KJR・LEGACY~始動            Next great Challenge

本気の頑張りは必ず花開く
人ではなく、自分に負けるな
そして大きな舞台へ
夢に終わりはない
頑張れKJRっ子!!

巣立つ子供達へ・・・ちあの、やす編

2010-04-02 22:55:54 | KJRlegacy
我がKJRの子供達は、それぞれの場所へ巣立って行きます
今はまだ学校が始まっていないので、私の手の中にいます
しかし来週からは中学校へ
それぞれの学校で陸上部に入る予定
したがって監督でもコーチでもなくなる私・・・
最後のイベントは今週日曜日のSB千葉大会です
昨年優勝したみなみ、6年時に優勝すると大きなカップが貰えます
それを1年間持っていられるのが千葉大会
それを返しに行くのです
その時にみなみは1年生と一緒に走るのが最後のイベント
明日は本当に最後の練習かな・・・?
しかし思えば長くて短い時間でした
ちあのが1年生の時、家族で何か出来ないかと考えた私
私も妻も働いていたので時間がなかった
丁度私の姉の子供達が、SBちびっこマラソンで活躍しているのを知っていた
マラソンならいつでもどこでも出来る
それがきっかけで始めたマラソンだったのです
気が付けば6年以上走り続けました
一言では語れない程色々な事がありました
良い事も悪い事も・・・
でも終わってみるとやっぱり最高の時間だったと思います
苦しい事が多いほど、乗り越える山が大きいほど、その喜びは大きい
初めて出たSB大会、2年生の時でした
普段から1キロしか走っていなかったちあの
いきなり1.5㌔のレース・・・
それでも9位で帰って来た・・・(正直ビックリ)
今でもそれが鮮明に頭に残っている
それからですかね~少し本気になったのは・・・
来年は入賞したいと思ったのです
そして3年生になり2キロのレース
1年間この日の為に練習したちあの、見事に5位入賞~
やっぱり私も嬉しかった
その時実はやすも出ていたのです、しかし結果は39位・・・
同じクラスのやすは、ちあのが出る事を知り応募していたのです
もちろん私はやすの事は知りませんでした
それから暫くしてからでしょうか?やすから電話がありました
聞くとマラソンを教えて欲しいでした
正直私は戸惑ったが本音、自分の子供で精一杯なのに他人の子供はと・・・
何より自信が無かったのが本音かな・・・?
人に教える技術も何も無かったのですから・・・
しかしやすが、本気で速くなりたい気持ちが分かった私に、断る理由は無かったのです
やすは勇気を持って私の所に来た、その気持ちを大切にしたいと思った
それからですね、私の指導がスタートしたのが・・・
初めて一緒に走ったやす、私は愕然としました・・・
1キロでちあのと1分半位差が付く・・・
余りにも遅すぎた、私は「どうすりゃいいんだ~」と、頭を抱えたのは言うまでもありません(笑)

そこでまず私は、走る事を続ける事に意識しました
速い遅いは全く気にせず、ただ毎日練習する事、これこそが1番大事ですから
1月から走り始め、夏にちあのに追いつく事を目標に練習しました
しかし真面目なやす、メキメキと力を付け始めたです
春先には追い付き追い越す成長を見せたのでした
私が意識した「続ける」を実行したやす
それと走り方はほとんど言いませんでした
何故なら、その走りの限界を待っていたのです
走るのが楽しくなっている時、色々言われて子供が混乱すると思ったのもありました
結果9月にはSBで5位入賞、11月の東京大会で2位へ大躍進
そんなマラソン人生が始まった時でした
語り出すと止まらない・・・
自分の原点ちあのとやす、私には忘れる事の出来ない出来事でしたね
教える難しさ楽しさを教えてくれたのでした
ここがあったから、全国大会に行くまでになれたのでした
巣立つちあの、やすに幸あれ
           鬼コーチおとうちゃんより

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