千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館へは今までに何度か展示を観に出かけていますが、考えるまでもなく博物館の建つ場所は佐倉城の跡です。今日は城跡の方を見学しようと思い至り、車で出かけました。マイクロツーリズム佐倉城址編です(笑)。
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【写真1】佐倉城址ウォーキングは国立歴史民俗博物館側からスタートしました。現在はこちらの方が「本丸」ですね(笑)。
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【写真2】博物館脇の角馬出。土塁も空堀も相当の規模です。私が今まで見てきた廃城跡でも最大級。現在は保存のため約3mの深さですが当時は倍はあったそうです。佐倉城は近世の城ですから、戦国時代のような荒々しさはありませんが、その大きさは圧倒されるものがあります。さすがは11万石。
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【写真3】鬱蒼と樹木が茂る崖の道(へび坂)です。出丸に通じています。
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【写真4】北西の出丸跡。コの字型に画面奥の水堀方向に突き出ています。水面からもかなりの高さがあります。苔むした土塁など古城の雰囲気があり、落ち着いた一画です。
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【写真5】一の門跡から本丸内を見たところ。土塁の高さが分かります。
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【写真6】本丸の土塁に登って銅櫓と天守台方向(奥)を見たところ。城の中心部だった本丸も現在は子供たちの元気な声が響き渡ります。
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【写真7】天守台跡。天守(三重御櫓)は三層四階建てで二段になった天守台に片側を載せる方式だったのですが文化10年(1813)に焼失しています。
高い山がないので見晴らしが素晴らしかったことでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/c6/6515b62a3724627d2cef91c903294884.jpg)
【写真8】城跡を歩いていて突然このような遺物に遭遇。松戸と同様、明治以降、佐倉城も軍隊が使用しました。後に、佐倉連隊として名を馳せますが、これはコンクリート土台のみが残る兵舎の便所跡。今よりも小さく狭い区分であることが分かります。人間に必須な設備が兵営の生活を生々しいほどに物語っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/5e/96fa6d04b9fd4745762b21ae1879658b.jpg)
【写真9】姥が池から菖蒲園に向かうとコンクリートの階段がぽつんと立っています。これも連隊時代の遺物で、12階段と呼ばれる兵士の飛び下り訓練用の階段。後部にあった階段など木製部分は解体しましたが、頑丈なコンクリート部分は残置されたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/73/02a3e52a72e63a215d29e962ddc72d85.jpg)
【写真10】梅林。梅が咲き始めていました。
佐倉城址については以前から気になっていたのですが、歴博の展示を見るために訪れていて城址を歩くことはありませんでした。今回、やっと、城址の中に入ることができました。思っていた以上にスケールの大きい、完成度の高い城に思えました。石を産しない総州のこと、石垣はありませんが往時の威容が偲ばれました。
また、廃城後はその大きさ故に歩兵連隊が設置され、城内で兵士を訓練し戦地へ送り出しました。その時代の遺構も僅かながら残っていて、その後の城の運命だけでなく日本の歴史も考えさせられる一日になりました。∎
佐倉城データ
城郭番号 千葉241
調査日 2021年2月3日
名 称 佐倉城
所在地 千葉県佐倉市城内町(佐倉城址公園)
分 類 平山城
築城年 天正年間~元和3年(1617)
廃城年 明治6年(1873)
その他 明治6年以降、歩兵第一連隊が城跡に屯営。
駐車場・W C ◎
※城郭番号は『日本城郭大系』の索引地図の番号です。
《 廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー 》
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
その五、小金城の在りし日を偲ぶ(千葉県松戸市)2014年12月7日
その六、中金杉城(千葉県松戸市)2014年12月7日
その七、行人台城行方不明(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八、根木内城の復活(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八 補遺、境根原合戦城跡を歩く(千葉県柏市)2014年12月7日
その八 補遺二、春の根木内城再訪(千葉県松戸市)2015年3月29日
その九、鰻遊、牛久城(茨城県牛久市)2015年4月18日
その十、前衛の前ヶ崎城(千葉県松戸市)2015年5月4日
その十一、消えた幸田城(千葉県松戸市)2015年5月6日
その十二、常陸小田城の苦闘(茨城県ひたち市)2018年11月20日
その十三、開かずの戸張城跡(千葉県柏市)2019年7月19日
※以後、折りに触れアップ予定。バックナンバーは改善のため、こっそり修正する場合があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/49/3e23bccf77b2e3d57eec05bb7547dd32.jpg)
