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成都発四姑娘山ツアー

2018-02-02 09:05:20 | 旅行
四姑娘山は四川省成都市から西北220キロの日隆鎮に位置し、専用車で約7時間ぐらい掛かります。4連峰あるから、四人の手を繋いでいる娘の山と名付けられたのです。名前通りに四姑娘山(海抜6250メータ)の他に三姑娘山(海抜5664メータ )、二姑娘山(海抜5454メータ)、大姑娘山(海抜5355メータ)と四川省横断山脈の四つの雪山からなっています。特に四番目の四姑娘山は絶壁が切立つゆえに登山家の夢に憧れてる登山聖地です。また、自然景色の素晴らしさから東方のアルプス、「蜀山の後」などとも呼ばれています。

 近年来、中国国内観光業の開発で四姑娘山は中国国家級観光区になり、開発された観光地は主に長坪溝、 双橋溝、海子溝と巴朗山です.また、最近日本の花見と登山の観光客にも大変人気ある観光地です。植物家には高山植物の宝庫と呼ばれてる四姑娘山には季節により、様々な高山植物が現れてきます:5月からシャクラゲ、桜草など、6月から 8月までは青いケシ、赤いケシ、黄色いケシ、白いケシを始め、エーデルワイス、草ジンチョウゲ、アツモ リそう、キランソウ、キンポーゲなどの花が山一杯に咲きますので、植物愛好家達の楽園になります。それに、海抜一番低い大姑娘山は山トレッキングの一番いい所で、技術的に特に難しい所がなく、アイゼ ン、ピッセルなどの装備は通常必要ありませんなので、日本と中国の登山愛好家に愛着されています。
双橋溝(そうきょうこう、海抜3100m~3800m)
日隆鎮の宿泊ホテルから約7キロ、溝の全長34・8キロ、総面積は216.6平方キロです。溝内グリーンバス利用して観光しますが、途中2箇所ぐらい夫々30分間ほどの遊歩道利用するフラワーウォッチングフリータイム取れます。観光所要時間は約4時間から5時間です。溝内主な見所は五色山・日月宝鏡山・猟人嶺・玉兎峰・阿毘山・鷹嘴岩とポタラ峰などの雪山と牛棚子草坪・盆景灘・人参果坪などの草原牧場です。特に5月、6月、7月、8月は牛棚子草坪、人参果坪などの草原牧場では桜草をはじめとする高山植物満開するので 、フラワーウォッチングと雪山観賞撮影のいい場所です。
  入場料80人民元、観光バス代70人民元の合計150人民元の観光費用掛かります。
長坪溝(ちょうへいこう、海抜3100m~3600m)
  日隆鎮の宿泊ホテルから約3キロ、溝の全長29キロで、総面積は100平方キロです。徒歩又は馬利用して観光します、馬が結構危ない所を走るので、徒歩観光をお勧めします。所要観光時間は約5時間です。入り口から約16キロ離れる所に四姑娘山位置してるから、数多い山好きな人が入る谷です。溝内主な見所はラマ寺、枯樹灘、龍洞、鶏冠石などです。ラマ寺は昔一時繁盛したチベット仏教のお寺ですが、火事で破壊され、遺跡は火事後のままで長坪溝の入り口に残っています。当然、お坊さんや巡礼するチベット人の姿が見えません。枯樹灘は峡谷中の一つ浅瀬ある観光地で、浅い河床に何十本の枯れた木があり、木の後ろに四姑娘山がはっきりと聳え立っているので、 晴れる日の四姑娘山撮影のいい場所です。龍洞と鶏冠石は 原始林の一番多くにある観光地で、秋になると紅葉がものすごく綺麗です。また、四姑娘山の山麓に位置してるので、もっとも近い距離で四姑娘山の撮影ができます。
入場料は70人民元です、馬代は距離により違いますが、初乗り料金は50人民元で す。 
海子溝(かいしこう、海抜3100m~3500m)
  日隆鎮の宿泊ホテルから約500メータ、溝の全長19.2キロ、総面積は126.48平方キロです。徒歩又は馬利用して観光します。所要観光時間は約3時間から4時間です。溝内主な見所は鍋荘坪、朝山坪、大海子、花海子などです。この溝は花見の最高のところだと思います。5月下旬から8月下旬までリンドウ、ウスユキそう、ダイオウ、エーデルワイス、草ジンチョウゲ、キンバイソウ、ヤマハハコ、ケシ、キランソウなどほぼ四姑娘山全部の高山植物がこちらで見えます。また、鍋荘坪、朝山坪から四姑娘山、三姑娘山、二姑娘山、大姑娘山の四つの嶺の眺望ができますので、四姑娘山観光の一番いい場所だと思います。そして、大姑娘山の登山も海子溝を通ります。
入場料は70人民元、馬代は片道150人民元です。
巴朗山(はんろうざん、峠辺りの海抜は4523m)
臥龍から日隆まで移動途中に超える海抜5000メータ以上の高い山ですが、山のほぼ頂上辺り に青いケシを初めとする高山の野花が5月から8月下旬までに咲き乱れますので、花好きな日本の観光客には中々人気ある山になっています。
①.黄色いケシ(6月上旬から8月初め頃)
②.赤いケシ(6月上旬から8月初め頃)
③.アツモリソウ(6月下旬から7月中旬まで)
④.アヤメ(6月上旬から8月初め頃)
⑤.コバイケイソウ(7月初めから8月初め頃まで)
⑥.エーデルワイス(7月初めから8月中旬)
⑦.ミヤコグサ(7月初めから7月下旬)
⑧.ヤマハハコ(7月中旬から8月中旬)
⑨.赤と黄色いと紫色の桜草(5月初めから7月下旬)
⑩.スミレ(7月初めから8月初め)
キンバイソウ(6月中旬から8月中旬)
シオガマ(7月中旬から8月初め頃)
イチリンソウ(6月下旬から8月初め頃)
ハクサンイチゲ(7月下旬から8月初め頃)
ミミナグサ(7月中旬から8月初め頃)
勿忘草(6月中旬から8月下旬)
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四川省旅行

