ジュディ犬気分屋ブロぐースタイル

ミックス犬ジュディよりも・・・その飼い主が日々経験したり感じた事柄を書いていく幅広めのブログです。

シャガール芸術の世界 「愛の旅人 シャガール展」記念講演会の報告

2006-05-31 22:30:37 | 美術館 博物館 展覧会
2006年5/13 サントリーミュージアム天保山での「愛の旅人 シャガール展」開催を記念した講演会が海遊館ホールにて執り行われました。
当日は生憎のお天気でしたが、会場はほぼ満席の状態です。
この日の講師は神戸大学助教授の宮下規久朗先生でした。

まずは、一般の人から見たシャガールの印象について話されます。
彼の絵は、甘ったるい、ミーハー、軽く見られる傾向があります。
“シャガール”をグーグルで検索したところ、最初に出てくるのは“風俗店”ばかり。
これもシャガールが“愛の画家”と呼ばれている事に起因しているのかもしれません。

シャガールの美術史的な位置について考えたとき、一つでは表現出来ません。
まず、エコール・ド・パリの画家、それも重要な位置を占めていた人です。
また、キュビズム、シュルレアリズム、ドイツ表現主義の画家などとも呼ばれたりもします。
さらにロシア出身の画家であり、一時期ロシアで活動していた事もあるのでロシア・アバンギャルドの画家とも言われます。

シャガール芸術に影響を与えた芸術は何でしょうか?
まず、生まれ故郷ロシアの伝統芸術であるイコンやルボークが考えられます。
彼の絵に見られる、馬が空を飛んだりするといった独特のシャガール世界はルボークに由来すると言われています。
そして20世紀初頭パリでの前衛芸術活動、後半生ではレンブラントをはじめとする中世の巨匠達の作品に学んだと言われています。

シャガール芸術の主題とモチーフについて考えて見た場合、大きく5つの主題に分けられます。
「故郷」「愛」「音楽」「戦争」「宗教」です。
シャガールは初期から晩年までこれらの主題を繰り返し描いてきました。その為、彼の晩年の作品ははマンネリズムや通俗に堕ちているとの一部批判もあるようです。

ではまず「故郷」について。これを表現するモチーフとしてシャガールは生まれ故郷であるロシアの町ヴィテブスクの風景を自分の絵に取り込んでいます。
彼はロシア生まれのユダヤ人でした。本名は モイシェ・ザハロヴィッチ・シャガロフ です。

この町はロシアの寒村でユダヤ人ゲットーだったようです。その為ユダヤ風物詩的なものも多く見られ、馬。ロバ、牛、鳥など彼が作品に描く動物達も自然に見られる場所でした。
そして彼にとって第2の故郷である、パリの街。
この地でシャガールは多くの画家達と交友を深め、“キュビズム”の絵を発表していきました。
同時代の画家にパブロ・ピカソがいますが、ピカソの絵が“理知的な空間追求”だったのに対して、シャガールの絵はキュビズムに“ユーモアさ”を持たせました。

つぎに「愛」について。これを表現するモチーフとして最もふさわしいのが、シャガールの妻ベラです。

シャガールは1914年にロシアに帰郷し、翌1915年、生まれ故郷ヴィテブスクで、大金持ちの宝石商の娘であったベラと結婚、翌年には娘イダが誕生します。
このロシア時代に書かれた絵には傑作が多いとされています。
またこの頃から絵の中に天使がよく登場するようになって来ました。

その初期作品が<出現>で、画家のところに天使が寄ってくるという絵です。
これはエルグレコの書いた<受胎告知>からインスピレーションを得たのではないかと言われています。
ロシア時代にはもう一つ大きな出来事がありました。
それが1917年の《ロシア革命》です。シャガール自身、この革命により、それまで東欧世界においても虐げられていたユダヤ人の立場が改善される事を期待し、革命政府に積極的に協力するようになりました。
その一つが1919年、ヴィテブスクでの美術学校開校です。
この時期の作品として<前進>があります。
この当時の美術学校の生徒はシャガールについて「何をしても怒らない、いつもニコニコ笑っている人だった」とコメントしています。
シャガールはこの美術学校の講師として、当時、ロシアアバンギャルドのトップであったマレーヴィチを招聘します。
マレーヴィチはカンディンスキーと共にロシアの純粋抽象画家ですが、シャガール自身はそこまでの抽象にはなれませんでした。
そのため、意見対立が生じていきます。
また、革命政府幹部もシャガールの芸術を理解出来ませんでした。
革命にロバの絵は?人や動物が宙に浮き、飛んでいるのは?頭が反対を向いているのは?)
幹部にとっては奇妙で浮ついた印象に映る彼の絵は“ブルジョワ的”とみなされ革命ロシアでは受け入れられなくなって行きました。
シャガール自身も“実際に経験しないと描けない人”であったので、政府や幹部からの要請に基づいた絵を描く事は出来ませんでした。
彼の描く絵はどうしても“労働者の為”、“共産党の為”の絵にはならなかったのです。
その結果、1920年には美術学校を去り、モスクワでユダヤ芸術劇場の装飾に従事することとなりました。
そして1922年にはロシアを去ってベルリンへ移り住みます。
この時、シャガールは多くの作品をロシアに残して出てきましたので、その後、自らレプリカを描いています。
その中でも<家畜商人>の絵のレプリカはシャガール自身が生涯手元に置き飾っていたといわれています。
馬のお腹には子馬の姿が描かれ、後ろの牛はこれからと殺場へ向かうという生と死を表現した絵です。
一方、抽象画家であったマレーヴィチは政府の意向により農民の絵を描かされるようになってしまいました。

