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師走に入った日曜日、前々から計画していた千葉県北部、つまり、下総国で最大級の城であった小金城趾とその周辺の城址を尋ねることにしました。小金城の城主は高城氏といい、現在の松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷、柏、沼南、我孫子などの地域を支配した有力な領主でした。その城跡を見て、当時の様子を偲んでみたいと考えていたのです。
今回はジープではなく、クラシックに鉄道(流鉄流山線)を利用します。このローカル線は、今は名称が変わりましたが流山電鉄と親しまれている単線の鉄道です。2、3両編成のカラフルな列車がのんびりと畑の中を、あるいはマンションや民家の軒先を走ります。
JR常磐線馬橋駅から2両編成の若葉号にガタゴト揺られて着いたのは、その名も小金城趾駅。そう、廃城調査に相応しい名前の駅に降り立ち、城を目指したかったのです(笑)。駅はコンクリートのビルですがどことなく侘しさが漂っています。廃城に合わせたような脱力感ある風景です。
写真1 レトロな駅名標のある小金城趾駅ホーム
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駅からカメラをぶら下げて10分も歩かないうちにかつての小金城虎口(こぐち=出入口)のひとつ、金杉口に到着しました。この辺りは番場と呼ばれ、大谷口歴史公園として整備され、立派な石碑も立っています。しかし、城の際まで宅地やマンションに完全包囲され、大規模だった城郭遺構は本丸などを含めほとんどが住宅地などに呑み込まれ消滅してしまいました。辛うじて僅かにこの部分が残るのみなのです。小金城は小田原開城後、廃城となりますが、戦後の経済成長が止めを刺したように思えてなりません。
写真2 金杉口に復元された門
そんな感傷はおいて、まずは周囲をゆっくり歩いて観察です。一帯はこんもりとした山(台地)であることがわかります。適度に高低差がある谷地が入り組んだ複雑な地形が実感できます。地理に慣れた者には都合がいいが、知らない者には迷路のようであったことでしょう。ここに12もの郭があったのですから規模の大きさ、複雑さが偲ばれます。やはり中世では、自然の地形を最大限利用して要塞化する方法が一般的だったのです。千葉県の城に共通することですが、石垣は皆無です。この辺の城も例外ではなく、裏山程度にしか見えません。開発行為に対しては大変脆弱なのです。せめて、部分的にも石垣があれば、こんな扱いにはされなかったろうにと思うと哀しいものがあります。
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さて、ニコンD7100に廃城専用レンズ(笑)となりつつあるAF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G EDをセットし、園内の整備された階段を登ります。
この城の見所は、障子堀(しょうじぼり)と畝堀(うねぼり)でしょう。障子堀は、北条方の城の特徴と言われています。堀の中をさらに障子のように枡形に仕切って、攻め手の動きを制限しようとした工夫です。その形状を是非目にしたかったのですが、発掘後に保存のため埋め戻されてしまっていて見ることができません。障子堀を簡略化したように堀を波状に仕切った畝堀も同様です。保存が大事なことは承知なのですが、案内板の写真で想像するしかないとは残念です。
写真3 障子堀の現況
写真4 畝堀の現況。落ち葉で波打つ地面がかろうじて判る。
写真5 金杉口に至る通路から。量感のある斜面は威圧感を与えただろう。(一番上の写真は同じ場所を逆から撮影したもの)
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畝堀の木立の間からは市街が見渡せます。地形の起伏だけは当時とあまり変わってないはずですから、この立地が城に好適だったことが理解できます。当時の城下は水田や川、沼だったろうと思われます。乾燥化した現代からは想像もつかないほど水上交通が主体でしたから、この時代、地域の城は軍事と物流を押さえる場所に立地していたのでしょう。城主であった北条氏側の高城氏もそういう戦略からこの地を選んだと思われます。その高城氏の墓が、城と目と鼻の先のお寺にあります。(続く)
写真6 畝堀からの眺望
(小金城データ)
城郭番号 千葉305
調査日 2014年12月7日
所在地 千葉県松戸市大谷口
名 称 大谷口歴史公園
築城年 天文6(1537)年
廃城年 天正18(1590)年頃
高さ(比高) 20メートルくらい
調査日 2014年12月7日
所在地 千葉県松戸市大谷口
名 称 大谷口歴史公園
築城年 天文6(1537)年
廃城年 天正18(1590)年頃
高さ(比高) 20メートルくらい
※城郭番号は『日本城郭大系』の索引地図の番号です。
(訪城ノート)
整備状況 〇、保存状況 〇、アクセス 〇、WC 〇、駐車場 無
公園内の案内板、標識等はよく整備されています(ただし、褪色したものもあり)。交通は、流鉄流山線小金城趾駅から徒歩7~10分、またはJR常磐線北小金駅から徒歩10分程度。
公園に限っては保存状況はよいですが、失われた区域の広さを考えると×に近い△ですね。
公園内の案内板、標識等はよく整備されています(ただし、褪色したものもあり)。交通は、流鉄流山線小金城趾駅から徒歩7~10分、またはJR常磐線北小金駅から徒歩10分程度。
公園に限っては保存状況はよいですが、失われた区域の広さを考えると×に近い△ですね。
カメラは、ニコンD7100、レンズは写真1がAF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6 G VR II、それ以外はAF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G ED。絞り優先オートで撮影。
【廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー】
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
(以降、折りに触れアップ。こっそり修正)