かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

狂気

2022年01月30日 | がん病棟で
Careしているはずの患者や、患者の家族によって、医療者が殺されるという事件が続いて起こっている。

なぜそんなことが起こるのか?

誰かを道連れにして死ぬという考えが、どういったことが原因で沸き起こるのか?

そんなことをぼんやりと考えていたら、そういえば私も、以前、身に覚えがあったことを思い出した。

普段から口を開けば、何かと暴言を吐く人だった。

虚勢をはって強がって見せていても、心が弱い人だったのだと思う。
病状が悪くなっていることを、認めようとせず、頑張っていたが、いよいよ具合が悪くなってきて、自分が死にかけているのだということを認めざるをえない頃になって、ある日の病室で、「道連れにしてやるからな!」と凄まれたことがあった。

もちろん、病棟内では問題視されている患者で、危機感から何度か対策会議なども開かれたけれど、使命感のようなものにしばられ、担当ナースと一緒になって最後まで一生懸命ケアに努め、看取った。

今思えば、当の本人が身体的にどんどん弱っていく病であったので、私たちは道連れにされずにすんだのかもしれない。

あるいは、最期は感謝の言葉をもらったりもしたから、文字通りけんめいなCareが功を奏したのかもしれない。

けれど、彼が死んだあと、私はものすごく具合が悪くなって、自分を見失い、回復するのにずいぶんと時間を要した。
担当ナースは突然、地元の病院へ転職してしまった。

道連れにされかけていたという気がしてならない。

Care Giverである私たち医療者は、使命感だけでもって、患者の「病」と立ち向かおうとするのは、危険だ。
なぜなら、Cureできない病は世の中にたくさんあるし、患者側は、CareイコールCureであると勘違いして信じてしまうことも稀ではなく、そうすると、Cureできないのは医療者のせいだと思い込んでしまいがちである。

死という現実を受け入れられないとき、そこにもう少し何かが作用すると、(たとえばその人の生い立ちだったり、性格だったり)、第3者に対する狂気、殺意が生まれることがあるのかもしれない。

医療者の使命感、熱意だけでは、残念ながらこの類いの狂気を消せるとは限らないという現実を、私たちは認めないといけないのかもしれない。



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