シャガールはこの他にも「愛」を表現するモチーフとして恋人、花束そして自画像を描いています。
中でも自画像の変遷は面白く、初期はより詳しく描いていましたが、晩年になるに従いその像は簡略化、イメージ化されていきました。
また、全ての作品を通じて言える事は、初期の作品はいずれも暗い色調でしたが、次第に明るく豊かな色彩に変化していきました。
後半生の作品に見られる色彩の豊かさはアンリ・マティスに並ぶとも言われています。

次に「音楽」について。これを表現するモチーフとして、楽器やそれを演奏する人物、踊り子やサーカスが採用されています。

しかしながらサーカスや旅芸人についてシャガールは『寂しい存在』とも言っており、彼らの「悲劇的な人間存在」の部分をシャガール自身の悲しみと重ね合わせた心象表現としても採用していました。

次に「戦争」について。これを表現するモチーフとして、ポグロム(東欧地域にあった旧来のユダヤ人差別や虐待習慣)、革命、磔刑を採用しています。
実際、ロシアを出た後、シャガールは再びフランスで暮らすようになり、1937年にはフランス国籍を取得するに至ります。
しかし、ナチスの影が忍び寄る1941年には妻ベラと共に迫害を逃れてアメリカに渡りました。
そこで、ロシア革命での体験に基づく教訓と理想を表現しようとした<革命>3連作や十字架をモチーフとした数多くの作品を描いて行きます。
十字架をモチーフとした作品では、戦争や革命で犠牲となった民衆や人類の苦悩を表現したばかりではなく、このアメリカ亡命中に、最愛の妻ベラを病気で失うという悲劇に見舞われたシャガール自身の内面(精神)を表現したものでもあったようです。

最後に「宗教」について。これを表現するモチーフとして旧約聖書や預言者を採用しています。
先の「戦争」とも関連するのですが、シャガールは、自身が戦争中に迫害を逃れる為に逃げ回った経験を旧約聖書の出エジプト記に重ね合わせて表現していると言われています。

第二次大戦後、フランスに戻ったシャガールは従来の絵画作品だけでなく、大型のステンドグラスや壁画などの作成にも携わるようになります。

この時期から、絵画においては先述した通り、従来から描いてきたモチーフを反復する作品ばかりを製作するようになります。画面の雰囲気もかつてと比べると緩やかなもの(ぼんやりしたもの)となり、一部の美術鹿や評論家から“大衆芸術化した”と揶揄される事となるのです。

しかしながら、シャガールのみならず、彼が師事したモネ、ルノアール、レンブラント、ティティアーノといった巨匠達の作風も、その晩年にはぼんやりした感じの絵になっています。

シャガールはあくまでも自己の内面世界、内なる自然に忠実であろうとする態度を貫き通し、そこに時には哀愁を帯びながら、私的感情を超えた“普遍的な人間愛”を志向していく画家だったのです。

だからこそ、「愛の旅人、愛の画家」と称されるのでしょう。

講演ではスライドを使用し、彼の多くの作品やシャガール美術館などを紹介されておられました。

シャガールの作品以外については殆ど知らなかったので、大変勉強になる講演でした。

掲載写真はサントリーミュージアムHPのものをお借りしました。

ぎりぎりセーフな作品でした(宝塚歌劇 ロック・オペラ 暁のローマ)

2006-05-29 20:24:57 | 演劇 コンサート
ぎりぎりセーフな作品でした(宝塚歌劇 ロック・オペラ 暁のローマ)

宝塚大劇場での宝塚歌劇 月組公演の作品 <ロック・オペラ 暁のローマ> を観て来ました。


シェイクスピアの<ジュリアスシーザー>を原作とし、現代風のリズミカルなロック音楽を基調としたオペラでした。

主人公はブルータス。演じるのは月組男役トップの瀬奈じゅんさん。
カエサル(ジュリアスシ-ザー)役は専科から轟 悠さん、という二大トップスターでの劇となっていました。

