【変なお辞儀・コンスは平成とともに去りぬ】※去りぬ=去った、去っていった★
年賀状でコンス撲滅運動★
【マナー本】「新しい女子礼法」高倉タマヨ (著)【日本の正しい礼法】
マリアベールが身近にあるご家庭だった美智子様
______________
(2014/11/11追記)
(2014/10/6追記)
=======(2014/10/6追記)
朝鮮コンスを考察する上で
[肘はり手重ね=丁寧なポーズ]を
昭和の時代から実践し続けていた
皇后美智子様(正田美智子さん)の存在を
無視するわけにはいきません。
早い時期から「変なお辞儀」に気づいていた人達が
考察をすすめると行き当たるのが美智子様の存在です。
(保守系ブログの人達は、ここで無口になってしまいますw)
昭和の時代、美智子様の所作は
皇室の中では浮いた存在、異端でした。(←これ事実です)
が、それを指摘する人達の声を無視し
自分流を続け子供らにも植え付けました。(←これ事実です)
■昭和63年 酒井美意子・著「皇室に学ぶマナー」より
・昭和天皇・香淳皇后ご一家写真
・平成になってからの天皇ご一家写真
秋篠宮ご一家写真 写真
やがて(美智子様を)たしなめる人達も去り
平成の世になってからはミチコ流作法が
さも昔から「皇室の作法」だったかのようになってしまいました。
これはマスコミの力ですね。
今では有名なアサヒグラフのこの画像
・アサヒグラフ1953年
平成の浜尾実さんの本の表紙
(皇后美智子さま―ふれあいの旅1996)になるまでは
すっかり忘れていた写真ですね。
>すっかり忘れていた写真
1970~90年代、ファッション雑誌や
キモノ雑誌のチェックに熱心だった私の証言w
今、また表紙に使われています。
・日本人でよかったと思える
美智子さま38のいい話(朝日新聞出版)
現在の皇族方の所作を見ると
このマスコミのステマに、(その結果に)
美智子皇后ご自身は、さぞご満悦のことでしょう。
(皇室を自分色に塗り替えた証のひとつとして…)
=======(2014/10/6追記)
=======(2014/11/11追記)
ANNnewsCH
雅子さま 愛知県ご訪問 1年ぶりの泊まりがけ公務(14/11/10)
http://www.youtube.com/watch?v=3bCXa4Fvyog
美智子皇后の所作に従う皇太子妃が
終始手重ねで「起立の姿勢」をとらないのは
何事にも逆らえない身ですから致し方ないのでしょうが、
とうとう皇太子殿下まで
本来、起立の姿勢であろうシーンで
「手重ね」ポーズをされるようになりました。
(今上天皇までは、絶対なかったことです)
>>>>[昭和天皇 香淳皇后]… 酒井美意子・著「皇室に学ぶマナー」より
(対面する学生たちも下腹を抱えたポーズをしていますね)
(嗚呼。。。。ため息しか出ません)
平成の皇室(=美智子様)は、
「日本の礼法」を根底から壊しましたね。
=======(2014/11/11追記)
昭和から平成になって
消えた「低頭」
消えた「
起立」の姿勢
*美智子妃殿下が式典の場で「起立」の姿勢をとられている姿は、今のところ、この一枚しか見つかっていません。
*この写真を選択した出版社に
宮内庁は抗議すべきだと思いますが・・今のところ何も出てませんね。
*正田美智子さんは自己演出に長けてらっしゃる。
*(映画の世界の)エリザベス一世にあこがれていらっしゃるのでしょうか?
(
拡大)
>BS朝日 - 皇室スペシャル キャサリン妃と美智子さま
http://megalodon.jp/2014-0906-2217-40/www.bs-asahi.co.jp/koushitsu_03/
>今回番組では、英国王室を現地徹底取材。
>キャサリン妃の生い立ち、その子育て方針を調べていくと、ある事実に気付かされます。
>民間から初めて皇太子妃として皇室に入った美智子さま。
>天皇陛下と美智子さまは、それまでの皇室の慣例にとらわれず、
>皇室の新たな姿を示してこられました。
>そんな美智子さまの歩みは、ヨーロッパ王室にも大きな影響を与えてきたのです。
>いわば、ヨーロッパ王室は日本の皇室の合わせ鏡のようなもの。
>日本の皇室の女性たちの物語、ヨーロッパ王室物語を秘蔵写真と発掘秘話でつづります。
英国王室と日本の皇室は、まったく別モノなのに「合わせ鏡」とはw
>天皇陛下と美智子さまは、それまでの皇室の慣例にとらわれず、
>皇室の新たな姿を示してこられました。
「皇統」の継続が第一ということは勿論ご承知ですよね?
