今週も雨・・・
そんな中仙台で全日本大学女子駅伝が行われた~
初代KJRメンバーみなみが杜の都路を走っていた
昨年は悔しいメンバー落ちを経験したみなみ
2年生の今年、インカレなどでしっかりと結果を残し、メンバーに選ばれました
昨日2区を走る連絡がありました
相変わらず良い報告は寄越すみなみでした(笑)
彼女と出会ったのは5年生の終わり頃だった
私が通っていた美容室の娘だった
父親と話すうちに練習に参加する事になった
初めて一緒に走った時の事は今でも忘れない
ちあのややすと離れる事無く走り続けた事を~
本当に驚いたのが一番の印象だった
それからチームに入りみなみとの陸上人生が始まった
6年生でチーム初の全国クロスカントリーリレーに出場
私は1区を任せるのはみなみしかいないと思った
しかし当時6年生最強のムセンビ選手がいた
噂は全国に流れているほどだった
レース前何人かの監督と話になった
ムセンビ選手に着いて行くのかなど話した事を覚えている
当然みんなそれは無いと話すくらいの選手でもあった
スタートから2人の選手がトップ争いをしていた~
ムセンビ選手の後ろにピッタリと走る子がいた
その子は5年生だった~
今は高校を卒業した高橋ひな選手だった
2人共その後中学・高校と活躍した選手でもあった
そしてその後ろにはみなみが走っていた~
そこからみなみも全国区の選手へと成長していった
中学時代は2年生から負け知らず
東日本女子駅伝、都道府県対抗女子駅伝には2年連続出場
ジュニアオリンピックや全中出場と本当に強くなっていた
いつもは天真爛漫にみえるみなみ
私が家に帰って来ても、居間で寝転んでるような子だった(笑)
そんな子も駅伝では中々結果が出せなかった
東日本、都道府県と4度走らせて貰った
東日本は2年連続撃沈・・・
都道府県でも2年時はやはり撃沈していた
3年生最後の時だった、みなみと色々と話してみた
中学生最後の都道府県だったので、私も何とかしたい思いがあった
普段は天真爛漫なみなみが言った言葉があった
「もしダメな走りをしたらみんなに迷惑を掛ける」と言った
その時みなみのまた違う一面を見た気がした
普段は周りをあまり気にしない感じだった
その子がこんな風に感じていると思わなかった
私はみなみに伝えた
「中学生のみなみが考える事ではない」
「中学生は中学生らしくチャレンジするんだよ」
「その結果ダメでも誰もみなみを責めないよ」
「駅伝は1人のお蔭ではない、誰かの責任でもない」
「駅伝はみんなのお蔭でみんなの責任だ」と伝え送り出した
最後の都大路、私も応援に京都へ向かった
みなみの最後のチャレンジ、そしてリベンジのレースだった
アップを手伝いいざ出陣~
沿道で応援しながら声を掛けていた
結局たいした言葉は掛けられなかったが、前を必死に追う顔で走っていた
私もこれなら行けると確信する顔でもあった
結果順位も上げシングルの区間順位で走り終わった
みなみ4度目のリベンジを果たしたレースだった
走り終わったみなみの顔は、晴れやかで笑顔に包まれていたのが印象的だった
やっとみなみらしい走りでもあった~
そんな時代を過ごし日々成長するみなみ
今日も走っている姿が見れて本当に嬉しかった
約4年間共に喜び共に泣いた事もあった
そして沢山の経験をさせてくれたみなみ
みなみがいたから行けた場所も沢山あった
何よりも指導者にしてくれたと思う
レベルの高い場所で闘う大変さ難しさを知る事も出来た
そこから多くの事を学んだ私でもあった
それが今に繋がっていたのなら、やはりみなみのお蔭でもある
だから私には忘れられない子でもあった
今年は上手く走れなかったかも知れない
でもまだ来年がある
チャレンジする心が有る限り、未来は明るい
最後まで諦めない走りを、これからもKJRっ子に見せてくれると信じている
偉大な先輩みなみの走る姿は私の誇り
そしてKJRの誇りでもある
次は小学生の番
みなみたちが築き上げたチーム
同じ舞台で勝負しよう、そして恩返しをしよう
未来を創るのも変えるのも自分自身
人はそうして成長するのです
頑張れみなみ~頑張れ小学生駅伝メンバー
コーチはいつも応援している
