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一ノ瀬俊也著『日本軍と日本兵』を読む

2014年04月11日 | 折々の読書
 日本の旧軍隊の研究は数多いが、本書のように米軍側の資料からのアプローチは珍しいと思う。太平洋戦争中、アメリカ軍が兵士用に編集、配布していたIntelligence Bulletin(戦地情報公報)という小冊子の記事から、戦場での日本兵、日本軍の姿に迫ろうというのが本書の内容である。敵に対する記述だから、歯に衣着せぬ表現、ステレオタイプな見方は否めないとしても、実際の「皇軍兵士」の姿に近いものがあるだろう。中には、日本兵の識別方として、(日本兵は)rとlの発音ができないというものもあり、戦争の様々な影響を考えさせられらた。

 旧帝国軍につきものの精神論偏重はアメリカ側からも認められている。具体的には、奇声を発すれば敵(アメリカ軍)は恐れるという、どう考えても戦場で通じそうもない馬鹿げた「訓練」、銃剣術における突き重視、側面攻撃重視、奇襲攻撃偏重、万歳突撃玉砕一辺倒などであるが、重視と言っても、実際はそれだけしか知らないごとく繰り返したり、反撃されると対応ができなくなるなどである。教え方が精神力頼みで実際的ではなく、少しでも異なった状況になると途端に壊走してしまうことに繋がる。それは現在の日本にも言えることなのではないか。

 また、日本の兵士たちは、心底から戦争を遂行しようとしていたのではなく、できれば弾に当たらず本土に帰りたい、と思っていたのであろう。捕虜となることを拒否したのは、軍隊でそう教育されたこともあるが、社会的な制裁が怖かったのであることは本書で改めて認識した。銃後(国内)は相互扶助が原則であって、一族の出征兵士の不名誉な投降が知れれば、一族一統が孤立無援(村八分)となってしまう現実がある。捕虜となるよりも死を、何よりも、国に残した親族のことを考えたのである。そして、みんなと一緒に死ぬという行動をとらざるを得なかったのではないか。

 いずれにせよ、肉弾で戦車に突撃した下級兵士、穴掘りをして立てこもり、火炎放射器で焼かれた兵士、万歳突撃で無為に斃れた無数の兵士。生きて帰ることもないし、何も語れない。アメリカ軍の情報誌に映されたのは、まさに我々の真実の姿に近かったのではないだろうか。極限の状況で死に向き合ったその姿なのではないだろうか。桜散る季節にこんなことを考えながら本を閉じた。

 ■一ノ瀬俊也著『日本軍と日本兵:米軍報告書は語る』(講談社現代新書2243) 2014年1月刊.


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