~~~~~~~~~~~~~~~~~(追記)
http://ameblo.jp/fantastic-future/entry-11840143443.html#cbox
【追記 皇紀2674(平成26年 西暦2014年) 4/30】
>ご神職でらっしゃる、わたしの友人が「私見ですが」と断られていますが
>以下のように述べられています。
> ※要らぬ悪さをする輩もおりますので敢えて個人名は出しません。
> 以下、ご本人様の許可をいただき転記します。
>私は礼法のプロではないので、
>一神職の私見として述べさせて頂きますと、
>右手の上に左手を重ねる作法を叉手(さしゅ)と言います。
>叉手のまま礼をする作法は存在しません。
>そして男性は勺を持ちますが、女性は扇を持つのが正式です。
>勺(笏)、扇を持たない場合の作法は叉手を解き、
>手を腿に添わせて礼をする
>と されています。
>勺(笏)を持たない状態で、勺(笏)を持っているつもりで礼をする・・・
>少なくとも私は違和感を禁じ得ません。
*当ブログ関連記事>>
[神道の作法]にみる日本の正しいお辞儀
~~~~~~~~~~~~~~~~~(追記)
★勺(笏)持たない状態で、勺(笏)を持っているつもりで礼をする・・
★扇を持たない状態で、扇を持っているつもりで礼をする・・
★叉手のまま礼をする作法は(神道の作法には)存在しません。
★笏や扇を持たないのに持ってるつもりで礼をすることは神道の作法にはありません。
★武家の作法から構築された小笠原流礼法にもありません。
★神道の作法や小笠原流礼法にない作法は昭和の時代までの皇族(及び華族)の作法には存在しません。
★現在の美智子皇后の[扇を持たない場での所作]は
美智子様が始めるまで[日本の礼法]には存在しないものでした。
★美智子皇后のオリジナル所作を取り込みマニュアル化したのは
ビジネスマナー業界、自己啓発、美容、そしてマスコミ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~(追記)
(2014/9/2)
笏や扇を持たないのに
さも持っているように手を組む(重ねる)形や
お辞儀(拝礼)は「神道の作法」にはありません。
(画像のとおり普通礼になります)
「叉手(さしゅ)」は「拝礼(お辞儀)」とは
別の作法の形です。
(昨今よく見かける)手を重ねて立つのは
待機ポーズであって
けっして丁寧な姿勢ではありません。
立ち姿で姿勢を正す時は「起立(直立)」です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~(追記)
★当ブログ記事[
2013-01-26]のコメント欄より
(A)さんのコメント>2013-03-01 22:22:17
>笏も扇も持たない状態での深揖はこのような形になるのでは?
>朝廷式および神道式の敬礼である深揖においては、
>手に何も持たずに行う際には両手を構えて
>腹につけるというのが作法だったと記憶してます。
↑
(A)に対する(B)さんのコメント >2013-09-26 13:47:12
>私は神職ですがこれ間違いです。
>手に何も持たない時でも深揖(浅い敬礼)は手を組まない。
>深く頭を下げた時に手の平がそれぞれ両股の位置にくる。
>両手を構えて腹につけるのは叉手といって
>手に何も持たない状態の時に敬意を表す作法で、
>そのまま頭を下げることもあるが、
>組んだ手の位置は下腹部のあたりになる。
>だから両わきが、問題の朝鮮式立礼のように不自然に開かない。
>自分からみると無様なお辞儀が急速に増えてきていると思います。
(B)[9/26]さんへ
ブログ主 chaos1024です。
私は、
(A)[3/1]さんの書き込みに対する
(B)[9/26]さんの書き込みを待っていました。
現在の日本の[礼法][お辞儀]の乱れのそもそもの発端は、
[神道の作法]における[叉手]の扱い方の誤解から来てると思います。
間違った[叉手]の使い方が[商業用]のお辞儀の元になっています。
そして、今や[ご奉仕]ではなく
(コスプレ感覚の)バイトが多くなった[巫女さん]らに対する
ハウツー本(巫女の作法)を通じて、
ますます[混乱]が生じています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(追記)
日本の礼儀作法の基礎である
[神道の作法]の中の
[叉手(さしゅ)]の用い方を
自己流に解釈し実践し始めたのは
他でもない美智子妃殿下(現・皇后陛下)ということです。
(今なお継続中)
皇太子妃時代、宮中の中で、
その間違いを指摘する人はいなかったのか?
