せっかくですから、金龍山広徳寺も訪問しました。ここは寛正3(1462)年に開かれた曹洞宗の寺ですが、この寺を南端にしたこの辺り一帯の台地が中金杉城跡と推定されています(日本城郭体系)。ただし、城であったという例証も遺構もなく何とも言えません(東葛の中世城郭)。しかしながら、小金城に近接しており、城主高城氏ゆかりの場所であることに間違いないので、廃城巡りとしてはカウントすることにします。
門を入って左に行くと一段高くなった場所に高城氏の墓所(後世のもの)があります。そこからは先ほどの小金城趾の木立がよく見えます。かつての城主はどんな思いで見ているのでしょうか。
写真1 高城家の墓所
広徳寺を離れる前に、門の横にある弁財天を見ました。なんとなく取って付けたような感じですが、ここの石の祠横には、高城氏が天正16(1588)年9月に移設した旨が彫られています。
写真2 弁財天祠の刻字
さあ、この辺で城主高城氏に暇乞いをして先を急ぐことにしましょう。(続く)
タイトル写真 広徳寺の入り口。ここは中金杉の台地の南端になる。
(中金杉城データ)
(訪城ノート)
【廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー】
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
その五、小金城の在りし日を偲ぶ(千葉県松戸市)2014年12月7日
(以降、折りに触れアップ。こっそり修正)
門を入って左に行くと一段高くなった場所に高城氏の墓所(後世のもの)があります。そこからは先ほどの小金城趾の木立がよく見えます。かつての城主はどんな思いで見ているのでしょうか。
写真1 高城家の墓所
広徳寺を離れる前に、門の横にある弁財天を見ました。なんとなく取って付けたような感じですが、ここの石の祠横には、高城氏が天正16(1588)年9月に移設した旨が彫られています。
写真2 弁財天祠の刻字
さあ、この辺で城主高城氏に暇乞いをして先を急ぐことにしましょう。(続く)
タイトル写真 広徳寺の入り口。ここは中金杉の台地の南端になる。
(中金杉城データ)
城郭番号 千葉309
調査日 2014年12月7日
所在地 千葉県松戸市中金杉他
名 称 -
築城年 不明
廃城年 不明
※城郭番号は『日本城郭大系』の索引地図の番号です。
調査日 2014年12月7日
所在地 千葉県松戸市中金杉他
名 称 -
築城年 不明
廃城年 不明
※城郭番号は『日本城郭大系』の索引地図の番号です。
(訪城ノート)
整備状況 ×、保存状況 ×、アクセス 〇
境内では、高城家墓所と弁財天がポイント。台地北側の状況は未確認。
境内では、高城家墓所と弁財天がポイント。台地北側の状況は未確認。
【廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー】
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
その五、小金城の在りし日を偲ぶ(千葉県松戸市)2014年12月7日
(以降、折りに触れアップ。こっそり修正)