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成都発都江堰青城山ツアー

2018-02-20 10:04:32 | 海外旅行
都江堰は四川省都江堰市の灌口という町に位置し、古代に建設され、今でも役に立っている大規模な水利プロジェクトです。「世界水利文化の開祖」と呼ばれ、中国の有名な名所古跡の一つです。秦の時代の蜀郡の太守(注釈:中国の古代の官職)李氷父子が群衆を率いて、紀元前256年ごろ都江堰水利プロジェクトを建設しました。今では、全世界で歴史が最も長く、唯一保存され、しかもダムがなくて引航を実現する大型の水利プロジェクトです。2000年、悠久な歴史、大きいな規模、合理的な構成、科学的な運行、環境にもやさしいなどの特徴で、また歴史の面でも科学の分野でも高い価値を備えているので、都江堰水利プロジェクトは世界文化遺産に登録されました。

現在、成都平原は「天府の国」と呼ばれていますが、古代には実に旱魃や洪水も非常に頻繁な地域でした。岷江は長江の支流で、しかも水量がすごく豊富で、ちょうど四川盆地という中国西部の豊かな地域を経由し、典型的な地上川になりました。都江堰と成都の距離はわずか50キロメートルですが、しかし273メートルの驚くほどの高低差があります。古代には、岷江は洪水が発生したら、成都平原は果てしのない海原になって、旱魃(かんばつ:雨が降らないなどの理由で土壌が乾ききってしまい、農作物が育たない状況。)が発生したら、また不毛の地域になってしまいました。

魚嘴
都江堰水利プロジェクトは洪水防止、農業灌漑用水の提供、水上運送を一体とした水利工事です。都江堰の第一肝心な部分の魚嘴は分水の役割を果たしています。魚嘴(岷江の流れを適切な比率で本流と灌江に分ける「魚嘴」は最も重要な構造物である。)の建設場所、大きさ、長さ、高さ、傾斜角度と造る位置の周辺の水流流速、水量などが全部精密に計算、設計されています。それで造った魚嘴がうまく岷江の内江と外江の分水をしています。増水期は上流から流れてきた岷江総水量の60%が外江に入り、40%が内江に流れます、渇水期が逆になり、60%の水量が内江に入り、40%の水量が外江に入ります。そうすると、うまく内江に入る水量をコントロールして、増水期の洪水を防ぎ、渇水期には農業灌漑用水を確保します。

宝瓶
都江堰第二の肝心部分‐宝瓶口は成都へ水を導く主要な役割のほかに2回目の分水効果もあります。宝瓶口は幅が一定なので、その中に入る水が自然に制限されています。余った水は、飛沙堰を通って、外江に流れ、効率的な2回目の分水機能をしています。都江堰水利プロジェクトのおかげで、成都平原は広くて肥沃な地域になって、中国西部は真珠のように輝いています。
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成都現地旅行社

2018-02-20 09:46:28 | 旅行
青城山は四川省都江堰市の西南部に位置し、古くは「丈人山」と呼ばれ、主峰は上空に天高くそびえ、海抜は1260メートルです。山全体の木々が四季を通して青さを保ち、諸峰を囲む城郭のようなので、青城山と呼ばれています。何千段もの階段があり、くねくねした小道は、奥深い静かな所まで通じています。高い木々に囲まれた幽玄な雰囲気が特色で、古くから「青城天下幽」という美誉を持ちます。剣門の険、峨眉の秀、夔门の雄と同じレベルに立っています。景勝地の面積は200平方メートルで、古人の記述によると、青城山には「三十六峰」、「八大洞」、「七十二小洞」、「一百八景」があると言われています。青城山

青城山は前山と後山に分けられます。前山は青城山景勝地の主体の部分で、約15平方キロメートルあり、景色が美しく、文物と遺跡がたくさんあります。主な景観は建福宮、天然図画、天師洞、朝陽洞、祖師殿、上清宮などです。後山の総面積は100平方キロメートルで、水が澄み、奥深い林、山は雄壮で険しく、真直ぐ空高くそびえ、よじ登る事は不可能です。主な景観は金壁天倉、聖母洞、山泉霧潭、白雲群洞、天橋奇景などです。青城山は木々が青々と茂り、深緑の森林と峰、川、谷、宮と観(道教の寺院)は、互いに引き立て合っています。寺院と亭閣は自然から材料を取り入れ、装飾は少なく、山林岩泉と一体になり、道教の素朴自然を尊ぶスタイルが現れています。その他、青城山の特色は日の出、雲海、聖灯などの自然奇観です。

