シエラ・マエストラを下りて、サンチャゴ・デ・クーバで一泊し、国内便でハバナに移動。翌日は、丸一日かけてサンタ・クララへ。
チェ・ゲバラが眠るサンタ・クララは絶対に外せないスポットである。
チェが眠る墓所であるゲバラ廟と博物館は今回、残念ながら閉館日だった。訪れたのが4月30日で、ゲバラ廟が建つサンタ・クララ革命広場のメーデー準備のため、お休みになっているということだった。
初めて訪れた人は本当に気の毒だったと思うが、私にとっては、中に入っても外から見ても、愛しい人の近くに居ることに変わりはない。
今年も、チェのそばに来れた・・・それが嬉しい
廟から30分ほど離れたところに、「軍用列車転覆」現場がある。
キューバ革命のクライマックス、サンタ・クララの闘いに勝利した場所である。
フィデルが本拠地を構えた東部の街サンチャゴ制圧のため、ハバナのバチスタ独裁政権は800人の兵士と大量の武器を積んだ軍用列車を差し向けた。
この列車を、中間地点のサンタ・クララで脱線させ、兵士たちを降伏させて武器を奪った。
この闘いが12月30日。翌日、大晦日、独裁者バチスタはニューイヤーパーティーに紛れてドミニカに亡命した。
かくして1959年1月1日、サンチャゴの市庁舎のバルコニーで、フィデル・カストロが革命勝利を宣言するのである。
サンタ・クララの闘いは文字通り、革命勝利を決定づけた闘いであり、これを指揮したのがチェ・ゲバラである。
革命軍は、ブルドーザーで線路を折り曲げて軍用列車を脱線させ、ガソリンを蒔き、「降伏しないと火を放つ」と言って、火炎瓶を構えた。
政府軍(バチスタ軍)は、当初から敗北を予感してすぐに逃亡できるように軍服の下に私服を着ていたほど戦闘意欲を失っており、全員すぐに降伏したという。
転覆現場には貨車を改装した博物館が開かれている。
ガラスケースに収まっている見慣れたカナダドライの瓶で作られた火炎瓶。みょ―に親近感を覚え、なにげにシャッターを切った。
が、サンタクララへ行く前のサンチェゴでのホテルのエピソードの方がもっと聞きたいな~
なんてオネダリ
サンチェゴでのホテルのエピソードですか~。個人の事情に立ち入る、なかなか微妙なネタですので、これからおいおい考えます。
ま、幸せで何よりっす