【写真1】佐倉城址ウォーキングは国立歴史民俗博物館側からスタートしました。現在はこちらの方が「本丸」ですね(笑)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/34/c4ea111dff08faeee2bcd512362951f1.jpg)
【写真2】博物館脇の角馬出。土塁も空堀も相当の規模です。私が今まで見てきた廃城跡でも最大級。現在は保存のため約3mの深さですが当時は倍はあったそうです。佐倉城は近世の城ですから、戦国時代のような荒々しさはありませんが、その大きさは圧倒されるものがあります。さすがは11万石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e4/d859edf09e1e8df5fa9c496aae4a5bb6.jpg)
【写真3】鬱蒼と樹木が茂る崖の道(へび坂)です。出丸に通じています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c5/e86187971277ffe616918de213681df6.jpg)
【写真4】北西の出丸跡。コの字型に画面奥の水堀方向に突き出ています。水面からもかなりの高さがあります。苔むした土塁など古城の雰囲気があり、落ち着いた一画です。
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【写真5】一の門跡から本丸内を見たところ。土塁の高さが分かります。
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【写真6】本丸の土塁に登って銅櫓と天守台方向(奥)を見たところ。城の中心部だった本丸も現在は子供たちの元気な声が響き渡ります。
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【写真7】天守台跡。天守(三重御櫓)は三層四階建てで二段になった天守台に片側を載せる方式だったのですが文化10年(1813)に焼失しています。
高い山がないので見晴らしが素晴らしかったことでしょう。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/c6/6515b62a3724627d2cef91c903294884.jpg)
【写真8】城跡を歩いていて突然このような遺物に遭遇。松戸と同様、明治以降、佐倉城も軍隊が使用しました。後に、佐倉連隊として名を馳せますが、これはコンクリート土台のみが残る兵舎の便所跡。今よりも小さく狭い区分であることが分かります。人間に必須な設備が兵営の生活を生々しいほどに物語っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/5e/96fa6d04b9fd4745762b21ae1879658b.jpg)
【写真9】姥が池から菖蒲園に向かうとコンクリートの階段がぽつんと立っています。これも連隊時代の遺物で、12階段と呼ばれる兵士の飛び下り訓練用の階段。後部にあった階段など木製部分は解体しましたが、頑丈なコンクリート部分は残置されたようです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/73/02a3e52a72e63a215d29e962ddc72d85.jpg)
【写真10】梅林。梅が咲き始めていました。
佐倉城址については以前から気になっていたのですが、歴博の展示を見るために訪れていて城址を歩くことはありませんでした。今回、やっと、城址の中に入ることができました。思っていた以上にスケールの大きい、完成度の高い城に思えました。石を産しない総州のこと、石垣はありませんが往時の威容が偲ばれました。
また、廃城後はその大きさ故に歩兵連隊が設置され、城内で兵士を訓練し戦地へ送り出しました。その時代の遺構も僅かながら残っていて、その後の城の運命だけでなく日本の歴史も考えさせられる一日になりました。∎
Nikon Z 6 / NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
佐倉城データ
城郭番号 千葉241
調査日 2021年2月3日
名 称 佐倉城
所在地 千葉県佐倉市城内町(佐倉城址公園)
分 類 平山城
築城年 天正年間~元和3年(1617)
廃城年 明治6年(1873)
その他 明治6年以降、歩兵第一連隊が城跡に屯営。
駐車場・W C ◎
※城郭番号は『日本城郭大系』の索引地図の番号です。
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《 廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー 》
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
その五、小金城の在りし日を偲ぶ(千葉県松戸市)2014年12月7日
その六、中金杉城(千葉県松戸市)2014年12月7日
その七、行人台城行方不明(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八、根木内城の復活(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八 補遺、境根原合戦城跡を歩く(千葉県柏市)2014年12月7日
その八 補遺二、春の根木内城再訪(千葉県松戸市)2015年3月29日
その九、鰻遊、牛久城(茨城県牛久市)2015年4月18日
その十、前衛の前ヶ崎城(千葉県松戸市)2015年5月4日
その十一、消えた幸田城(千葉県松戸市)2015年5月6日
その十二、常陸小田城の苦闘(茨城県ひたち市)2018年11月20日
その十三、開かずの戸張城跡(千葉県柏市)2019年7月19日
※以後、折りに触れアップ予定。バックナンバーは改善のため、こっそり修正する場合があります。
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