池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

善慶寺の新井宿義民六人衆霊地と山王熊野神社

2019-10-25 18:02:11 | 地域情報

一日、ひどい降りでしたね。

夕方には上がりましたが、台風19号の被害が、これで拡大したり、復旧が滞ることがないといいのですが。

ところで、最近、DQウォークで毎日歩き過ぎでした。

新しいイベントが始まった矢先でしたが、水を差されてちょうど良い休憩になりました(苦)

 

さて、昨日は失業給付の認定日だったので、ハローワーク大森に行ってきました。

という事は、先の認定日から28日経ったという事なのですが、

奥さんの会社の総務(委託会社)に、扶養から抜ける申請書を提出し、保険証を返納してからも28日という事です。

が、何も来ません。

一体、何をしているのだろう?

国民年金の第3号から第1号への手続きは、前回、第2号から第3号への異動が、(何故か)3ヶ月もかかったので、今回もそんなものかと思っていますが、

健保については、奥さんの会社の健康保険組合は、資格喪失証明書を発行するだけで、あとは、私が区役所に国民健康保険の申請をしなければならないと思うのだが、

前の会社を辞めた時は、退職日の2日後に資格喪失証明書が郵送されてきたけどなぁ。。。

この1ヶ月、保険証持っていないのに、遡って、何万円も国民健康保険料を払うの納得いかないなぁ。。。

まあ、待つしかないのですが(呆)

 

さて、そのハローワーク大森の行き帰り、とりわけ帰りに、ドンキ大森山王店の向かい辺り、毎度気になる看板というか塔があります。

その路地奥には、お寺らしき屋根が見えるものの、

毎度、帰り道は急いでしまい立ち寄ることがなかったのですが、昨日は、ハローワーク指定の時間が午前中だったので、時間に余裕があったのでちょっと寄ってみました。

綺麗な塔には、なんか難しい漢字が書かれていますが、石柱の方は、熊野神社と読めるので、あれは熊野神社なのでしょうか?

 

まず、路地奥に見えていたのはお寺でした。

幟を立てて、なかなか商売熱心なお寺さんのようですね。

善慶寺(ぜんけいじ)という日蓮宗のお寺で、なかなかの風格を感じます。

Webページによると「法光山善慶寺は1292年に建立。以来七百年を超えて連綿と法灯が継承されている日蓮宗の寺院です。善慶寺が一般に知られているようになったのは1677年に起きた義民六人衆事件との深い関わりによるものです。」とあります。

池上通りに立っていた塔に書かれていたのは、この「義民六人衆事件」に関わる何かですね。

では、「義民六人衆事件」とは?

Webページには詳細が記載されているのですが、簡単には、本堂に架かっていた看板がわかりやすく

「延宝四年(一六七六)過酷を極める領主の年貢収奪に耐えかねた新井宿村の農民の代表六人が幕府に直訴することに決めたが、事前に領主の察知することとなり六人は捕らえられて斬首の刑に処された。しかしその結果、年貢は半減されたので、六人は義民として当時境内の墓所に葬られ、毎年二月十一日に義民六人衆法要が執り行われている。」

とありました。

墓地の一画に、「新井宿義民六人衆 墓」があり、東京都指定旧跡として保護されていました。

 

綺麗な看板(塔)は、この墓所への参道を示していたことがわかりましたが、石柱の「熊野神社」の方は?

善慶寺本堂の左奥に、鳥居があり、この先が熊野神社のようです。

急な、階段を登ります。

階段は三方に分かれていて、右手には稲荷社にあります(そっちからも、熊野神社の境内には上がれます)

左は岩だけなのです。石碑があったりして、何か意味はありそうですが、よくわかりませんでした。

境内に上がると、ちょっと小ぶりの狛犬が出迎えてくれます。

ちょっと色落ちした感のある社殿です。

神楽殿の方は、さらに古趣を感じます。

由緒としては「創建の年代は明らかでない。伝説では平将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したといわれている。元和年間(1615-1624)にこの地域新井宿村の地頭木原木工允が日光造営の棟梁を務めたので、その余材で当社の社殿を造ったといわれている。(「大田区の神社」より)」とのことでした。

ちょっとスッキリしました。

ではでは



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