我がKJRの子供達は、それぞれの場所へ巣立って行きます
今はまだ学校が始まっていないので、私の手の中にいます
しかし来週からは中学校へ
それぞれの学校で陸上部に入る予定
したがって監督でもコーチでもなくなる私・・・
最後のイベントは今週日曜日のSB千葉大会です
昨年優勝したみなみ、6年時に優勝すると大きなカップが貰えます
それを1年間持っていられるのが千葉大会
それを返しに行くのです
その時にみなみは1年生と一緒に走るのが最後のイベント
明日は本当に最後の練習かな・・・?
しかし思えば長くて短い時間でした
ちあのが1年生の時、家族で何か出来ないかと考えた私
私も妻も働いていたので時間がなかった
丁度私の姉の子供達が、SBちびっこマラソンで活躍しているのを知っていた
マラソンならいつでもどこでも出来る
それがきっかけで始めたマラソンだったのです
気が付けば6年以上走り続けました
一言では語れない程色々な事がありました
良い事も悪い事も・・・
でも終わってみるとやっぱり最高の時間だったと思います
苦しい事が多いほど、乗り越える山が大きいほど、その喜びは大きい
初めて出たSB大会、2年生の時でした
普段から1キロしか走っていなかったちあの
いきなり1.5㌔のレース・・・
それでも9位で帰って来た・・・(正直ビックリ)
今でもそれが鮮明に頭に残っている
それからですかね~少し本気になったのは・・・
来年は入賞したいと思ったのです
そして3年生になり2キロのレース
1年間この日の為に練習したちあの、見事に5位入賞~
やっぱり私も嬉しかった
その時実はやすも出ていたのです、しかし結果は39位・・・
同じクラスのやすは、ちあのが出る事を知り応募していたのです
もちろん私はやすの事は知りませんでした
それから暫くしてからでしょうか?やすから電話がありました
聞くとマラソンを教えて欲しいでした
正直私は戸惑ったが本音、自分の子供で精一杯なのに他人の子供はと・・・
何より自信が無かったのが本音かな・・・?
人に教える技術も何も無かったのですから・・・
しかしやすが、本気で速くなりたい気持ちが分かった私に、断る理由は無かったのです
やすは勇気を持って私の所に来た、その気持ちを大切にしたいと思った
それからですね、私の指導がスタートしたのが・・・
初めて一緒に走ったやす、私は愕然としました・・・
1キロでちあのと1分半位差が付く・・・
余りにも遅すぎた、私は「どうすりゃいいんだ~」と、頭を抱えたのは言うまでもありません(笑)
そこでまず私は、走る事を続ける事に意識しました
速い遅いは全く気にせず、ただ毎日練習する事、これこそが1番大事ですから
1月から走り始め、夏にちあのに追いつく事を目標に練習しました
しかし真面目なやす、メキメキと力を付け始めたです
春先には追い付き追い越す成長を見せたのでした
私が意識した「続ける」を実行したやす
それと走り方はほとんど言いませんでした
何故なら、その走りの限界を待っていたのです
走るのが楽しくなっている時、色々言われて子供が混乱すると思ったのもありました
結果9月にはSBで5位入賞、11月の東京大会で2位へ大躍進
そんなマラソン人生が始まった時でした
語り出すと止まらない・・・
自分の原点ちあのとやす、私には忘れる事の出来ない出来事でしたね
教える難しさ楽しさを教えてくれたのでした
ここがあったから、全国大会に行くまでになれたのでした
巣立つちあの、やすに幸あれ
鬼コーチおとうちゃんより
今はまだ学校が始まっていないので、私の手の中にいます
しかし来週からは中学校へ
それぞれの学校で陸上部に入る予定
したがって監督でもコーチでもなくなる私・・・
最後のイベントは今週日曜日のSB千葉大会です
昨年優勝したみなみ、6年時に優勝すると大きなカップが貰えます
それを1年間持っていられるのが千葉大会
それを返しに行くのです
その時にみなみは1年生と一緒に走るのが最後のイベント
明日は本当に最後の練習かな・・・?
しかし思えば長くて短い時間でした
ちあのが1年生の時、家族で何か出来ないかと考えた私
私も妻も働いていたので時間がなかった
丁度私の姉の子供達が、SBちびっこマラソンで活躍しているのを知っていた
マラソンならいつでもどこでも出来る
それがきっかけで始めたマラソンだったのです
気が付けば6年以上走り続けました
一言では語れない程色々な事がありました
良い事も悪い事も・・・
でも終わってみるとやっぱり最高の時間だったと思います
苦しい事が多いほど、乗り越える山が大きいほど、その喜びは大きい
初めて出たSB大会、2年生の時でした
普段から1キロしか走っていなかったちあの
いきなり1.5㌔のレース・・・
それでも9位で帰って来た・・・(正直ビックリ)
今でもそれが鮮明に頭に残っている
それからですかね~少し本気になったのは・・・
来年は入賞したいと思ったのです
そして3年生になり2キロのレース
1年間この日の為に練習したちあの、見事に5位入賞~
やっぱり私も嬉しかった
その時実はやすも出ていたのです、しかし結果は39位・・・
同じクラスのやすは、ちあのが出る事を知り応募していたのです
もちろん私はやすの事は知りませんでした
それから暫くしてからでしょうか?やすから電話がありました
聞くとマラソンを教えて欲しいでした
正直私は戸惑ったが本音、自分の子供で精一杯なのに他人の子供はと・・・
何より自信が無かったのが本音かな・・・?
人に教える技術も何も無かったのですから・・・
しかしやすが、本気で速くなりたい気持ちが分かった私に、断る理由は無かったのです
やすは勇気を持って私の所に来た、その気持ちを大切にしたいと思った
それからですね、私の指導がスタートしたのが・・・
初めて一緒に走ったやす、私は愕然としました・・・
1キロでちあのと1分半位差が付く・・・
余りにも遅すぎた、私は「どうすりゃいいんだ~」と、頭を抱えたのは言うまでもありません(笑)
そこでまず私は、走る事を続ける事に意識しました
速い遅いは全く気にせず、ただ毎日練習する事、これこそが1番大事ですから
1月から走り始め、夏にちあのに追いつく事を目標に練習しました
しかし真面目なやす、メキメキと力を付け始めたです
春先には追い付き追い越す成長を見せたのでした
私が意識した「続ける」を実行したやす
それと走り方はほとんど言いませんでした
何故なら、その走りの限界を待っていたのです
走るのが楽しくなっている時、色々言われて子供が混乱すると思ったのもありました
結果9月にはSBで5位入賞、11月の東京大会で2位へ大躍進
そんなマラソン人生が始まった時でした
語り出すと止まらない・・・
自分の原点ちあのとやす、私には忘れる事の出来ない出来事でしたね
教える難しさ楽しさを教えてくれたのでした
ここがあったから、全国大会に行くまでになれたのでした
巣立つちあの、やすに幸あれ
鬼コーチおとうちゃんより