↑ この画像を見る限り
昭和時代の式典では
(本来の)皇室の作法を指導されて
「起立の姿勢」をとられることもあった。
が、当時から宮中の指導には従わず、
こんなポーズをとられることも・・
昭和の時代の[皇室ご一家]の画像では
腕を下ろしたポーズをとられた美智子様の画像は
一枚も見つかりませんからね。
そして年を重ねるごとに
美智子様は自己流の作法を構築していったということですね。
その姿を[彼の国?/ビジネスマナー業界?]の連中にパクられ
アレンジされたものが日本国中に蔓延。
従来の[日本の礼儀作法]を教えてきた業界の人たちが
何故、声高に警鐘を鳴らせなかったのかといえば、
作法の形の変化について言及すれば、
どの路をたどっても、行き着くところが
美智子様のオリジナル作法に行きあたるからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
紀子妃殿下のこの拝礼の仕方も
昭和までの「皇室の作法」にはなかったものです。
まして神道の作法にはありません。
(扇を持たない状態でこの拝礼の形はとりません)
こうした場合、神道の作法では
普通礼があります。
(
叉手の形は「拝礼(お辞儀)」の一種ではありません)
こうした形がマナービジネスに伝わり
子どもまでが、こんな変なお辞儀をするようになりました。
神道の作法の「
叉手」を
もっとも誤解し誤用
又は知った上で改変しているのは
美智子皇后ですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(2014.5.6)
【昭和と平成】天皇陛下のお言葉…と皇后陛下(消えた低頭の姿勢)
※編集途中です。。。。
Young Bess 映画 1953年
(邦題:悲恋の王女エリザベス)
英国女王エリザベス一世(1533―1603)の
若い日の悲恋を描くマーガレット・アーウィン作の小説を映画化した1953年作品。
http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/o/v/moviepamphletlabo/20100918185617767.jpg
~~~~~~~~~~~~
バベットの晩餐会(予告編の途中から)
BABETTE'S FEAST TRAILER WITH ENGLISH SUBTITLES.mpg
http://youtu.be/SvNifgj_dv4?t=2m13s(空色のドレスの女性)
(予告編)
http://youtu.be/SvNifgj_dv4
~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1247794121493.jpg
この貝合わせ状に手を重ねたお辞儀の仕方は、
昭和の時代までは…日本の作法・皇室の作法に、まったく存在しなかった
美智子様独特のお辞儀の仕方です。
現在、(マスメディアに出回る画像の中で)
本来の
日本の作法・皇室の作法を(常に)守っていらっしゃるのは
(女性では)華子様(常陸宮妃殿下)おひとりです。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/5d/f9a8e4ca95c55e1394f8fe9ce9c47d69.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/62/4e559f2574f0904d67657b195006d15c.jpg
http://tokito-double.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2013/05/08/20130508_1.jpg
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/img/up-20050830172205-17095.jpg
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/img/up-20050830144138-17014.jpg
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/img/up-20060602120354-23802.jpg
~~~~~~~~~~~~~~~~
【変なお辞儀】の正体は韓国式お辞儀の「コンス」2(ログ速)
http://www.logsoku.com/r/ms/1379798191/
▼ 680 :可愛い奥様:2013/11/05(火) 07:00:12.72 ID:OLRQhQBT0
これを広めれば韓国人の方から広めるのをやめてくれるんじゃ?
