ブルグミュラーの第6番「進歩」に入りましたが、ここにきて格段と難しくなったと感じます。これまでは左手は伴奏、右手は旋律という役割分担さえこなせれば仕上がったのですが、この曲は伴奏も旋律も予測不能な動きをしますし、単純な分担ではないところがほとんどで、難しさを嘆く日々が続いています。
ところで、ヨハン・ブルグミュラー(Johann Friedrich Franz Burgmüller, 1806-1874)は、現在のドイツのレーゲンスブルクに生まれましたが、1832年、24歳の頃にフランスのパリに移住し、そこで作曲家、ピアニスト、ピアノ教師として一生を過ごしたとされています。
1832年という年は7月革命の2年後にあたります。産業革命の影響がフランスにも及んできた時代で、社会は混乱していました。あの『レ・ミゼラブル』の舞台となった時代です。その後も2月革命(1848)から第3共和制(1870-1940)に至るまで、共和制と帝政が入れ替わる激動の時代は続きます。
そのような時代なのですが、ブルグミュラーは、おそらく、富裕層(ブルジョワ階級)の需要に応え、教師や作曲でそれなりの人生を送っていたのではないかと思われます。というのは、残念ながら、彼に関する資料はほとんどないようなのです。しかし、ピアノ教則本だけでなく、サロン向けの室内楽からオペラまで数百曲にのぼる作品を書いたとする説もあるようです。
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ところで、同じようにドイツからフランスにやってきた音楽家にジャック・オッフェンバック(1816-1880)がいます。彼がパリに来たのはブルグミュラーの1年後、1833年(本人17歳頃)でした。ブルグミュラーとは対照的にパリ音楽院も中退してしまうような不行跡な男。結局、彼は喜歌劇に活路を見出し、やがて大成功します。かたやピアノ教師でピアノ教則本の著者、かたや一世風靡の売れっ子作曲家。ブルグミュラーはオッフェンバックのオペレッタをどう思っていたのか、気になります。
いや、「進歩」の話でした。
少し遅れてフランスにやってきた産業革命ですが、それは技術を求め技術は進歩を求められます。しかしながら、ブルジョワジーの中にいたブルグミュラーが「進歩」についてどう考えていたかは分かりません。
この場合の「進歩」は、ピアノがうまく弾けるようになったり、できないことができるようになる進歩なのでしょう。冒頭をはじめ、何度かスケール(音階)が繰り返されるのはそのためかも。
一方で、工場の機械がうなりを上げて回転しているような風景にも思えます。また、フランスでは1830年代に蒸気鉄道が開業し、少しづつ路線を伸ばし、練習曲が出版された1850年ごろには黄金期を迎えています。私には、その列車が前進する様子にも思えてくるのです。鉄道というものをブルグミュラーも世の中の「進歩」として見ていたかも知れません。
今までよりさらに難しい「進歩」を練習しているせいか、とりとめのない妄想が広がってしまいました。こんな邪念に囚われているようではレッスンで合格できないなあ。∎
ブルグミュラー「25の練習曲」(作品100)から第6番「進歩」。速い進歩です(笑)。
Burgmüller Op.100 Nº6 Progrès | Progreso