かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

心の本質

2015年06月23日 | がん病棟で
その人は、口を開けば辛辣な言葉しか吐かない。

さすがのナイチンゲールたちも、看護を放棄したくなるほどの、激しい言葉の暴力の嵐。

治らず、どうにもならない病気になると、誰しもが一度は必ず怒りの感情を抱く。
けれど、多くの人は、様々な心の葛藤を経て、やがては心穏やかになっていくものであるけれど、さいごまで怒りの感情が収まらない人もいる。
あるいは、治療によっていったん収まっていた感情が、病気の増悪に伴って、怒りの炎がめらめらと再燃、あろうことか、周囲の人にまで飛び火させてしまう人も…



人の死に際には、それまでの生き様が集約されて表れる…

がん治療の現場で、色々な人を見送ってきて、そんなふうに考えるようになった。


怒りながら死んでいく人は、かつての人生も、怒りに満ちたものであったのかもしれない。

周囲の人に辛辣な言葉を浴びせたり、怒ったりすることでしか、自分の弱い心を守ることができない、そんな人もいるのかもしれない。


人間の心というのは複雑だ。
長く生きていれば、色々な感情がゴテゴテ、ガチガチに絡みついて、時には自分でも本当の心が見えなくなることもある。


では、人生の色々な化学反応で複雑化した人間の心に、もともとあったもの、というか、心の本質みたいなものがあるとしたら、それはいったいどんな感情だろうか?



病気になってから一層激しさを増した彼の言葉の暴力。
けれど、再婚同士だという奥さんが連れてきた精神発達障害のある義理の息子さんに対しては、いつも優しく接していたという。

亡くなる間際、意識が朦朧となっていたときも、息子さんには「ごめんな」と言葉を発していた。


奥さまが小さな氷のかけらを口に入れてあげた直後、息をひきとった。

それまで、状況をはたして理解できているのかどうかわからなかった息子さんも病室に立ち会っていた。

私がさいごの時間を確認し、奥様に告げたとき、傍らにいた息子さんがサッとお母さんの背中に手を置いて、優しく、少しぎこちなくさすったのが目に入った。
彼のその行為で、病室に居合わせた私たちは一瞬で、お互いを労りあった。
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