・・・・・・
もともとは、
このお辞儀の仕方が李氏朝鮮の時代で
行われていたわけではなくて、
聞くところによれば、
ロッテが韓国に百貨店を作った際に、
お客様をお迎えするにあたって、
日本における最高の立礼はどのようなものかと
日本の某百貨店に問い合わせてきたことが発端のようです。
この百貨店では、普通の両脇を締めた
日本式のお辞儀を教えようとしたようなのですが、
あちらさんは納得しない。
普通ではなく、もっとも高貴なものを教えろというわけです。
日本におけるお辞儀としては、旧華族が衣冠束帯姿でお辞儀をする際に、
檜扇(ひおうぎ)をおへその前で両手に持ち、お辞儀する形があります。
で、それを教えたところ、
その姿がやや変形されて広まったのがコンスといわれています。
・・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~
● 682 :可愛い奥様:2013/11/05(火) 14:24:05.17 ID:GwJ60+F/0
>>680
この文章は「ねずさんのひとりごと」の記事からですね。
この文章の初めに「聞くところによると」とあります。伝聞だってことですね。
(↓)秋山英一氏の本には「日本式接客法」として
「お辞儀」を導入し自ら指導したとありますが、
ロッテ側から最高の立礼を教えろ云々という
要求があったなんてことは書いてありません。
>もともとは、このお辞儀の仕方が李氏朝鮮の時代で行われていたわけではなくて、
>聞くところによれば、ロッテが韓国に百貨店を作った際に、
>お客様をお迎えするにあたって、日本における最高の立礼はどのようなものかと
>日本の某百貨店に問い合わせてきたことが発端のようです。
実は、この(↓)部分について、あの記事のコメント欄に
どこから入手した情報でしょうか?と質問したんですが、
コメントそのものを削除されました。
3回トライしましたが、やはり削除されました。
そこで最新記事のコメント欄に、何故削除されたのか?
と質問したんですが、認証待ちのまま放置です。
>この百貨店では、普通の両脇を締めた日本式のお辞儀を教えようとしたようなのですが、
>あちらさんは納得しない。
>普通ではなく、もっとも高貴なものを教えろというわけです。
>日本におけるお辞儀としては、旧華族が衣冠束帯姿でお辞儀をする際に、
>檜扇(ひおうぎ)をおへその前で両手に持ち、お辞儀する形があります。
>で、それを教えたところ、その姿がやや変形されて広まったのがコンスといわれています。
▲ 684 :可愛い奥様:2013/11/05(火) 14:42:24.04 ID:5OctsbGG0
>>682
そうなんだ。
緋扇を持つ手はギュ!っと組み合わせないと思うね。
あの、強く組み合わせた手は中国式からの流れに見える。
あと、朝鮮式の衣装だと胸の下で押さえないとガバー!と広がってしまうから
押さえる、ってのは作法として理にかなってると思う。
意識して取り入れたのと、自分が属する文化ゆえに意識せずに取り入れたのって
後で他から見ると見分けるのが難しいだろうね。
● 685 :可愛い奥様:2013/11/05(火) 16:07:06.25 ID:GwJ60+F/0
>>684
ねずさん記事の文中「聞くところによると」って箇所を削除しちゃってますね。
(私の質問内容を確認した上で、あえて質問コメントを削除したってことが、新たにわかりましたw)
「肘をはる」ポーズをする皇族たちが出始めているのは事実。
これは作法を指導する宮内庁式部官に元CAが2003年に入った影響です。
もうひとつ、美智子皇后が皇太子妃時代から
皇室の作法に従わず独自のスタイルをとってきた。(常に手重ね)
これは、肘をはったものではないし、コンスのような手の重ね方ではない。
でも、扇を持たずに手を重ねたままお辞儀をするやり方は(エア扇お辞儀)
神道にも皇室にもまったくない作法だから
美智子様が始めるまでは、誰もやっていなかった。
残念なから、このことが結果的に「コンス」の蔓延に影響しています。
そのつじつま合わせに
