engram 記憶の痕跡

日本の正しいお辞儀 反日左翼や似非日本人の撲滅 間接侵略の手先マスごみ糾弾

【平成 の 皇室】平井義一 氏の予言どおりになりました。

2017-06-20 | 皇統
平成 の 皇室は、(衆議院議員)平井 義一 氏の予言どおりになりました。

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wiki 平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。
東京都出身。明治大学法学部卒。
東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。
1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。
以来5期務める。
第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。
1960年の総選挙で落選した。
このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

・衆議院議員 在籍期:23期(1947/4/25~) 24期(1949/1/23~) 25期(1952/10/1~) 26期(1953/4/19~) 28期(1958/5/22~)

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>第31回国会衆議院内閣委員会第5号(1959/02/06、28期)
>皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえ…
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■第31回国会衆議院内閣委員会第5号(1959/02/06、28期)
pdf形式

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君
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○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。

○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。

○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。

○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。
○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。
 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。

○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。

○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。

○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。
 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。

○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。
 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。

○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。

○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。

(他の委員の質問に続く)

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第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城 君 理事 高瀬  傳 君
   理事 高橋 禎一 君 理事 平井 義一 君
   理事 前田 正男 君 理事 受田 新吉 君
      今松 治郎 君    植木庚子郎 君
      菊池 義郎 君    小金 義照 君
      始関 伊平 君    田村  元 君
      富田 健治 君    橋本 正之 君
      船田  中 君    保科善四郎 君
     茜ケ久保重光 君    石橋 政嗣 君
      柏  正男 君    中原 健次 君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎 君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三 君
        法制局次長   高辻 正巳 君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄 君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利 君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅 君
        専  門  員 安倍 三郎 君
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