験が行われたこと、テニアンにB-29の新部隊(コールサインがV600番台)が飛来し、数機で日本までを往復するという奇妙な行動をとっていたこと、迄は把握していたという。だが、米国内の諜報網を日系人強制収容所隔離という方法で壊滅されていたために原子爆弾による攻撃準備だったことまでは見抜けなかったと慨嘆している。

カリフォルニアは今日も晴れさん
『日本人は実に情報的におめでたい人種であった。2世で肌の色が同じで、日本語を話せば日本人だと思ってしまう。日本人は日本人を疑うことを犯罪と考えている。日系人を一網打尽に強制収容したのは、日系人の一部を通じて米国内に組織されていたちスパイ網を壊滅するためであって、民主主義とは言うものの、その裏に蔵している戦争に対する冷厳な認識ぶりを改めて考えてみる必要がある。(P240)』

日本文化チャンネル桜 - 掲示板
珊島さん No.80709:Re:「東情報」
「戦争中一番穴のあいた情報網は、他ならぬ米国本土であった。日本の陸海軍武官が苦労して、爵禄百金を使って準備した日系人の一部による諜者網が戦争中も有効に作動していたなら、サンフラシスコの船の動きや、米国内の産業の動向、兵員の動員、飛行機生産の状況などがもっと克明にわかったはずだ。
いかに秘密が保たれていたとしても、原爆を研究しているとか、実験したとか、原子爆弾の『ゲ』の字ぐらいは、きっと嗅ぎ出していたであろうに、一番大事な米本土に情報網の穴のあいたことが、敗戦の大きな要因であった。いやこれが最大の原因であった。日系人の強制収容は日本にとって実に手痛い打撃であった。


アメリカ側が、「じつは多大の効果があった」と告白した資料は確認されていない。
当然だべw

さてと、仮に、強制収容が実施されていなかったとしたら?
1)活動を続けることができた諜者からの情報が日本側に達していた
 (発覚して検挙されたケースも出たと考えられるし、泳がされてガセネタを掴まされたケースもあろう)
2)日本側が史実よりもやや優位に戦いを展開していた
3)原爆投下を阻止した、なんて展開も場合によってはあったりして?
4)日本側の終戦の決断が遅くなり
5)本土決戦!なんぞという展開も考えられるうえに
6)ソ連の進出が止まらず、赤い北日本と白い南日本、というようなことになっていたかもしれない? 

ま、思考実験なので、目くじら立てぬよう。
んでもって、山手線に沿って、ベルリンの壁ならぬ「トーキョーの壁」が建設されていたかもしれない・・・

などと考えてみることも、暑気払いには益なしとせず?
赤い北日本国のなかの白い飛び地、ね。

米側は、強制収容しなかった場合、FBIなど防諜関係者は市中で暮らす日系人の厳重監視を続ける必要があったと考えられるので、強制収容して衣食住のコストを賄うのと比べてどちらが・・・。
FBI係官のなかには(誰にも言わずに墓場まで秘密を持って行ったものの)、「くそぉ!マークしていたあのジャッ○は、ぜったい怪しかったのにぃ」と地団太踏んで悔しがった者もいたに違いないと思う件。
この程度のことはよくあったと考えられ、いちいち悔しがっていては務まらない?

さらに、一部ではすでにマーク相手の尻尾をつかんでいて、一斉検挙のゴーサイン待ちといった状況も考えられなくもないし、泳がせる決定の元、継続監視中の者もいただろうし、二重スパイ候補の物色が進んでいたかもしれないし、ガセネタを掴まされていた者もあったかもしれない。
と、なんの根拠もなく思うだけ・・・。

ミネタ氏の父君は保険代理店を営んでおられたそうだ。
あくまでも一般論としてだが(強調!)、保険代理業は、あちこち移動して人に会うことが必要なのだろうから、武官が諜報網を構築する際には有力なエージェント候補であろう。

仕事場にこもって何かコツコツ作るような商売よりも、適していると考えられる。
インシュアランス・エージェント 兼 インテリジェンスのエージェント、なんちゃって。

ところで、ミネタ氏は大学卒業後にまず陸軍の情報将校となり日本や韓国で働いた、と記されている。
朝鮮戦争の休戦直後だな。さぞいろいろなことがあったに違いない。

なんだ、専門家じゃないか。
また、退役後父君の保険代理店で働いた時期もありとの記述。

強制収容の防諜上の効果などについて、十二分に承知されたうえで、人権を前面に押し出してCIVIL LIBERTIES ACT OF1988を強力に推進した、という仮説。(根拠のない仮説です)
これぞ政治家!

ま、とにかく、今健在な我らは、戦陣に散り戦禍に倒れた皆様のおかげでこうしていられるのです、ということを銘記したい。
それにつけても、今の日本のセイジカの無能なこと・・・。

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