>>682の「日本における最高の立礼は何だと問い合わせ・・」
なんてエピソードが生まれたんではないかと推察。
★肘はり待機ポーズ&お辞儀
胸辺りに手を重ねて、重ねた手をグッと身体に付けた状態にしながらお辞儀する流れは
チョゴリ姿でするアチラの拝礼の作法の一部。
*名前すらついていなかった。待機ポーズ・コンスという名称を使っているサイトは一箇所のみ。
韓国で、それまでなかった接客用のお辞儀にアチラの作法の動作がアレンジされ、
それが逆輸入。在日系コネクションで浸透、2003年前後から大々的にゴリ押し、今に至る。
◆ 718 :可愛い奥様:2013/11/07(木) 09:42:34.67 ID:oUkc9VS50
>>685
あ、はい。
コンスじゃないけど、「女子はお辞儀の際、手を重ねたほうが良い」
というのは美智子さまのせい、と恩師に教わりました。
元々は手すら重ねず自然におろしていたんですね。
(お辞儀が一番深くなったときに腿のあたりで自然に重なってしまうのはOK)
残念ながら間接的にコンスの蔓延につながってしまいました。
~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~
【自己流作法を構築した美智子皇后】
★神道の作法、皇室の作法にもなかった形です。
昭和の時代から美智子妃以外、
どなたもこのポーズをとられる方はいらっしゃいません。
・エア 扇(貝合わせ)ポーズ
・エア クルスポーズ
・エア 聖書ポーズ
・エア ブーケ(笏)ポーズ
・皇室(皇族)の作法…
(昭和の時代の皇室の作法については、
こちら)
※昭和・香淳皇后の(扇なし)手重ねポーズの写真が撮影されたのは
宮内庁内で
大正・貞明皇后~昭和・香淳皇后寄りの女官が解任された頃
カメラマンもその最中に新たに任命された吉岡専造氏
(写真そのものは、とても素敵な写真集「素顔の昭和天皇」)
昭和時代、皇室には皇室の作法があったのですが
その当時から、その作法に従わず独自のスタイルを貫いてきた美智子皇后。
しかし、そのスタイルも、いつの間にやら変化してきました。
画像をチェックしてみると、これも2003年前後からのようですね。
昭和33年(1958)朝日新聞 号外
週刊朝日
このスタイルは正田家から>美智子さまのお母様の画像
*
*
*
毎日新聞社
http://mainichi.jp/graph/2013/03/28/20130328org00m040010000c/image/009.jpg
********
[昭和33年11月(1958)] 中日ニュース No.254_1 「皇太子さまご婚約 正田美智子さん」
http://www.chunichieigasha.co.jp/33-11-no-254_1.php
昭和33年(1958)
昭和34年(1959)
*このアサヒグラフの写真は、後に何度も登場
左 伊東絹子さん(1953) 右 正田美智子様(1958)
(
八頭身美人)
1953年07月16日 伊東絹子さん、ミス・ユニバースで3位
http://showa.mainichi.jp/news/1953/07/post-4655.html
1953 伊東絹子さん(サイン付きポートレート)
*1952年からファッションモデルとして活躍
その延長線上にミス・コンテストへの応募
1953(昭和28)年9月30日
<あのころ>皇太子さまと伊東絹子さん 初訪米で対面
http://www.47news.jp/news/photonews/2009/09/post_20090930080616.php
1953(昭和28)年9月30日、訪米中の皇太子さま(現天皇陛下)が「ミス・ユニバース」3位入賞の伊東絹子さんとハリウッドのMGMの撮影所で対面した。同所で映画人230人が列席する歓迎昼食会が開かれ、ユニバーサル映画に出演した伊東さんも招かれていた。
1957年
>
春、秋恒例の「クリスチャン・ディオール・ショウ」(於大博劇場)に、
>'53年ミスユニバース第3位の伊東絹子さんがモデルとして登場!
