真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

ETV特集「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」

2010-10-30 | 日記
ETV特集「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」

シンドラーとユダヤ人 ~ホロコーストの時代とその後~
第332回 10月24日(日)

8月に放映された番組の再編集版だとか。
知らなかった。

"シンドラーは、なぜ、ユダヤ人を救ったのか?
そして、救われたユダヤ人は、どのような戦後を歩んできたのか?
そして、救ったシンドラーの戦後とは?"

ということで、戦後何をやってもうまく行かないシンドラー。
それぞれしっかりやっているらしいユダヤ人に、無心ではないのだが、「事業が上手くいかなくて借金で首が回らないので助言が欲しい」とか何とか手紙を書く。

で、イスラエルやアメリカなどに招待される。
そのようにして、あちこちのユダヤ人のところを渡り歩く。

「かれこれ17回は来ていると思う」と説明するユダヤ人。
「年に2~3ヶ月はこっちに来ていたと思う・・」とも。

いいではないか。
杉原氏も戦後は不遇だったといわれるが、晩年、昔助けたユダヤ人らに感謝され、満足しつつ人生に幕を引いたのではないかと思う。

シンドラーも、戦後隆々と大成功して西ドイツ財界幹部・・・というわけには、さすがにいかなかっただろうと思われるので、それはそれで良かったんじゃないの?

ユダヤ人のところを回っていたシンドラーは、ユダヤ人たちが集まる際には子どもたちも連れてくるようリクエストした由。
わかるなあ。

俺の人生はロクなもんではなかったかもしれないが、戦時中、只で使えて都合よいからというので助けたユダヤ人たちがこうして生き延びて、子孫まで繁栄しているのを見るのも悪くないな。
それなりに意味がある人生だったと思うことにしよう。

・・・てなことを考えていたんではあるまいか?
おっさん。

Oskar Schindler Survivors Stories www.HolocaustResearchProject.org

Oskar Schindler (28 April 1908 – 9 October 1974)

インタビューに登場するユダヤ人の映像に添えて、「リストの何番」とシンドラーのリストの番号が表示されるのが、(細かいことながら)けっこう迫力を感じさせる。

強制収容所から解放されたユダヤ人が、もとの家に帰ってみると、そこには別のヒトが住んでいて(当たり前だが)、暴力で追い返されたり、殺されたり・・・という話がインパクトあった。
考えてみれば自然ではあるのだが。

映画(見てないけど)の場面も1~2挿入される。

番組を見ながら、「これはさ、国際共同制作とか言っちゃって、外国テレビ局主導だったりするのかな」などと思ったりしたのだが、たいへんシツレイしました。
日本の制作会社の作品でしたか。

きえ~っ(気鋭)

ドキュメンタリー・報道番組制作会社 バサラ


むかし むかし シンドラーは
たすけたユダヤ人に招かれて
イスラエルへ来てみれば
子供や孫も大集合

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