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開かずの戸張城跡-廢城散歩圖譜 その十三

2019年07月19日 | ぼくのとうかつヒストリア

 戸張(とばり)城は、千葉県柏市戸張の国道16号柏隧道がある高台(高さ15メートルほどの舌状台地)にある平山城です。自動車で柏方面から16号線を南下し隧道を出ると大津川流域の一面の田んぼが広がりますが、中世には手賀沼の水面が広がっていたはずで、水上交通の要所に位置する城であったことは確かでしょう。
 戸張城から北へ約1キロメートル北には台地続きの戸張要替(要害)城があり、手賀沼水運の拠点として機能していたこと、戸張城と強い関連があったらしいことが窺えます。


 城跡には東京都文京区の校外施設である柏学園があって昭和23年から同区立小・中学校の移動教室、野外学習、林間学校等に用いられていました。現在は、園舎の老朽化、周辺環境の変化(市街化)、福島第一原発事故等により、平成25年度以降は運用が取り止められ、施設は閉鎖されています。


閉ざされた正門。風景は確かに林間学校の趣が残っています。ゲート前で道は左に屈曲して下っていて櫓台、虎口の雰囲気を感じます。

 このため、立ち入りは禁止され門やフェンス越しに望見することしかできません。すぐそこに、土塁や空堀があるのですが間近に観察することはできない残念な状態にあります。空堀の様子は、手元にある「日本城郭大系6」掲載の一葉のモノクロ写真といくつかのサイトに挙げられた写真でしか窺えず、あとは想像力を発揮するほかはありません。
 戸張城は開かずの城跡、ある意味、最強の城(笑)です。門扉やフェンス越しに写真を撮る姿はどう見ても不審者ですので早々に退散しました。人を寄せ付けない城でもあります(笑)。


フェンス際に咲くヤマユリ。手入れがされていないのか草茫々、構築物は崩壊を待つばかりか。

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 城は手賀沼に向かって北東を向いていて、曲輪は端から主郭とII郭が連続する直線連郭式です。I郭とII郭の間、II郭と外部(南西側。遺構なし)の間にそれぞれ土塁と堀が存在しています(Ⅰ・Ⅱ郭間は半分が消失している)。


正門から望んだ土塁の様子。園内の左右に土塁と空堀らしきものが見えますが、夏草に視線を阻まれます。左手には櫓台跡があるはずですが。

 いずれの土塁の北西端には櫓台跡と思われる土盛りと屈曲する虎口が想定できるようですが、生い茂る夏草のため確認することはできませんでした。
 Ⅱ郭と外部との堀は現状は3mほどだそうですが、過去の調査ではさらに3m深い薬研堀が検出されたそうです。同様の堀を持つ根木内城との関連を想像させます。
 また、城の南には、腰曲輪と思われる狭い平地があり、船着き場のような水上交通に関連した用途を思わせます。


南側からの城山の遠望。手前の低い土地が船着き場と思われます。撮影者は水中にいることになります。

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 柏学園が来たことが戸張城にとってよかったことなのかそうでなかったのかは判断に迷います。学園とならなければとうの昔に宅地になり消滅していたかもしれません。消極的ですが、保存面だけから見れば(例え、部分的な破壊があったとしても)立入制限は悪くはないことかも知れません。
 ただし、将来はどうなるのか分かりません。郷土の誇るべき歴史遺産として園内の弥生時代末期の竪穴住居跡とともに整備していただき、歴史を知り体験する場として、ぜひ、開放していただきたいものです。

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 横道にそれますが、この戸張城の周囲を歩いていると、城の背後の木立が開けた場所に何かの碑らしきものが建っているのを発見しました。近づいてみると「東京都本鄕區柏學園」とあり、台座には「紀元二千六百年記念」と彫られていました。紀元2600年は昭和15年(1940)です。昭和22年に小石川区と本鄕區が合併して文京区ができる前ですから本鄕區なのです。文京区柏学園の沿革では、学園開設が昭和21年となっていたので戦後のスタートと思っていたのですが、柏との関係は戦前に遡るようです。
 それにしても、こんなところにポツンと忘れられたように記念碑が建っているのは、不思議と言えば不思議です。どことなくアカデミックな雰囲気が漂うのが本鄕區らしくもあります。
 戸張城と紀元二千六百年。思いもよらない取り合わせでした。


侘し気に空き地に建つ紀元二千六百年記念碑

(タイトル写真)通用口のような小さいゲートからの風景。主郭とII郭間の土塁らしきものと思われるます。
(今回の写真は、他のサイトに紹介されているようにフェンス越し撮影なので同じ風景になります。保存状態の確認にはなりますが(笑))


Nikon D500/AF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G ED


戸張城データ

未記載事項は後日掲載予定です。

城郭番号 千葉289
調査日 2019年7月19日
名 称 戸張城
所在地 千葉県柏市戸張909番地付近
高 さ 
分 類 直線連郭式
築城年 
廃城年 
城 主 相馬氏の一族、戸張郷の戸張氏といわれるが不明。
 ※城郭番号は『日本城郭大系』の索引地図の番号です。


《 廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー 》
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
その五、小金城の在りし日を偲ぶ(千葉県松戸市)2014年12月7日
その六、中金杉城(千葉県松戸市)2014年12月7日
その七、行人台城行方不明(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八、根木内城の復活(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八 補遺、境根原合戦城跡を歩く(千葉県柏市)2014年12月7日
その八 補遺二、春の根木内城再訪(千葉県松戸市)2015年3月29日
その九、鰻遊、牛久城(茨城県牛久市)2015年4月18日
その十、前衛の前ヶ崎城(千葉県松戸市)2015年5月4日
その十一、消えた幸田城(千葉県松戸市)2015年5月6日
その十二、常陸小田城の苦闘(茨城県ひたち市)2018年11月20日
※以後、折りに触れアップ予定。バックナンバーは改善のため、こっそり修正する場合があります。


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