http://www.daimaru.co.jp/fukuoka/hdm/newtop/2013/60th/history/1950.html
********
美智子様のドレスはディオール製
1959年
http://ameblo.jp/tmf8089/entry-11222707921.html
>『美智子さまのローブ・デコルテ』
>1953年 クリスチャン・ディオールのショーが日本で開催され
>世界大戦のために 忘れられていたファッションを見事によみがえらせた
>このときの大成功が のちに皇太子妃となられた
>美智子さまのローブ・デコルテを製作するきっかけになったそうです
ーーーーーーーー
晩年、香淳皇后が
何も持たないで手を重ねたポーズをとられた写真が何点か見られますが、
あの画像はカメラマンのリクエストに応じられたものです。
*写真集の撮影日記に記述あり
「素顔の昭和天皇」撮影:吉岡専造
初めての撮影が昭和46年(1971年6月)
※皇室ウォッチャーの方なら
この頃、
宮中で何があったかご存知でしょう。
●千葉展正の第一BLOG
『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―
********
◎千葉展正の第一BLOG
http://tensei211.blog.fc2.com
~~~~~~~~~~~~~
千葉展正(ちば・てんせい)ジャーナリスト。政治評論家。
フェミニズム問題や皇室論などを中心に執筆活動を展開。
著書に『男と女の戦争-反フェミニズム入門』など。
「富田メモ」問題以来、「天皇の奸臣」といふテーマに取り組んでおり、
その方面の著述としては
「富田メモはボスたちへの身びいきに満ちた官僚のメモワール」
(「正論」平成18年11月号)、
「入江相政と富田朝彦~宮中のラスプーチンに翻弄された宮内庁長官」
(「正論」平成18年12月号)などがある。
★今城誼子 関連の記事
入江がフレームアップした魔女騒動
『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第七回)
http://tensei211.blog.fc2.com/category16-3.html
◆魔女騒動(その一)●入江がフレームアップした魔女騒動
女官長ポストをめぐる抗争
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-56.html
『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第八回)今城誼子 保科武子
◆魔女騒動(その二)●女官長ポストをめぐる抗争
東宮女官長更迭を画策
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第九回)
◆魔女騒動(その三)●東宮女官長更迭を画策 皇太子妃に甘言
********
********
http://www.millnm.net/cgi-bin/home.cgi
天皇家とキリスト教など
http://www.millnm.net/qanda/empp.htm
********
式部官(外事)宮内庁幹部名簿(平成25年8月1日現在)
岩見美鈴
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/meibo.html
http://www.47news.jp/CN/200304/CN2003042901000138.html
大空から皇居へ 客室乗務員の岩見さん
2003/04/29 20:28
皇室と外国の交際や、皇居・宮殿で行われる儀式を実務面からサポートする
宮内庁の役職「式部官」に、30日付で全日空の元客室乗務員岩見美鈴さん(46)が就任した。
会社を29日に退職し、国家公務員の身分に。
宮内庁には侍従職などに民間出身者が複数いるが「スチュワーデスさんの採用は初めて」(同庁)という。
女性の式部官は2人目。
式部官には新年の宮中行事など「儀式担当」と、外国との交際全般を受け持つ「外事担当」がいる。
この春、ベテランの外事担当官が定年退職し、宮内庁が後任者を中央官庁や民間に幅広く求めていた。
岩見さんは福岡市の短大を卒業後、1977年に全日空へ。
以来26年間、国内線や国際線の乗務一筋で、訓練所教官も務めた。
「接客能力はもちろん、語学力も素晴らしい」(湯浅利夫長官)と前評判は上々。
皇族の外国訪問や、宮中晩さん会などで手腕を発揮することになる。
~~~~~~~~~~~
★全日空 立ちポーズ&お辞儀
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/21/e2cd2664b84cc013316dcfb5a78a81bd.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a5/67bdb71a397d352e4055b656d230c596.jpg
★(元全日空CA)式部官・岩見美鈴 指導の青年皇族の立ち姿
★この人も元全日空のCA 西牟田順子
NPO日本マナープロトコール
********
扇を手にした場合
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1367336649908.jpg
平成になってからは扇を手にしなくても
手重ねポーズが作法になってしまった(昭和の時代には、この作法はない)
http://img.guideme.jp/i/42oCoIR1fdX4VQHr5cfEo9HjyQ6N4BTNKcugVbxR4DoOOI2gjcB4yeHk1oOfM6JaS0nr97yAGqZfQRMzfTTj5g==.jpg