2018-02-02 08:40:22 | 旅行
大足石刻は重慶市大足県にあり、重慶から約120キロ、バスで約2時間ですが、成都からは約280キロで、交通時間は4時間半ぐらいも掛かります。大足石刻は殆ど唐代から南宋時代までにできた仏教関係の石刻で、大足県の宝頂山・北山・南山・石門山・石篆山などに集中していますが、今まで発見された仏像の石刻は10万体も超えています。一番よく集中してる所は宝頂山と北山で、それぞれ仏像が1万体ぐらいあるそうです。1999年の12月、宝頂山と北山の仏像石刻が世界文化遺産に登録されましたので、重慶のもっとも有名な観光地にもなっています。

 それになぜか大足にはこんなに沢山の仏教造像造られたのかというと、当時の中国の社会事情を説明しないといけないんです。唐時代末期、安史の乱の打撃で、唐王朝中央政府の力が随分弱くなって、地方には色んな軍閥が出てきて、権力と土地を占める為に軍閥の間がよく戦争が起こります。中国黄河辺りの北国のほうが戦争が多くて、普通の国民が生活できなくなったのです。それで、数多い農民や、学者、高僧、彫刻師などが戦争を避けるために当時割りと戦争が少なく、安定してた南地方の四川省に逃げてきました。特に大足と安岳辺りが当時四川省の政治、経済、文化の中心地で、また交通要所でもあるから、沢山の人がそこら辺に住むようになったのです。当時が北国のほうが戦争多かったですが、南のほうがまだ戦争があんまになかったのです、南の人が戦争が早く終るように、南国では戦争が起こらないように・・・などの願いを込めて、皆金を出して、北国からやってきた高僧と彫刻師に頼んで、仏像を造らせました。そこから、唐末期から南宋時代まで凡そ400年間の仏像彫刻運動が大足とその周辺の県で続きまして、できた仏像が今まで発見されたのが10万体ぐらいです。また、大足の隣の県・安岳県にも10万体ぐらい発見され、周辺の仁寿県、簡陽市、資陽市、楽山市などにも数多い仏像彫刻が見つかりました。 

