2001年9月11日以降、極度に神経過敏となったアメリカでのトランジットは不愉快そのものだった。初めてキューバに行った2002年冬のことだ。
靴を脱げ、化粧ポーチの中身を出して並べろ、口紅を出して見せろ、デジカメのスイッチを入れろ・・・そうこうしているうちに、私の席にキャンセル待ちの乗客を入れたらしい。ギリギリ・セーフで搭乗すると、すれ違いに荷物を抱えて降りていく客がいた。おいおい、マジかよ。
そんなわけで、初めて足を踏み入れたアメリカの印象は最悪だった
二つめの中継点、メキシコで一泊した後、翌朝の飛行機でキューバへ。
キューバではパスポートに捺印はしない。捺印した別な用紙をパスポートに挟み、出国時に回収する仕組みだ。パスポートにキューバのハンコが捺してあると、アメリカで嫌がらせを受ける恐れがあるだめだという。
アメリカは、キューバと取引をした企業・個人がアメリカで取引することをヘルムズ・バートン法で禁じている。
この法律は、アメリカの国内法で第三国の人の自由をも縛ろうというもので、厳密に行使されれば、キューバで外貨を使って宿泊・飲食をした観光客はアメリカで同様の行為が出来ないということになる。
何て穴メドの小さいことをする大国だろうね、まったく!
しかし、私のようなひねくれ者は「アメリカがどんな嫌がらせをしてもネをあげない」のが、キューバ最大の魅力だと思っている。だからこそ、この南の小さな島国に、いつか行ってみたいと、さながら恋い慕ってきたのだ
さて、キューバに降り立つと、燦々と輝く太陽、褐色の肌の男女、彼らをことさら陽気に見せる白い歯、禁煙禁煙のご時世にあって10m間隔で置かれた灰皿・・・この優しさに満ちた雰囲気にすっかり惚れ込んでしまった。
一方で落胆したこともあった
チェ・ゲバラがアルゼンチン人だと知ったのは実は後のことで、迂闊にもキューバにはゲバラばりの二枚目がウヨウヨしていると思い込んでいたのだ。
しかし、キューバでよく見る顔はどっちかというとおどけた三枚目が多く、完全にアテが外れた。フィデル・カストロは生粋のキューバ人だが、彼のような険のある顔もあんまり見かけない。何人か知り合ったキューバ人の顔を思い浮かべるとき、へらりとした笑顔しか思い出せない。そのくらい笑顔が印象的な人々だ。また、目が合うとくすぐったそうに照れ笑いを浮かべ、「ヘイ、チーナ」とか言って手を振ってくるラテンのにいちゃん達は概ね小柄で、大柄なカストロ氏の体型もキューバではかなり特殊な感じがする。
イメージと実際に見るのとでは大違いだ
そういうわけで、私は未知の国に対し先入観を持つことは極力避けることにしている。「北」のアノ国にしても、人間の暮らしが灰色一色に塗り込められているなんてことはあり得ないと思っている。そこで生まれた子どもは、笑うことや感動すること、他の生き物を愛おしむことを、そこで覚えるのだから。
イラク、「北」のアノ国、そしてキューバは、アメリカにとっては同列の憎むべき「ならず者」と認定されていた。
キューバは、当然ながら「イラク攻撃」が自らの存在をも危うくするものと捉え、真っ向から反対の声をあげていた。イラクの人民と連帯しよう、というポスターもあちこちで見かけた。
あるキューバ人は、医療分野の研究が顕著なキューバに対しアメリカが『細菌兵器を作っている』とのデマゴギーを展開している、と警戒感を募らせていた。「アメリカは、何かを口実にしようとすれば何でも口実にできる。そして、どこでも攻撃できる。そんなことは断じて許されない。キューバは国連で声を大にして訴えている」と。
キューバは小さいけれど、日本の、私たちの、私の・・・埋もれて消えてしまいそうな小さな叫びを、国という単位で代弁してくれているのだと思った。そして、この遠い島国が、自分にとても近い存在に思えた。もしかしたら、日本よりも、私の気持ちに近いのではないか、と。
イラク攻撃は、翌年3月19日に行われた。
しかし、2002年暮れには既に、いつ攻撃が始まってもおかしくないと言われており、メディアはいつか確実に殺されるであろう人々の「今の様子」を連日伝えていた。
キューバから帰る飛行機の中、今まさにイラクを空爆する部隊が、この同じ空を飛んでいるのかもしれないと思いながら、窓の外を見つめていた。
その矛先がキューバに向けられる日が来るかも知れない。そのとき、私はどうしたらいい?
そんなことを考えて、涙が止まらなくなった。
あのときの悲しさ、悔しさ、無力感を決して忘れない。
「スペインってステキよね」とか「イタリアにハマッたわ」という人。あなた方は幸いだったわね、と本気(まじ)で思う。
キューバは「好き」だけでは済まないような気がする、厄介な国である。
でも、世界で起きていることをキューバ置き換えて考えると、見えてくることも多い。
そういうキューバは、私にとっては愛しく、また有難い存在である
そんなわけで、年に一度、毎年キューバに行くことになってしまった。
自分がキューバで元気になるために。私の訪問を喜んでくれる人がいる限り。
今年も、「そろそろ、その時期だな」と、プランを練っているところである。