この日の公演はスポンサーがついた貸切公演でしたので、オペラ開始前に遥ようこさんの司会で、月組の夏河ゆらさんの挨拶がありました。

ストーリーは次の通りです。
共和制体制下の古代ローマ、戦争に勝利したカエサルは事実上ローマの指導者的立場にありました。
だが、その彼に対し王冠を捧げようとする副将のアントニウスにローマ市民は疑問を抱き始めます。
過去の王政支配に戻るのではないかと。
カエサルがその将来に期待を寄せる若者ブルータスも、王になるつもりはないというカエサルの本心に疑問を持っていました。
そこへ現れたエジプトの女王クレオパトラ。彼女が連れてきたのはカエサルとの間に出来た赤ん坊でした。
2人のやり取りからカエサルが野心を抱いているのではないかとの疑念を持ったブルータスはカエサルに「あなたは王なのか」と問いただします。
「王ではないが自分がこのローマを治めるのだ」と答えるカエサルに対し、「ローマの理想である共和制はどうなるのか」と詰め寄るブルータス。
それに対し「時代と共に理想も変わり、今のローマは指導者を求めている」と、自分の考えを述べるカエサル。カエサルは自らの手で豊かな国を創り上げようとローマの新たな未来を思い描いていたのです。
一方のブルータスはカエサルへの尊敬の気持ちとローマを愛する気持ちの間で大きく揺れ動くのでした。
妻、ボルキアとのやり取りの末、ブルータスは“誰の物でもないローマ、皆で守り築くローマ”を自分が愛している事を再確認し、友人カシウスと共にカエサル暗殺を実行するのでした。
元老院会議の場で実行された暗殺計画。最後のとどめを刺したのが他ならぬブルータスである事を知ったカエサルは「ブルータス、おまえもか・・・。ならばいい。」と微笑を浮かべて息を引き取るのでした。
その翌日、カエサルの死に動揺するローマ市民に対し、ブルータスはカエサルの勇敢さ、偉大さを讃えつつも、カエサルがローマを自分の物にしようと野心を抱いていたと訴えます。それには死を持って報いるしかなかったのだと。
ブルータスの演説にローマ市民達が賛同の歓声をあげる中、カエサルの副将であったアントニウスが演説を始めます。
彼はブルータスを褒め讃える言葉を繰り返しながらも、カエサルが如何にローマ市民を愛していたかを訴えかけます。
市民達はアントニウスの演説に強く心を動かされ、カエサルこそがローマの父であったと理解し、彼を殺したブルータスに敵意の目を向けるのです。
さらに妻まで失い絶望するブルータスの前にカエサルの幻が現れこう言います。「終わりが全てを決めるのだ」
アントニウス、そしてカエサルの養子として後を継いだ甥のオクタヴィアヌスらにより追い詰められるブルータス。
戦闘により次々に仲間を失い、最後には、心からの愛を注いでくれた人々への思いを胸に自らの命を絶つブルータス。
その後、ローマを愛していた彼の思いを讃えアントニウス、オクタヴィアヌスは丁重に彼を葬るのでした。

今回の題材自体が華やかさに欠ける物であった上に、曲調がロックだったという部分で宝塚ファンの方には非常に評価が難しい作品だったと思います。
ロック調に合わせた衣装の色合いやデザイン、振り付けにも苦労されたであろうことが想像されます。当然、史実にある衣装からは少々離れざるを得ないようでしたが。
当たり前の事ですが、タカラジェンヌの方々は非常に熱心に演じておられました。
ですが作品としては賛否両論があるだろうと想像されます。

テーマがテーマだけに“だれて”しまいそうになる部分が結構ありました。

それを救ってくれるのが、幕間の準備中にアントニウス役の霧矢 大夢(ひろむ)さんと、オクタヴィアヌス役の北翔 海莉さんが劇の進行内容に関してやってくれる掛け合い漫才です。
お二方の掛け合いに結構笑わせてもらいました。(オープニングもいきなり掛け合いから始まるんですからちょっとびっくりでした)

ロックオペラにこだわるのであれば無理に新作<暁のローマ>を作るのではなく、有名なミュージカルの<ジーザスクライストザスーパースター>を演じても良かった気がします。
こちらは元からロック調の作品ですのでもっと自然な感じが出せたかもしれないと思いました。
(上映中の映画“ダヴィンチコード”との絡みで面白いテーマになったかもしれませんしね。)