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/images/2013/05/01/2013050101000914-256.jpg
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1367322323923.jpg
*
==========
昭和天皇 香淳皇后 美智子妃殿下 華子妃殿下
画像
美智子皇后 紀子妃殿下 華子妃殿下
華子妃殿下
華子妃殿下
●常陸宮妃殿下の立ち姿画像 >>
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【マナー本】「新しい女子礼法」高倉タマヨ (著)【日本の正しい礼法】
【マナー本】小笠原流礼法入門 小笠原清忠 (著)【日本の正しい礼法】
______________
●
昭和天皇 香淳皇后の時代の皇室ご一家の集合写真
(皇室に学ぶマナー
立ち姿 立礼)
↓
●美智子妃が加わってからの皇室ご一家の集合写真
↓
==========
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http://www.millnm.net/cgi-bin/home.cgi
天皇家とキリスト教など
http://www.millnm.net/qanda/empp.htm
<ご質問>
聞くところによると、宮内庁の侍従の中にはカトリック信者が多いと聞きます
<お答え>
わたしが聞いたところでは、宮内庁はイギリス聖公会の信者が多いそうで、
どちらにしろ、皇室はキリスト教贔屓であることはたしかなようです。
宮廷の半数をクリスチャンで固めているとも聞きます。
事実、天皇家の人選は、クリスチャンに偏っています。
今上天皇が皇太子だったころ、
家庭教師にヴァイニング夫人というクエーカー教徒を選んでいますし、
お后には雙葉、聖心と一貫してキリスト教系の学絞で学ばれた美智子様を選んでいます。
三谷隆信侍従長、
浜尾実、
杉井侍従、
入江侍従、
村井長正など、
侍従にはクリスチャンが多く、
常陸宮は無教会派のクリスチャン村井侍従の影響でクリスチャンになったといいます。
田島道治宮内庁長官、
前女官長の松村淑子、
現女官長の井上和子はクリスチャンです。
美智子さまのご結婚を推進なさった
東宮参与の小泉信三も、臨終洗礼を受けたといいます。
浜尾実侍従の弟・浜尾伺郎は現在バチカン市国の大司教をしており、
かつて天皇陛下にラテン語のご進講をしました。
浜尾実氏は、「私自身、20歳のクリスマスに洗礼を受けています。
宮内庁入りする6年前のことだし宮内庁はすべて知ったうえで、私を入れたわけですから、
クリスチャンであることはいっこうにかまわなかったわけですね」と述べました。
現在の皇太子の音楽教師もカリスマ派のクリスチャンが務めていました。
昭和天皇は美智子妃がクリスチャンだということで迫害したという話がありますが、
それも誤解であることがわかっています。
昭和天皇自ら、入江侍従を通じて鈴木東宮大夫にこうお伝えになったそうです。
「このようなことは事実でないばかりか、心に思ったことさえなかった。
こういう問題がむし返されて時々出てくるので、美智子がかわいそうなので念のために……」
明治天皇の側近には、オランダ系米国宣教師フルベッキがおり、
明治天皇の和歌には信仰がなければ歌えない歌が数々あるといわれています。
昭和天皇、今上天皇皇后両陛下は、牧師を招いて聖書講義を受けています。
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http://jalsuica.seesaa.net/article/347333184.html
◎2013年03月16日 宮内庁浜本女官長が退任
美智子皇后さまのお世話をする女官のトップの浜本松子女官長が近く退任することになりました。
浜本松子女官腸の後任には女官の伊東典子氏が就任します。
浜本女官長も、後任の伊東女官も同じ70歳、ということは、
女官長には定年退職制はないんですかね?
浜本女官長は学習院大卒業後、1990年に宮内庁侍従職御用掛となり、
92年に女官、04年に女官長となり約9年間務めています。
天皇、皇后両陛下の05年6月のサイパン訪問や昨年5月のイギリス訪問の際に随行しました。
伊東氏は04年から女官となりました。
ところで、女官になるには、
国家試験種以上を通過していることが絶対条件です。
ただし、宮内庁の採用は天皇家との関係から
縁故採用になるケースが大半である、という噂もあります。
皇太子妃雅子さまのお世話をする東宮女官のトップ、木幡清子・東宮女官長が
辞任したのは2011年1月17日でしたね。
木幡清子・東宮女官長は、
皇太子さまと雅子さまの「結婚の儀」が行われた平成5年6月に東宮女官となり、
以降、約17年間にわたって雅子さまを支えてきました。
退任時、木幡女官長は67歳でした。
やっぱり、60歳定年制とかではないんですね。
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【変なお辞儀】
蔓延の真相[(5)[昭和天皇 香淳皇后]酒井美意子・著「皇室に学ぶマナー」より]につづく
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美智子様 こだわりのファッション(肩パット&マント/ケープ)
ミチコ流 立ち居振る舞いは真似しても
さすがにこのスタイルを真似する方は少ないようです。
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「コンス」は「平成」と共に去りぬ
浅ましさの象徴の所作「コンス」は
浅ましき時代「平成」と共に去りぬ
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