1、宝頂山石刻
 大足県町から約15キロ離れ、約1万体の仏像が彫刻された世界遺産です。紀元1174年~1252年、当時四川省で流行ってた密教の教主・趙智鳳が主催して、凡そ70年間を掛けて造らせた密教の道場ですが主に三つの部分からなっています。 

 大仏湾:「U」字の形をしてる小山で、小山の麓の長さ約500メートル、幅8メートルから25メートルの岩壁に8000体ぐらいの仏像彫られています。東、南、北の岩壁に彫刻されているが、それぞれ、金剛力士、六道輪廻図、華厳三聖像、千手観音像、釈迦様涅槃像、地獄変相図、報恩変相図、密教の修行図、円覚洞などです。芸術性と造る技術などの面から考えたら、代表的なのは華厳三聖像、1007本の手も彫刻された千手観音像、長さ31メートルもある釈迦様涅槃像、十大明王像と一番芸術性が高いと言われている円覚洞です。大仏湾を全部見るには約1時間半ぐらい掛かります。

 聖寿寺:南宋時代の趙智鳳によって大仏湾の側に建てられた仏教お寺ですが、歴史上何度も戦争でなくなったが、現存のお寺が清の康煕皇帝時代に建てなおされたものです。地元の人がよく参拝に行くお寺なので、結構線香が多いお寺です。

 小仏湾:聖寿寺中に位置していますが。趙智鳳は当時お寺建てた時、お寺中に沢山の岩石を運んでいって、それらの石をお寺の仏殿の壁に貼り付けた後、その石の表面に沢山の仏像を彫刻しました。合わせて、2千体ぐらいもあります。

2、北山石刻
 大足県町から約1.5キロ離れてる北山にあり、バスで約10分間ぐらいです。1999年、宝頂山と一緒に世界文化遺産に登録されました。仏像が合わせて1万体もあり、唐時代(892年)~南宋時代(1162年)の間にできたのです。宝頂山のような一人の考えによって仏像できたと違って、北山の仏像が地元の仏教徒が各自其々で金を出して、彫刻師に造ってもらったので、同じ仏像が極めて多いです。観音菩薩、釈迦三聖、地蔵菩薩などの像が最初の三位を占めています、これも当時の人々の考えの一つの表現だと思いますね。

 また、唐時代、五代十国時代、北宋時代、南宋時代の各時代の仏像があるので、それらの仏像を通して、各時代の 経済、美意識、仏教の発展などがよく分かります。唐時代の仏像がスタイルが豊満、豊かな顔付きをし、また、衣装はシルク生地が多く、薄くて透明度が高そうですから、唐時代の明るい社会制度、人々の豊かな生活ぶりなどを表しています。五代十国時代と北宋時代の仏像がまず全体的に規模が小さいんで、それから、観音菩薩と弥勒菩薩の像が圧倒的に多いから、当時国と普通の庶民の経済力弱いことがよく分かります。また、慈悲の観音様と喜びの弥勒菩薩の造像が多いことから、普通の人々の戦争に厭きた気持ちと仏様に苦から救ってほしい気持ちも十分表しています。南宋時代になると、仏像の規模がかなり大きくなるし、また、造る技術も、芸術性も物凄く高いですから、当時の社会的に経済の繁盛さを反映しています。また、仏像の衣装も綿の生地が多く、体の各部分がヌードになってる部分が殆どないことから、当時の風俗習慣を反映する一方、儒教思想が当時中国の主流思想であることもよく分かりました。さらに、仏像の造形とか、顔付きとか人間っぽくになってきてるので、仏教の俗化の傾向も露わもなっています。 上記の原因がありますので、北山石刻が大足石刻の代表だと言われ、また東方石刻の宝庫とも呼ばれています。日本の観光客にも大人気な仏像観光の名所になっています。

3、南山石刻
 南山石刻は大足県町から約5キロ離れ、北山石刻から約3キロ、約300体ぐらいの大きい道教の神様造像があります。造る年代は南宋の1127年~1279年の間で、当時の南山にあった道教の先生達が彫刻師に頼んで造ったものだそうです。規模も割ると大きいで、また当時の道教文化と道教の発展を代表してますから、中々見る値打ちがあります。