今回の演出家さんは昨年不評だった下の作品の脚本・演出をされていたので、申し訳ありませんが、その作品と比較すると、今回は何度も滑りそうな部分はあったのですが、最後まで何とか持ちこたえた作品だと思いますので、私個人としては、ぎりぎりセーフの出来映えだと思います。


一方、2部のレビュー<レ・ビジュー・ブリアン>は題名通り、きらめく宝石のように煌びやかなレビューショーでした。
様々な宝石をイメージした舞台デザインと共に踊りが繰り広げられていきます。こちらの方については何ら不満はありません。タカラヅカらしい美しい作品です。

レビューのフィナーレでは、毎回その組のトップスターが背中に大きな羽根飾りを背負って登場されるのですが、今回は男役が2枚看板でしたので、月組男役トップの瀬奈じゅんさんと専科から出演の轟 悠さんのお2人が共に羽根飾りをつけるという珍しいフィナーレを見る事が出来ました。今回の羽根は白を基調とし、そこに黒を加えることによりコントラストをはっきりさせた美しく且つカッコいい羽根飾りでした。

レビュー終了後にも出演者との短いトークショーが特別に設けられ、ブルータスを演じられた瀬奈 じゅんさんが登場されました。

この日はちょうど母の日でしたので、「お母様にプレゼントは?」との質問に「役の上で自分の母親を演じてくれている嘉月 絵理さんの化粧台に花束を置いておきました」とのエピソードを話されました。

また、お芝居についての感想としては、「ちょうど公演3日目でやっと落ち着いてきたところです」との返事。
役を演じる上での工夫としては「“ローマを愛し、カエサルを愛す”という苦悩を表現する為、両方に対する思いを同じ比重で演じるのに苦労しています」と話されました。

レビューでは、最前列のお客様の中の1人に対し、「僕とダイヤのどっちが欲しい」と尋ねるシーンがあり、この3日間の公演ではまだダイヤモンドと言った人はいないのですが、この先、もし“ダイヤモンド”という人が出たら、「覚えてろ!!」って言ってやりたいですと笑って仰いました。

あれからちょうど2週間、ダイヤモンドと言った人がでたかどうかは知りませんが、今回のちょっと変わったロックオペラ、そして煌びやかなレビューショー、興味を持たれた方がいらっしゃいましたら劇場へ足をお運びください。

宝塚大劇場での月組公演は6/19まで、その後、場所を東京宝塚劇場に移し7/7から8/20まで公演の予定です。

今回掲載したポスターは宝塚歌劇のホームページのものを使用させて頂きました。

レディ子のお話の続報です(我が家のコッカースパニエル)

2006-05-26 19:52:36 | ワンコ(犬)
昨日の記事の続報です。

けさ、レディ子と散歩に行ったところ、ムクドリの雛達がいた草むらが刈り取られていました。

周りに雛の気配は無く、親鳥の姿も見られません。
無事にどこか別の場所へ引っ越していてくれると良いのですが。

真っ白い鳩は今日も他の鳩と共に田んぼに来ておりました。


レディは基本的に臆病者なため、時々変わったものに怯えてワンワン吠えます。

きょうはこれ。


田んぼに水を入れている塩ビの管なのですが、なぜかこれが怖いらしく、恐る恐る傍に寄っては身構え、また傍に寄っては跳ねのきを何度も繰り返しておりました。

そうそう、レディ子が遊んでいるベランダの屋根の隙間にもムクドリが巣を作ったようです。


時々ギャーギャー鳴きながら親鳥が出入りしていました。
今のところ、雛の鳴き声は聞こえるのですが、姿は見えません。
また、ちょっとでも人間の姿が見えると親鳥達は決して巣に戻ろうとはしません。
遠くの電柱にとまって、ギャーギャー鳴きながらこちらの様子を伺っているようです。

もう暫くすれば雛達も巣の入り口付近まで出てくると思いますので、その時を待って写真に収めようと思います。

ムクドリの写真撮りで構って貰えないレディ子はというと、


“ふて寝”していました。

久々にレディ子のお話です(我が家のコッカースパニエル)

2006-05-25 21:13:15 | ワンコ(犬)
久々にレディ子のお話です(我が家のコッカースパニエル)

最近、レディママもこまめにブログをUPするようになったのでレディーの記事についてはお任せしておりましたが、久々に、ここ数日のレディーの様子を書いてみることにします。


写真の通り、最近レディ子の毛並みがつやつやなのはこのペット用シャンプーのおかげです。

獣医師の義妹に勧められた<ラファンシーズ>のシャンプーです。
でも、洗ってから3日目にしてやっぱり独特の<レディ臭>が。
それでも艶々さをキープするこのラファンシーズのシャンプーには脱帽です。

