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チェロローグへようこそ! 万年初心者のひとり語り、音楽や身の回りのよしなしごとを気ままに綴っています。

(続)小金原のいちょう並木から

2023年12月06日 | ぼくのとうかつヒストリア

下総小金中野牧跡(捕込)(国指定史跡) 鎌ケ谷市東中沢(2021年11月撮影)

前回から続く)
松戸市から鎌ケ谷市に入りますが、江戸時代はまだ小金牧の内。
新京成線初富駅から徒歩およそ5分のところに小金中野牧の捕込跡が残っています。

捕込(とっこめ)は、元文年間(1736-1741)に造られたとされる、野馬を追い込んで捕え選別するための施設です。三方を土手で囲まれた区画を複数造り、そこに野馬を追い込んで用途別に選別しました。牧という大掛かりなシステムの一端を窺い知ることができます。
捕込に野馬を追い込む野馬捕りは牧の一大行事で江戸からも多数の見物人が訪れたそうです。

現在、残っているのは、写真の払込(分込)区画(野に返す若い野馬を入れる)と溜込(幕府用の軍馬、または農耕馬等として払い下げる野馬を入れる)区画です。土手の高さは3~5m。中野牧のかつての姿を伝える貴重な遺構です。



貝柄山公園(鎌ケ谷市)にある当時の野馬の姿の参考となる群像。(2021年11月撮影)

野馬は、現在の馬のイメージとは異なる小形の馬でした。そして、その名のとおり、野生で放し飼いにされました。そのため、野馬が田畑に侵入しないよう野馬除け土手(野馬土手)が各所に造られました。しかし、現在、残存している野馬土手はごく僅かです。

牧を管理する牧士(もくし)は、野馬が丈夫に育つように配慮しましたが、土地は広大であり、勝手気ままな動物相手であるので大変な苦労を伴ったと思われます。狼や野犬対策、斃馬の処分や様々な案件の処理、農民との交渉など、多くの仕事があったようです。


東葛地方を巡った俳諧師小林一茶の句に、「下陰を捜してよぶや親の馬」(「七番日記」)や「しぐるるや煙草法度の小金原」(「八番日記」)があります。
野馬が闊歩する原野、あるいは野火防止のため煙草が禁じられた放牧場がこの地方の原風景だったのでしょう。


歌川広重(初代)の「下総小金原」(富士三十六景)安政5年(1858)[複製]

小金原を描いた広重の浮世絵です。縦長に切り取った画面は現在のスマホ写真のようです。意表を突くローアングルからのワン・ショットですが、広さと奥行きがうまく捉えられていると思います。

前景の大きな馬、うねりながら果てもなく続く原野 、湧き水、閑散とした松はこの時代の小金原の姿を伝えるものと言えるでしょう。今でも、小高い場所からは同じ姿の富士山を望むことができます。
(おわり)


Nikon/COOLPIX P330
Nikon D5600 / AF-S DX Micro NIKKOR 40mm f/2.8G*

(参考文献)
(1)松下邦夫著『改訂新版 松戸の歴史案内』郷土史出版、1982年7月刊.
(2)松戸市立博物館編『[令和2年度企画展]松戸と徳川将軍の御鹿狩』2020年9月刊.
(3)青木更吉著『小金牧 野馬土手は泣いている』崙書房出版、2001年5月刊.
(4)流山市立博物館友の会事務局『楽しい東葛建物事典』(東葛流山研究第37号)2019年3月刊.

(追記)
2016年8月に、上述の「下総小金原」のジグソーパズル(松戸市立博物館で購入)について、今回と同じようなことをぐずぐずと書いていました
今読み返すととても恥ずかしいのですが、今さらながら、過ぎ去る時間の速さに驚いてしまいます。(2023/12/7記)


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