4,安岳石刻
安岳石刻は安岳県にあります。安岳県、四川省東部に位置し、古称は普州で、総面積 2689 平方キロ.後漢時代から県内の仏像造像運動が始まり、唐、宋時代が盛んになり、明清時代も絶えずに続いたのです。現在県内に残ってる石刻造像は10万体も超え、殆ど中国の仏像造像芸術盛んな時代・唐、五代十国、北宋時代にできたので、かなり芸術性高い仏像群れだと評価されています。安岳石刻は県内凡そ300箇所の所に分部しているが、割と仏像が多い、芸術性が高い、安岳石刻を代表できる石刻群れは7箇所ぐらいあります。

 臥佛院:安岳県町から39キロ離れる八廟鎮に位置し、初めての仏像は唐代の紀元723年彫られ、五代まで仏像彫刻は続いています。今残ってる仏像は1613体で、仏経文字40万字、洞窟139個です。中の代表作は唐代に彫られた釈迦涅槃像で(俗称:臥佛)、全長23mもあり、中国第一の釈迦様の全身涅槃像だと言われています。

 円覚洞:安岳県町から1キロ離れる金花村の雲居山に位置し、現存仏像1933体、洞窟103個、石碑25個、唐代、五代十国時代、宋代の仏像が残っています。代表作は釈迦佛、浄瓶観音、蓮花手観音と西方三聖、地獄変相図、毘沙門天などです。

 玄妙観:安岳県町から20キロ離れる鴛大鎮黄桶集聖山中腹に位置し、現存仏像1293体、洞窟79個、石碑4個、全部唐代に彫刻した道教の神様造像で四川省の一番数が多い、造像年代が一番古い道教造像群れで、道教の研究には極めて値打ちがあるから1994年、四川省省重点文物に指定されました。

 千仏塞:安岳県町から2キロ離れるカ島村大雲山山頂に位置し、現存仏像は3061体、洞窟105個、唐代石碑2個、額26個。代表作は菩薩造像、薬師如来変相図で、1956年、四川省省重点文物に指定されました。

 ビル洞:安岳県町から50キロ離れる石羊鎮塔子山に位置し、現存仏像465体、洞窟20個、石碑と額など32個、全て宋時代に彫刻されたものです。代表作は観音変相図中の「紫竹観音」、「柳本尊十煉図」などで、特に紫竹観音造像は造形美観、芸術性が高く、安岳石刻の珍品だと言われています。2001年、中国国家重点文物に指定されました。

 華厳洞:安岳県町から56キロ離れる赤雲鎮箱蓋山に位置し、現存仏像159体、石碑と額24個、宋代にできたものです。代表作は華厳三聖、大乗十菩薩、善財五十三参などの仏像を有してる「円覚道場」と「大般若洞」です。1961年、四川省省重点文物に指定されました。
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中国成都発 ツアー

2018-02-02 08:39:27 | 旅行
劉備、曹操、諸葛孔明、関羽、張飛などの英雄を始め、三国時代の豪傑たちの物語が中国人の世間話の話題になり、三国時代の遺跡も中国人が探訪、参拝する人気観光地になった。その中に蜀国の劉備、諸葛孔明、関羽と張飛などの人気英雄がかつて戦った四川省と陝西省に沢山の遺跡が残されたので、それらの遺跡を辿りながら参拝するのが英雄たちを懐かしむベスト方法だと考えられている。