5/23-5/24の2日間、レディはアメリカンコッカースパニエルが本来持つ猟犬としての本能を発揮してくれました。

5/23の朝、いつものお散歩道を歩いていました。

すると植え込みの木の下の辺りでやけにソワソワ、柵から頭まで出して覗き込んでいます。
注意して聞いてみると、何やらピーピーと鳥の鳴き声が。

レディ子は草むらの方に鼻をクンクンさせながら進もうと必死です。

よーく見てみると、雛鳥が何羽かいるのが確認出来ました。ですが、我々と目が合った後、雛鳥たちは植え込みの奥に引っ込み出て来なくなりました。

上空では、何かを咥えた鳥がギャーギャー怒っています。どうやらムクドリのようです。

可哀想なので、それでも進もうとするレディ子をなだめつつその場を去りました。

そして翌日、5/24の朝のお散歩では、レディ子が突然たんぼの方向を向いて立ち止まりました。

彼女の視線の先にいたのは、真っ白い鳩です。

真っ白い鳩を見たのは久しぶりでした。

数年前、テレビのニュース番組で都会から白っぽい鳩がどんどん減っているという話を聞いた事があります。
都会では白っぽいと目立ってしまうため、カラスたちの格好の標的になってしまうからとか。鳥同士の弱肉強食の一端を垣間見るようなお話でした。

ご覧のように本当に真っ白ですので、きっと元はイベント用か何かで飼われていた白鳩が逃げ出して野生の鳩の群れに入り込んだのだと思います。
この辺りにも大きいカラスがたくさん住んでいますので、ちょっと心配です。
レディ子も気になるらしく、白い鳩が見えなくなるまでの間、ちょっと歩いては振り返りを何度も繰り返しておりました。

そして、最後の写真が、レディ子の『吠え友達?』のダックスフント君です。

レディ子は毎朝、<出社犬>をするために車に乗り込むのですが、ちょうど車の横隣のおうちにいるダックス君といつも『ワンワン』吠え合いをしています。
しかられてもお互い平気なようです。
ところが5/18の朝は違いました。
ダックス君が幾ら吠えてもレディ子は吠え返そうとはしません。
いつもと違う雰囲気にダックス君もビックリしたのか?写真の通り目を丸くしてじっとこちらを見ておりました。
それでもレディ子はダックス君のほうを向きません。

この日レディ子が見つめていたのは


これ、パンのかけらでした。“物欲”ならぬ“食欲”の塊のようなワンコです。
食事制限をしているから余計にそうなのかもしれませんが、それでも体重は一向に減らない“中身ずっしり”なワンコのままです。
うーん、困った限りです。

<お大師参りの日>の骨董市を見てきました(大阪 四天王寺さんにて)

2006-05-22 22:38:15 | 建物
聖徳太子建立のお寺として知られる大阪の四天王寺では、毎月21日には<お大師参り>という弘法大師空海にまつわるお参りの行事が行なわれているそうです。

この日、境内にはたくさんの屋台が立ち、割合大きな“青空骨董市”も開催されているとの話を聞いていたので、ちょうど21日だった昨日の朝、四天王寺さんへ行ってみることにしました。


朝から良いお天気で、9時前だというのに四天王寺に向かう参道には既に多くの方の姿と物売りのお店がありました。


人の流れに付いて西側から大きな石の鳥居をくぐって境内に。


右側には古いデザインの消防署、左側には付属中学・高校がありました。


正面にある<西大門>では周りを取り囲む形で植木市が立ち、さながらお花畑のようです。

まずはここで左へ曲がり大きな<六時堂>とその前にある<亀の池>を目指しました。


池はその名の通り“亀だらけ”です。



ですが、よく見ると両耳の辺りがオレンジ色の“アカミミガメ(ミドリガメ)”の姿が目立ちました。以前見た時は“クサガメ”や“イシガメ”が多かった気がするのですが。


池で休んでいた鷺らしき鳥もこの亀の数にはちょっとタジタジ気味、足の置き場に困っておりました。

池を過ぎて、さらに東の方向へ進みます。
このあたりから露店の雰囲気が変わり始めました。

それまで食べ物主体だったのが、衣料品や雑貨のお店へ、そして骨董を並べるお店へと様相が変わります。
お店の雰囲気も様々。きちんと商品を並べているお店もあれば、ダンボール箱ごと置いているお店もあり、扱う商品も本当に様々でした。フリーマーケットぽいお店もあれば、ガラクタ市のようなお店も・・・。

今回の市は、デパートやホールで開催される骨董市のような<お宝と分かっているものを売る>ものでは無く、<あるかもしれないお宝を探す>タイプの市でした。
でも、きっとこれが骨董市の本来の姿なのでしょう。
さっと見てみましたが、残念ながらこの日は自分にとってお宝と思えるものは見つけられませんでした。

