と言うわけで。
『ヨイコノミライ』4巻、購入しました☆
なんと、ぺんぎん書房版の1巻も売っていたので購入しました。
ちなみに、中古じゃないのよ。だからビックリなんですよ。
感想はまた書きたいと思います。
最後ホラーかと思いましたよ!
でも、それでもちょっとカップルに萌えてしまう(笑)。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
と言うのを、直前の記事で書いていたのですが、
直前の記事をちょっと文章直したので、この部分も切り取りました。
で、感想です。
今、マンガを手に持たずに読み終えた感覚だけで感想かいてます。
思うのは、『オタク』って何?ってこと。このマンガにおいて。
私は、オタクっていうのは、
知識がいっぱいあることに何かしら優越感とでもいうような感覚があって、
誰かに「知ってる?」っていいたい、共有したい気持ちがある。
でも、マンガ好きじゃない人に対しては、その気持ちが大きければ大きいほど、
後ろめたさ、劣等感を抱いている。
そして、それを含めて自分なんだ、と思っている。
しかしその劣等感が大きければ大きいほど、
オタ仲間の中では「自分のがディープ」って言いたくなる。
ような気持ちがある人だと思うんです。
大概が絵とか描くんだけどね。小説の人もいるけど。
でも、『ヨイコノミライ』の中で、マンガもイラストも詩も書かない人は、
「生産性のない無能オタク」といわれてしまっていたような。
しかも、何も変わらない部活の事を「ぬるま湯」に浸かった、
ある種「その空間はその年代の子に必要っちゃ必要だけど、
本当に進みたい夢へは一生手が届かない場」
とでも言いたげな、そんな感じがしました。
つか、ラストは「ああいった場所は必要」と説きながら、
全然明るい場所として描写していないし。
少なくともぬるま湯と表現されていた部活は、
全然良い場所として表現されていませんでした。最後まで。
でも、ひとつだけ言わせてもらうと、部活にそんな事求めてない気がする。
そんな事と言うのは、プロになりたいからとか、そういう部分。
と言うか、私が部活に入った理由が、漫画家目指してるから、とかじゃないし。
私が違うからみんな違うって言うのが正しくないのは承知してます。
ただ、じゃあ他の部活の人はその部活に入ったら
全員がプロ目指してるんですか?そうじゃないよね?って話になりますよね。
つか、ホントに漫画家目指してる人は、投稿してます。
部活で楽しく語りながら、自分のしたいことは自分で勝手に、
それこそ杏ちゃんみたいにしてるはずです。
はずというか、してる。
だから、高校生とかでデビューしてる人とかがいるんだよ。
最初読んだときは「無能オタク」と書かれていて
「自分も今はそうなのかなぁ」って思ったし、グサッときたんです。
グサッとくるのは、一番しょーもないオタクとして描写されてるから。
しかしながら、段々「違う気がする」とも思い始めまして。
でも、漫研にただ居場所を求めているのを「無能オタク」と言っていることからすると、
『ヨイコノミライ』の場合、創作する人に優位性を持たせている気がする。
創作している人のほうが、オタクの中でもまだ良い、と言うか。
でもオタクはオタクだろう、って、思ったりもするけどね。。
ただ、『ヨイコノミライ』はそれをいいたいのではなくて、
オタクの中にそういう「夢を語りたいだけの人」がいる、
っていうことをいいたいのかなぁ。
それって、どうなの?というメッセージ?
動き出せ!というメッセージ?
なのかなぁ。
キャラが濃すぎると言うのは、キャラ設定として良いなぁ、と思う。
何でかっていうと、重ねやすいから。
と言うのは、キャラが薄いと「似てる!この子超似てるよ!!」
って、ホントに似てない限り言いづらいと思うのです。
しかし、キャラが濃いと
「こんな濃くはないよー!でも、○○なトコは似てるさ!」
って、言いやすくなる、と言うか。
瞬君と桂坂さんの2人の描写が好きだった。
そのカップルと言うか瞬君が好きだった。
結局くっついたんですよね、ああ、良かったなぁ。
と言うか、あんなに途中で読んでいて「痛いな」とか、
平松さん怖いよとか、思ったのに、
結局この2人が色々話してるシーンが一番好きっていう(笑)。
やっぱねぇ、そういう恋愛描写って好きなんですよねー。
『ヨイコノミライ』4巻、購入しました☆
なんと、ぺんぎん書房版の1巻も売っていたので購入しました。
ちなみに、中古じゃないのよ。だからビックリなんですよ。
感想はまた書きたいと思います。
最後ホラーかと思いましたよ!