成都武候祠
三国志の旅の総本山と言われています。その近くに劉備玄徳の墓――恵陵があります、また劉備を初め、蜀の国の重要人物を祀っている「漢昭烈廟」もありますが、民間では諸葛孔明の声望がもっと高かったので、武候祠として世に知られています。最近、劉備義理の三兄弟祀る「三義廟」も市内の別のところから移されてきました。また、すぐ隣にある「錦里」という町に昔の成都風情が濃厚です。
入場料:60元 
場所:成都市本町の西南部にあります。
アクセス:1路、8路、10路、29路、53路、57路、94路、109路、302路などのバス停「武候祠」下車
万里橋
費緯(蜀の大臣)は蜀呉同盟のため使者として呉の国へ出発した時、諸葛孔明が錦江の南門大橋まで見送りに行きました。見送った時、孔明は「万里の旅は足元から始まる」とおっしゃったので、その橋は「万里橋」と呼ばれたのです。現状は昔の古橋はコンクリートに変わりましたが、船みたい建物が近所に作られています。その建物で食事をしながら、錦江沿いの景色を眺めるのは楽しいことでしょう。
場所:成都市錦江のほとり
アクセス:1路バス停「南大街」下車、35路、93路、109路、340路バス停「錦里東路」下車。
ホウ統祠
劉備軍が蜀を侵攻した途中に流れ矢に当たって戦死した軍師――?統の記念地。祠の前には金牛古道が見られます。祠内にホウ統を祭る「鳳棲殿」、?統の衣冠塚と?統が死の直前に乗っていた白馬像などがあります。ホウ統祠より3キロぐらい離れた古道沿いに「落鳳坡」の石碑が建てられています、「落鳳坡」にまたホウ統の血墓(埋蔵地)があります。
場所:四川省徳陽市羅江県白馬関
アクセス:成都――綿陽高速道路にて「万仏寺」又は「羅江」の出口から行きます。
双忠祠
諸葛孔明の子孫が戦死したところに「双忠祠」がつくられています。週長30メートルの巨大な墓の所に激しい戦いの場面が彫刻で再現されたほか、高さ4.6メートルの碑が立てられています。
場所:四川省綿竹市職業中学内
アクセス:徳陽――綿竹の道路を走ります。または綿陽―羅江―綿竹の方向からも行けます。
富楽山
『三国演義』においては、フ城(現在の四川省綿陽市)の東山で展開された「フ城の会」というエピソードが有名です。いまの富楽山公園は劉備が入蜀した時、フ城で劉璋と宴会したところ。公園にその宴会を記念した「富楽堂」があるほか、門前に「桃園の誓い」の像、「五虎上将」の塑像があり、奥に劉備と?統の像があります。富楽山公園は三国志のテーマパークです。
場所:四川省綿陽市富楽山公園
アクセス:綿陽駅前の臨園路東方向へ
蒋エン墓
蒋エンは孔明の丞相の職の後継者、246年病死の後、フ城に埋蔵されたのです。墓は本物で何度も盗掘されたそうです。墓の東隣にまた蒋エンを記念した蒋恭候祠があります。
場所:四川省綿陽市西山公園
アクセス:綿陽貨物駅、鉄道学校の近く。
七曲山大廟関帝像
ここの関帝廟は世界で唯一顔が金色の関羽像。本来顔が赤いはずの関羽はなぜ?それは、七曲山大廟にある文昌帝に合わせたから。七曲山大廟の建物が坂に建てられ、ロケーションが素晴らしいです。ここは張飛柏で有名な翠雲廊の南側の入り口でもあります。
場所:四川省梓憧県七曲山
アクセス:梓憧の市街地から108国道北方向へ1キロ。
翠雲廊
金牛古道沿いに昔から道の識別のため、たくさんのヒノキが植えられました。その中に張飛と部下が植えたのもあります。南の梓憧県から北の剣閣、東の?中などのところまで数百キロ延びていたのです。劉禅が投降後、魏の国へ行った時、その林の中で休憩したことがあるので、「阿闘柏」が残っています。
場所:主に108国道梓憧―剣閣部分
アクセス: 108国道にて剣門関から南へ10キロ。(梓憧県方向からも行けます)。
剣門関
蜀の北を進出した天然要塞。蜀の姜維と魏の鐘会の攻防したところ。李白の漢詩『蜀道』には、「一夫当関、万夫莫開」(一夫関に当たれば万夫開くことできず)と書いたところはその辺でしょう。2006年の正月に剣門関の鎮関楼が火事で焼かれましたが、最近新築されました。剣門関の豆腐料理も名物。剣門関の近くに姜維の衣冠塚があります。
場所:四川省剣閣剣剣門関風景区
アクセス:成都――広元高速道路の剣門関出口から108国道を16キロ走ります。
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