そんな中仙台で全日本大学女子駅伝が行われた~
初代KJRメンバーみなみが杜の都路を走っていた
昨年は悔しいメンバー落ちを経験したみなみ
2年生の今年、インカレなどでしっかりと結果を残し、メンバーに選ばれました
昨日2区を走る連絡がありました
相変わらず良い報告は寄越すみなみでした(笑)
彼女と出会ったのは5年生の終わり頃だった
私が通っていた美容室の娘だった
父親と話すうちに練習に参加する事になった
初めて一緒に走った時の事は今でも忘れない
ちあのややすと離れる事無く走り続けた事を~
本当に驚いたのが一番の印象だった
それからチームに入りみなみとの陸上人生が始まった
6年生でチーム初の全国クロスカントリーリレーに出場
私は1区を任せるのはみなみしかいないと思った
しかし当時6年生最強のムセンビ選手がいた
噂は全国に流れているほどだった
レース前何人かの監督と話になった
ムセンビ選手に着いて行くのかなど話した事を覚えている
当然みんなそれは無いと話すくらいの選手でもあった
スタートから2人の選手がトップ争いをしていた~
ムセンビ選手の後ろにピッタリと走る子がいた
その子は5年生だった~
今は高校を卒業した高橋ひな選手だった
2人共その後中学・高校と活躍した選手でもあった
そしてその後ろにはみなみが走っていた~
そこからみなみも全国区の選手へと成長していった
中学時代は2年生から負け知らず
東日本女子駅伝、都道府県対抗女子駅伝には2年連続出場
ジュニアオリンピックや全中出場と本当に強くなっていた
いつもは天真爛漫にみえるみなみ
私が家に帰って来ても、居間で寝転んでるような子だった(笑)
そんな子も駅伝では中々結果が出せなかった
東日本、都道府県と4度走らせて貰った
東日本は2年連続撃沈・・・
都道府県でも2年時はやはり撃沈していた
3年生最後の時だった、みなみと色々と話してみた
中学生最後の都道府県だったので、私も何とかしたい思いがあった
普段は天真爛漫なみなみが言った言葉があった
「もしダメな走りをしたらみんなに迷惑を掛ける」と言った
その時みなみのまた違う一面を見た気がした
普段は周りをあまり気にしない感じだった
その子がこんな風に感じていると思わなかった
私はみなみに伝えた
「中学生のみなみが考える事ではない」
「中学生は中学生らしくチャレンジするんだよ」
「その結果ダメでも誰もみなみを責めないよ」
「駅伝は1人のお蔭ではない、誰かの責任でもない」
「駅伝はみんなのお蔭でみんなの責任だ」と伝え送り出した
最後の都大路、私も応援に京都へ向かった
みなみの最後のチャレンジ、そしてリベンジのレースだった
アップを手伝いいざ出陣~
沿道で応援しながら声を掛けていた
結局たいした言葉は掛けられなかったが、前を必死に追う顔で走っていた
私もこれなら行けると確信する顔でもあった
結果順位も上げシングルの区間順位で走り終わった
みなみ4度目のリベンジを果たしたレースだった
走り終わったみなみの顔は、晴れやかで笑顔に包まれていたのが印象的だった
やっとみなみらしい走りでもあった~
そんな時代を過ごし日々成長するみなみ
今日も走っている姿が見れて本当に嬉しかった
約4年間共に喜び共に泣いた事もあった
そして沢山の経験をさせてくれたみなみ
みなみがいたから行けた場所も沢山あった
何よりも指導者にしてくれたと思う
レベルの高い場所で闘う大変さ難しさを知る事も出来た
そこから多くの事を学んだ私でもあった
それが今に繋がっていたのなら、やはりみなみのお蔭でもある
だから私には忘れられない子でもあった
今年は上手く走れなかったかも知れない
でもまだ来年がある
チャレンジする心が有る限り、未来は明るい
最後まで諦めない走りを、これからもKJRっ子に見せてくれると信じている
偉大な先輩みなみの走る姿は私の誇り
そしてKJRの誇りでもある
次は小学生の番
みなみたちが築き上げたチーム
同じ舞台で勝負しよう、そして恩返しをしよう
未来を創るのも変えるのも自分自身
人はそうして成長するのです
頑張れみなみ~頑張れ小学生駅伝メンバー
コーチはいつも応援している