しいて言えば、このワンコくらいでしょうか?
冗談です。もちろんこの子は商品ではありません。ご主人様に連れてこられ、こんな場所で待たされていました。ちょっとスネた感じでしたよ。

他にも境内ではたくさんのワンコ達に出会いました。
もしかすると、ブログをリンクさせてもらっている《ころすけ君》もお散歩に来ていたかもしれませんね。

そうそう、運良くこの日は月に一度、<亀遊嶋辯天堂>のご本尊が見られる日でした。

失礼に当たると思い、斜め遠くから写真を1枚だけ撮らせて頂きました。

実際の辯天様の像はもっと赤が美しかったと思います。

宝物殿、太子殿を横に見ながら南門まで移動。再び食べ物の露店が増えて行きます。


南大門側から中門越しに見た五重塔です。


手前の灯篭の穴からのぞくとこんな感じに見えます。

そして<西大門>に戻ってきました。
それでも時間にして約40分程掛かりました。
じっくり見たなら時間なんてあっという間に経ってしまうことでしょう。
いろんなお店が出ていますし、五重塔や宝物殿、庭園など本来見学するべき場所もたくさんあります。


普段の四天王寺さんはひっそりとした、ちょっと寂しいくらいの感じですので、もし観光がてらで参拝に来られるのでしたら是非“お祭り”状態の21日に来られる事をお奨め致します。

まるでリャドロ(リヤドロ)美術館(ル・ノーブル梅田フコク店)

2006-05-20 20:03:54 | 買い物 お土産
西洋陶磁器といえば皆さんどのようなものを想像されるでしょうか?
普通、お皿やカップ、花瓶などが思い浮かぶかと思います。

ですが、それだけではありません。
このブログで度々登場する陶器製の人形達(ポーセリン人形やフィギュリンと呼ばれています)もその一種なのです。

マイセンやロイヤルコペンハーゲン、ウェッジウッドなど多くの有名陶磁器メーカーもポーセリン人形(フィギュリン)を製作しています。
このポーセリン人形で有名なメーカーの1つが今回取り上げたリャドロ(リヤドロ)社なのです。

リャドロ(リヤドロ)社はスペインの陶磁器メーカーで、1953年にリヤドロ三兄弟がスペインのバレンシア市近郊の小さな町アルマセラに小さな工房を構えて誕生しました。
作品は年月とともに古典的自然主義から現代的自然主義に至るまで変化を遂げ、現在は世界123カ国に輸出されるまでになり多くの愛好家に親しまれています。

現在、リャドロ(リヤドロ)の直営店は東京銀座と三重県の志摩スペイン村パルケエスパーニャ内の2店舗だったかと記憶しています。
百貨店や大きな洋食器店では取り扱われていますが、スペースの都合上でしょうか?いずれも作品の展示数はそう多くはありません。

そんな中、大阪梅田のル・ノーブル梅田フコク店では4月末頃から5月末まで
<大リヤドロ展>と銘打ってリャドロ社のポーセリン人形(フィギュリン)の展示販売会を開催しています。
新作から廃盤品までその数、約300点。
ゴールデンウィークを利用してお店を覘いて来ました。

行ってみてビックリ。お店の半分以上のスペースがリャドロのポーセリン人形の展示に使用されています。300点という数字もまんざら嘘ではないようです。



パルケエスパーニャで見たときは大型作品が殆どでしたし、ゆったりとした展示方法でしたので展示数も数十点程度だったかと思います。

それから比べてもすごい展示数です。まるでリャドロの私設美術館の感さえして来ます。




それぞれの作品が持つ雰囲気も多岐に渡っています。



優しさ、かわいらしさ、そして人と見間違うような艶かしさまで様々な表情を持つ作品に囲まれ、一つ一つをじっくり見られる贅沢を無料で味わう事が出来ました。

で、結局・・・これを買っちゃいました。(それじゃ無料じゃないじゃん!)


