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成都 観光 ツアー

2018-02-18 07:48:33 | グルメ
成都や重慶といった都市がある四川省は、盆地で周りは山に囲まれているので夏は蒸し暑く、冬は霧が濃く晴天の日はほとんどありません。四川料理はこのような独特の気候風土をもとにして生まれた料理で、味の特徴は、酸味が利いているほか、“麻辣”と言われる味つけがあります。“麻”とは舌が痺れるような山椒の味、“辣”は唐辛子の辛さを表しています。長江の上流にある四川盆地は「天府の国」といわれ、古来より豚肉、牛肉、鶏、川魚、野菜などの食材が豊富にあります。四川省の周りには海がないので乾物も多く使用されるほか、“小吃”という手軽に食べられるファーストフード的なものが多いという特徴もあります。代表的な料理は《麻婆豆腐》《宮保鶏丁》《棒棒鶏》《担担麺》です。
麻婆豆腐
『陳麻婆豆腐店』は国によって指定された「中華老舗」のうちの一軒で、清時代1862年に成都郊外の万福橋で開業しました。元の名前は『陳興盛飯鋪』といい、調理師は陳春富氏の奥さんでした。陳氏の作ったものは豆腐の色合いがよく、牛肉の粒もさくさくとして軟らかかったそうです。また「麻」や「辣」など四川料理独特のおいしさがありすぐに有名になり客も殺到しました。またある人によれば陳氏の顔には痘痕があるので陳氏の作った豆腐が『陳麻婆豆腐』と名づけられ、店も『陳麻婆豆腐店』と呼ばれるようになったそうです。清時代末年になり『陳麻婆豆腐』は成都の名物料理になりました。
担担麺(タンタンメン)
担担麺は小麦粉で作った麺を煮て、炒めた豚肉と一緒に食べる料理です。この料理は四川省に広く伝わっています。担担麺の中でも一番有名なのは『陳包包担担麺』です。『陳包包担担麺』は自貢市の陳包包という人が1841年に初めて作り担いで売り歩いたためにこう名づけられました。以前は鍋を2つに分けて、うち1つは煮た麺を入れ、もう1つには鶏或いは豚の腿肉を煮たものが入っていました。現在、重慶、成都、自貢などでは従来からの特色のある担担麺のお店があります。その中でも成都の担担麺が一番、特色があります。
夫妻肺片(フチフェペン)
「夫妻肺片」は成都地区の有名な料理です。1930年代成都少城の郭朝華という男性が妻と一緒に街で凉拌牛肺片(牛の肺をうすく切り、冷たいまま調味料と和えた料理)を売り歩いていたそうです。この夫妻の作った凉拌牛肺片の味は独特で人々に大変好評でした。彼らの作ったものを他の店のものと区別するために「夫妻肺片」と呼ばれていました。彼らが店を構えて商売を始めてからは牛肉やタンも加えボリュームも増えていきました。この料理の本来の味を保つために「夫妻肺片」という料理名は今でも使われています。
川北涼粉(チャンベリャンフン)
冷たいままで食べる麺類の料理です。謝天禄という人物が南充渡し場(南充:南充市、四川省にあります)で涼粉を売ったことに始まります。その涼粉は柔らかくて、調味料が辛くて香りもよいため、人気があります。その後「川北涼粉店」を開きました。現在では、川北涼粉は有名で大変人気があります。
成都の美食街
成都には数多くのそれぞれ特徴のある美食街があり、西から東まで団扇状に並んでいます。錦里小吃街、沙西美食街(沙湾路西延線)、一品天下美食街、羊西線美食街、府南新区火鍋一条街、草堂餐飲娯楽圈(琴台路、錦里西路、芳隣路和青華路)、万達广場美食街、武侯祠大街——双楠美食区、望平街美食区、春熙路小吃街区などがあります。
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成都 現地ツアー

2018-02-18 07:33:19 | 海外旅行
成都は2300年あまりの歴史があり、中国西南部で開発が一番早い地区です。
紀元前四世紀、蜀国開明王朝は成都に遷都しました。成都という名前の由来は「周太王は岐山まで移して、1年で村落が成り、3年で都が成りました」からです。成都は現在まで使用されています。紀元前316年、秦国は巴蜀を併呑しました。紀元前311年、秦は城壁を修築しました。紀元前106年、漢武帝は成都に巴、蜀、广漢、[牛建]為四部を管理する益州刺史部を設置しました。
秦時代の末、漢時代の初、成都は「天府」(天然資源の豊富な地域という意味です)と称されました。秦、漢時代には、成都の経済、文化が発達しました。秦時代の成都は全国でも大都市でした。漢時代、成都の紡織は発達して、「錦官城」(錦織の職人を集めて、錦織業を管理する)を設置しました。成都の別称――「錦城」はこれからきています。そのほか、漢時代、成都の文化芸術も高いレベルに達していて、司馬相如、揚雄、王褒は当時の有名な文学者でした。
隋唐時代、成都の経済が発達し、文化も繁栄、仏教が盛んになりました。経済では「揚一益二」(揚州が一、成都が第二位)という言い方があります。成都は中国雕版印刷術の発祥地でした。唐代後期、大部分の印刷品は成都産でした。また、文学のほうでは、李白、杜甫、王勃、盧照隣、高適などの文学者は、成都に居留したことがあります。唐貞観年間、建元寺を建造され、大中年間に「昭覚寺」に改名し、「川西第一僧林」と呼ばれています。
宋元時代、成都の東、西、南、北は専門的なカイコ、薬、花の市場がありました。成都では商業発展のため、世界で一番早い紙幣――交子を発行するようになりました。北宋時代仁宗の時、益州(成都)で国営の交子業務を取り扱う機関が設置されました。
宋元以降、成都は四川、西南地区の政治、経済、軍事、文化の中心になりました。明時代、朝廷は四川で布政使司(行政単位です)を設置しました。紀元1654年、清時代順治帝は四川布政使司を四川省に変えました。「四川省」という省名が初めて使われました。
1928年、国民政府は成都市を成立して、成都を四川省の省会(省政府所在地)としました。1949年成都が解放されて、川西行署(省政府と県政府の間に設けられた地方行政機構)所在地となりました。1952年四川省は復活、成都も省会に復帰しました。
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