でも、それでもちょっとカップルに萌えてしまう(笑)。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
と言うのを、直前の記事で書いていたのですが、
直前の記事をちょっと文章直したので、この部分も切り取りました。
で、感想です。
今、マンガを手に持たずに読み終えた感覚だけで感想かいてます。
思うのは、『オタク』って何?ってこと。このマンガにおいて。
私は、オタクっていうのは、
知識がいっぱいあることに何かしら優越感とでもいうような感覚があって、
誰かに「知ってる?」っていいたい、共有したい気持ちがある。
でも、マンガ好きじゃない人に対しては、その気持ちが大きければ大きいほど、
後ろめたさ、劣等感を抱いている。
そして、それを含めて自分なんだ、と思っている。
しかしその劣等感が大きければ大きいほど、
オタ仲間の中では「自分のがディープ」って言いたくなる。
ような気持ちがある人だと思うんです。
大概が絵とか描くんだけどね。小説の人もいるけど。
でも、『ヨイコノミライ』の中で、マンガもイラストも詩も書かない人は、
「生産性のない無能オタク」といわれてしまっていたような。
しかも、何も変わらない部活の事を「ぬるま湯」に浸かった、
ある種「その空間はその年代の子に必要っちゃ必要だけど、
本当に進みたい夢へは一生手が届かない場」
とでも言いたげな、そんな感じがしました。
つか、ラストは「ああいった場所は必要」と説きながら、
全然明るい場所として描写していないし。
少なくともぬるま湯と表現されていた部活は、
全然良い場所として表現されていませんでした。最後まで。
でも、ひとつだけ言わせてもらうと、部活にそんな事求めてない気がする。
そんな事と言うのは、プロになりたいからとか、そういう部分。
と言うか、私が部活に入った理由が、漫画家目指してるから、とかじゃないし。
私が違うからみんな違うって言うのが正しくないのは承知してます。
ただ、じゃあ他の部活の人はその部活に入ったら
全員がプロ目指してるんですか?そうじゃないよね?って話になりますよね。
つか、ホントに漫画家目指してる人は、投稿してます。
部活で楽しく語りながら、自分のしたいことは自分で勝手に、
それこそ杏ちゃんみたいにしてるはずです。
はずというか、してる。
だから、高校生とかでデビューしてる人とかがいるんだよ。
最初読んだときは「無能オタク」と書かれていて
「自分も今はそうなのかなぁ」って思ったし、グサッときたんです。
グサッとくるのは、一番しょーもないオタクとして描写されてるから。
しかしながら、段々「違う気がする」とも思い始めまして。
でも、漫研にただ居場所を求めているのを「無能オタク」と言っていることからすると、
『ヨイコノミライ』の場合、創作する人に優位性を持たせている気がする。
創作している人のほうが、オタクの中でもまだ良い、と言うか。
でもオタクはオタクだろう、って、思ったりもするけどね。。
ただ、『ヨイコノミライ』はそれをいいたいのではなくて、
オタクの中にそういう「夢を語りたいだけの人」がいる、
っていうことをいいたいのかなぁ。
それって、どうなの?というメッセージ?
動き出せ!というメッセージ?
なのかなぁ。
キャラが濃すぎると言うのは、キャラ設定として良いなぁ、と思う。
何でかっていうと、重ねやすいから。
と言うのは、キャラが薄いと「似てる!この子超似てるよ!!」
って、ホントに似てない限り言いづらいと思うのです。
しかし、キャラが濃いと
「こんな濃くはないよー!でも、○○なトコは似てるさ!」
って、言いやすくなる、と言うか。
瞬君と桂坂さんの2人の描写が好きだった。
そのカップルと言うか瞬君が好きだった。
結局くっついたんですよね、ああ、良かったなぁ。
と言うか、あんなに途中で読んでいて「痛いな」とか、
平松さん怖いよとか、思ったのに、
結局この2人が色々話してるシーンが一番好きっていう(笑)。
やっぱねぇ、そういう恋愛描写って好きなんですよねー。
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この記事の続きです。
むしろ下の記事たちに自分の書きたい事が詰まってます。