皆スヤスヤ眠っている優しい印象の作品です。既に廃盤となったデザインだそうでした。

昨日もこの写真を撮る際、『うーん、ほんまエエわあ。これ!』という言葉が自然と出てしまいました。
アカン、これじゃ完全に骨董趣味のオヤジ状態です。

でも、本当にいい作品ですよ。
時間があれば皆さんも是非その目で作品達を見て来て下さい。

このキットカットは“郷愁の味”でした。(ネスレ キットカット フルーツパフェ仕立て)

2006-05-19 19:20:26 | 買い物 お土産
今日のお話はタイトル通りです。

《ネスレ キットカット フルーツパフェ仕立て》

たまたま<¥100>という理由で衝動買いをしてしまったのですが・・・珍しくハマッてしまいました。


外箱はこんな感じ。青地に美味しそうなフルーツパフェの絵がデザインされています。


中のパッケージもやっぱり青色です。

パッケージを開けた瞬間、一番最初にしてくるのが“バナナ”の香り。続いて甘い香りがしてきます。


外箱に書かれている通り、赤や青紫の粒々がうっすらと見えていますね。


キットカットを折った断面も外箱の通りです。何層か重ねられているようです。

お味の方はと言いますと、正直、<フルーツパフェ>の味ではありません。

だって、本物の<フルーツパフェ>は容器の中でフルーツがそれぞれ独立して存在しているのですから。

1本のキットカット上で部分毎に味を変え、齧る場所毎にそれぞれのフルーツの味がするのであれば、間違いなく<フルーツパフェ味>ですね。
でも、作る側からすると、これはとても大変な作業になってしまいます。
様々な味を1本ずつ作り、それを1セットにして販売すれば、買ったお客様が自分なりのアレンジで順番に齧り、オリジナル<フルーツパフェ>味を作れますよね。(作らない・・・かな?)

だからでしょうか?よく見るとネスレさんも今回は<フルーツパフェ仕立て>とされています。

「なーんだ」と思われるかもしれませんが、“この味”が私にはハマッてしまったのです。

バナナの強い香りがして、ジャムのような甘さとプチプチ感、そしてミルクの香り・・・

子供の頃、うちで作った“バナナがメイン”の<ミックスジュース>の味を思い出させてくれたのです。
ジューサーミキサーを前に、兄弟揃って出来上がるのをワクワクしながら待っていたあの頃の記憶がおぼろげに思い起こされました。

そして結局・・・《箱買い!(大人買い)》しちゃいました。


夫婦揃って、ちょっとした折に楽しく食べています。

外箱には“期間限定”の文字が書かれていました。

そう言えば、キットカット<フルーツパフェ仕立て>最近見かけなくなったような気が・・・。
見つけた方、特に30歳代以降の方は是非一度試してみて下さい。
きっと懐かしいと思いますよ。

マンゴーピンを食べられるお店が増えました(ピングァン2号店 in 吉本)

2006-05-17 22:07:45 | 買い物 お土産
ちょっと時間が経ってしまいましたが、GWに、たまたま移動の為難波を歩いていた所、これを見つけてビックリ。


なんと、冰館(ピングァン)とマスコットのアイスモンスター君(親父?)ではないですか。
冰館(ピングァン)2号店の発見です。

場所は、難波・南海通りの「SWINGヨシモト」(昔の難波花月です)がリニューアルした「よしもと 開運・健康・幸福 百貨店」の1階の外になります。
外と言ってもアーケードがありますので大丈夫、雨でも(たぶん)濡れる事はありません。

お店の横には幾つものテーブルと椅子が置かれ、ゆっくりと座って食べる事が出来ます。
4月末頃からのオープンだったらしく、難波ウォーク店のようなお客さんの長い行列はまだ出来ておらず、穴場的な場所になっていました。

早速、短い列の後ろへ。


中ではお兄さん、お姉さん達が、“テキパキ”とまではまだ行きませんが、せっせと注文の商品を作っておられました。

前回、1号店のなんばウォーク店で<マンゴーピン>を食べたので、今回は<イチゴピン>に挑戦です。

出来上がるまでの様子を、私達を含め皆さんワクワクしながら見ておられました。



<マンゴーピン>も<イチゴピン>もこんな感じでどんどんトッピングがされて完成していきます。



出来上がるまでにはかなりな行程を経ていますよ。

じゃーん!幸せの<イチゴピン>です。

最初から最後までイチゴを満喫出来ます。


『完食!!』

<マンゴーピン>も良いですが<イチゴピン>も最高です!!
『こんな事ならもっと早く<イチゴピン>を食べておけばよかった』と本気で思いました。

まだ充分にイチゴの時期ですから、初めてという方には、まずは<イチゴピン>から体験してみる事をお奨めします。

ここでさらにお知らせです。

昨年、大阪府内数箇所に登場した<移動店舗カー>が今年も復活しているようです。(昨年のHOOPでの写真です)

場所は昨年同様、阿倍野のHOOPエントランスとくずはモール西館1Fの2箇所です。

お近くの方は是非覗いてみて下さいね。
そして、まずは旬の<イチゴピン>からご試食あれ。

下鴨茶寮の母の日弁当(母の日の風景 in 梅田)

