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かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

理想的な臨終について考える

2016年02月16日 | がん病棟で
職業柄、臨終の場に立ち会うことが多い。

理想的な臨終とはどのようなものだろうか?

今日旅立ったNさんは、抗癌剤治療をやめたのが昨年の9月、その後は緩和医療のみ行ってきた。

年が明けてから酸素も必要になったけれど、ギリギリまで自宅で過ごしたいというご本人の希望を尊重して、奥様も頑張って最後まで介護し続けた。

土曜日に一度苦しくなって病院へ来たけれど、たまたま出勤していたワタシの顔を見たら気分がよくなったと言って、入院の勧めを断って帰宅。

日曜日は家で過ごしたけれど、呼吸が浅くなってきたからという奥様からの電話で、月曜の朝に入院した。

夜になって遠く広島に住んでいる息子さんたちも来院。
みんな心の準備ができていたせいか、病室にはたくさんの人が集まっていたけれど、静かで落ち着いた時間が流れていた。


救急車で病室に運ばれた直後はまだ意識があって、「センセイの顔した天女が舞っている」などと息も絶え絶えに冗談ともつかないことを言っていたNさんであったけれど、今朝はもうほとんど意識がなくなった。

こんな時はたいていみんな、ベッドの上の主人公をじっと見守り、呼吸の間隔が開いてくると、呼び戻すかのように「おとうさーん」と呼びかけたり、肩を揺すったりすることしかしない。

こんな時は、「呼びかけても返事はできないけれど、みなさんの声は聞こえているから、お話をしてあげてください」とアドバイスする。

まあ、そうは言われても「ありがとうね。愛しているよ、パパ。生まれ変わっても一緒になろうね」なんてドラマみたいなことをおっしゃった方は今までに一人か二人。

「なんて言っていいかわからないわ」というほうが普通かもしれない。


でも、思うのだ。

旅ゆく人は、自分の遺伝子を引き継いだ者たちが、つつがなく日常を続けていくことにこそ安心するのではないかと。


広島から息子さんと一緒に小学生のお孫ちゃんも病室にきていたので、少し話をした。

『なんていう学校なの?』

「ばいりん小学校」

『ばいりんって、梅の木?』

「えーっと、そう」

『じゃあ、学校には梅の木がたくさん植わっているの?』

「うん、たくさんあるよ!」

『広島なら、もう花が咲いてる?』

「まだだよ(笑)でも、ツボミがたくさん付いてる!」


無邪気な可愛い男の子の声が、Nさんの耳にも届いているはずである。


その一時間後、Nさんは穏やかに旅立った。

時間を告げたとき、神妙な顔でワタシを見ていたお孫ちゃん。
学校を休んで駆けつけ、一緒にNさんを見送ってくれたことにお礼を言った。
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