青城山は中国の著名な道教名山であり、中国道教の発祥地の一つです。東漢以降、二千年も経過しています。公元143年、「天師」張陵はここに来て、青城山の奥深さと緑深さが気に入り、家屋を作り道教を伝えました。青城山は道教の発祥地になり、道教から「第五洞天」と認定されました。山全体で今まで無傷に保存された数十の道教寺院には、天師洞を中心に、建福宮、上清宮、祖師殿、圆明宮、老君阁、玉清宮、朝陽洞などがあります。

唐末期、有名な道士--杜光庭が青城山に来た後、天師道の伝統と上清道は結合されました。杜光庭は晩年、青城山に30年間定住し、著書をして説を立て、道教の発展に大きな影響をもたらしました。明代、青城山の道教流派は、全真道竜門派に属しました。全真道は「養身習静」という修行方法を創立します。当時、道士は山に定住して、宮観の保護、山林の栽培をさらに重視してきました。明朝末年、戦乱が頻繁に起き、道士達は避難して各地に散りました。清朝康熙八年まで、武当山全真道竜門派道士--陈清覚は青城山で教務を管理した後、局面はよい方向に向かいました。現在、青城山道教流派は、全真道竜門派丹台碧洞宗に属しています。
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成都 現地 発 ツアー

2018-02-20 09:28:36 | 旅行
杜甫草堂は唐代の詩人-杜甫が成都に住んでいた時の住居です。759年から約4年間、杜甫は安禄山の乱を逃れるために成都に移り住み、絵のように美しい街の郊外にある浣花溪のほとりにあばらやを建てて質素な生活を送りました。彼の全作品1400首のうち、代表作を含む247首がここで生まれました。唐末期には杜甫を称えるためにあばらやの跡地に草堂が建てられましたが明代になり再建されて今日に至っています。1811年、杜甫草堂の規模とレイアウトが決められ、記念となる祠と詩人の旧居が一体となった博物館のようになっています。古めかしく素朴な雰囲気に溢れ、幽玄の美として名声を博しています。

杜甫草堂は清の嘉慶皇帝の時代に建て直された際の設計をそのままに、総面積は300ムー(1ムー=6.6アール)あります。庭園は非常に独特で、いわゆる「混合式」という中国の古典庭園様式です。博物館はそれぞれ文物観光スポット(草堂の旧跡)、庭園(梅園)、サービスゾーン(草堂寺)に分けられています。草堂旧跡内には照壁、正門、大廨、詩史堂、柴門、工部祠が一直線上に配されており、回廊は左右対称で、その両側にはその他付属建築物があります。間を水が流れ、小さな橋が連なり、竹林が茂り、荘厳かつ古風質素、静かで静寂な雰囲気を醸し出しています。

杜甫草堂の中にある記念となる祠の中心的な建築は詩史堂です。真ん中には彫刻家の劉開渠によって彫られた杜甫像が置かれ、堂内には歴代の有名人が書かれた絵馬が陳列されています。工部祠内には杜甫の肖像画が祀られています。祠の東側には「少陵草堂」という石碑を保護するためのあずまやがあり、それは杜甫の暮らしていたあばらやを象徴しています。

成都杜甫草堂の博物館には貴重な資料が3万冊以上、文物も2000件以上保存されています。宋、元、明、清の時代に杜甫の詩を彫刻したもの、影印本、写本及び近代の様々な印刷物、そして15種の言語の翻訳本があります。朝鮮、日本に伝わった120余りの漢語版も保存しています。ここは杜甫の生涯にわたり作られた詩がたくさん最もよく保存されている所といえるでしょう。成都杜甫草堂は詩聖によって世界的にも有名です。
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成都 現地ツアー

2018-02-20 09:12:53 | 旅行
成都市市内にある三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社です。6世紀ごろから建てられ始め、明代には隣接する主君・劉備玄徳の陵墓、漢昭烈廟と併合されました。孔明の贈り名である忠武侯にちなむ武侯祠として親しまれています。戦火のため、現存する建物は清代康熙の1672年に再建されたものです。

3.7万平方メートルの広大な境内には、南北方向の中軸線に沿って大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五つ主体建築があります。劉備殿には金泥の劉備像が安置され、側棟には関羽、張飛ら文官、武官の塑像があります。諸葛亮殿には、孔明の像や南征時に鍋や銅鑼として使ったという、諸葛亮自ら作ったといわれる青銅製の巨大な諸葛鼓などの文物が納められています。

また、大門を通ると、生い茂る緑の中に六通の石碑があり、中でも孔明を称えた唐代の809年建立の石碑はかなりの文物価値を持っており、"三絶碑"と呼ばれています。これらは唐代の著名宰相裴度が作った碑文、書法家柳公権が書いた書、名匠魯建が彫ったもので、いずれも卓越しています。
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