2006-05-15 19:14:13 | 買い物 お土産
昨日、外出した帰りに梅田の地下街を通りました。

阪急百貨店前のコンコースを抜け、地下街のホワイティーうめだへ。

仮歩道橋の設置工事が終わったからでしょうか?コンコースでは、依然あった通り抜け用の通路の入り口が完全に塞がれていました。


ちょうど夜の8時になった頃で、各デパートは閉店の準備中。

しかし、外から見ても店内に残る人はいつもより多めのようで、地下食料品売り場はかなりごった返しているようでした。
ケーキ屋さん、和菓子屋さん、おすし屋さん、お惣菜屋さん等、いずれのお店も母の日用商品を準備していたらしく、最後の売り込みに懸命な様子でした。

デパートばかりではありません。その周りのお店も、衣料品やバッグ、小物類を中心に母の日用のプレゼント商品を前面に押し出し、頑張っておられました。
そういえばいつものこの時間に比べると、お母さんと一緒の家族連れの方が多く目に付きました。

そしてお花屋さんにはどこも多くの人が集まり、カーネーションを中心に花束や鉢植えがどんどん売れていました。
阪神百貨店前の花屋さんではレジを待つお客様で長い行列が出来ていたほどです。
この時間、この花屋さんにこれほどの行列が出来ているのを見たのは初めてでした。(写真に撮っておくべきでした。)

大丸梅田店の前まで来た時、百貨店横のワゴンではお花と並んでお弁当が売られていました。
いずれも老舗のお店が作ったお弁当のようです、“吉兆”といった名前も見受けられます。
こちらも閉店時間を少し過ぎており、お弁当は<半額>になっていました。
自宅におかずはありましたが、濃い味付けの物や油モノだったので、一つ買って帰ることに決めました。
2人でしたので、お店の方が『最後の1個ですのでぜひ』と勧められたちょっと大きめの入れ物のお弁当を買うことに。

京都、下鴨茶寮さんのお弁当です。
『母の日御膳』と言う名前が付けられていました。
1段しか無いのですが段ボール箱に入り、風呂敷風の包みがされていました。
見た目にも豪華そうな感じです。
半額だからこそ出来た、それでも十分に高価な買い物でした。

中身はこんな感じ。


いずれもしっかりと味が付けられていますが、濃すぎる事は無く、素材の香りや、食感を程よく残した調理がなされておりました。
一見すると少なそうに感じましたが、2人でつまんでそこそこお腹が膨れる感じ、一人でゆっくり食べるとお腹一杯になりそうな量がありました。

今年はまだ<妻の日>でしたが、来年からは本当に<母の日>のお祝いになります。(子供自身から祝ってもらえるまでにはさらに3-4年掛かるでしょうが)
来月は<父の日>。数年後、父、母を平等に祝ってくれる子供に育って欲しい(ぜひとも育てたい)と、7月末頃《父》予定の男は思います。
でも、子供は正直だって言いますから・・・、頑張ろう。

日本の海の安全を宜しくお願いします。(海上保安庁の船)

2006-05-13 22:22:22 | 美術館 博物館 展覧会
今日の夕方のことです。

サントリーミュージアム天保山で開催中の<シャガール展>を見た後、天保山のハーバービレッジへ立ち寄りました。

何気なく外の岸壁を見ると、普段は見かけない大きな船が接岸しておりました。
ハーバービレッジ外のデッキ部分まで出て見たところ、一般の貨客船や貨物船、漁船とは異なる、何だか“強そうな感じの船”でした。


船の前の方にはひらがなで<せっつ>と言う名前が書かれています。


そして船の真ん中あたりには英語で<JAPAN COAST GUARD>と書かれていました。

直訳すると、日本沿岸警備=<海上保安庁>の船だったのです。

それに気付いた上でよく見てみると、確かにレーダーらしきものがたくさん付いていますし、後部甲板は広くなっていてヘリコプターなどが離着陸出来そうな感じです。

そして何より特徴的なのがこれ。


砲台(機銃の方が正確でしょうか?)が大小一門ずつ確認出来ました。

強そうな感じです。これが<巡視船(艇)>と呼ばれる船だと思います。

停泊期間は分かりませんが、たぶん大阪ではそれほど頻繁に見られる船では無いように思われますので、興味のある方はどうぞ。

まさかとは思うのですが、現在このハーバービレッジのデッキへの出入り口にはこんな映画宣伝用の看板が置かれていました。


現在上映中の<海猿>の大きなパネルです。
主人公の着ているライフジャケットには<海上保安庁>の文字が。

まさか映画タイアップの為に来てるんじゃ・・・。


日本の海の安全を宜しくお願いしますね。

追記、海上保安庁について知りたい方向けにこんなサイトを見つけました。

海上保安庁のHP
海上保安庁の私的総合情報サイト Off Shore Dream