Casa de Celia

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CUBA★07【チェの瞳を持つAleida】

2007-05-12 | Cuba(きゅーば)

 チェ・ゲバラを父に持つアレイダ・ゲバラ・マルチさん(1960年生まれ)。
 アンゴラでの医療活動(1986-1988年)を皮切りに、キューバ親善大使として幅広く活動している。若きチェの日記「モーターサイクル南米旅行日記(モーターサイクル・ダイヤリーズ)」の前書き、ベネズエラのチャベス大統領との対談、「チャベス~ラテンアメリカは世界を変える!」の著者としても名を連ねる彼女。
 特にチャベス大統領との対談の的を射た受け答えは、「チェの遺児」にとどまらず、アレイダ・ゲバラその人のキャパを感じさせる。

 「彼女に会いたい」という数年来の希望が今回叶ったのは、一つは彼女がその日、偶然キューバに居たこと、もう1つは、CTC(キューバ労働者中央組織)を通じてアポイントがとれたこと、である。
 これもCUBAPONが進めてきたCTCとの長年にわたる交流の成果だろうと思う。

 アレイダ・ゲバラさんの自宅は、かつてチェが家族と暮らしていた家である。
 その道向かいに現在ゲバラセンター(Centro de Guevara)が建設中で、外観はもう9割方完成している。

 私たちがゲバラセンターに着くと同時に、アレイダさんが自宅から道を横切ってやって来るのが見えた。警備員に微笑みながら挨拶を交わしている。
 ああ、まさしく彼女、アレイダさんだ・・・。垂れ気味の優しい目と眉の角度がチェに似ている。
 私たち一人ひとりに微笑みかけるアレイダさん。笑顔を絶やさない丸い顔、優しい雰囲気・・・彼女に会ったら、誰だって、いっぺんで好きになるだろう。
 
 さっそく、ゲバラセンターの外観に沿って一通り説明をしてくれた。
 ベネズエラの木材を使ったデッキ、ボリビアの風景にちなんで川をつくり樹木を植えたという小さな庭園、そこに置いたのはチェが最後に使っていた車・・・。
 続いて彼女に従って中に入る。
 資料展示室となるフロアには、空をイメージさせる壁と陳列棚は出来ていたが、資料はまだ並べられていない。アレイダさんは、「まだ美術スタッフの仕事が残っています」と言った。
 ちなみに、2階の会議室に、写真を大きなパネルにしたものが集められているのを後から目にした。

 「チェの施設なのですから、子どもたちがいつでもここに来て、学んだり調べたり出来るようにしたいのです」と言うアレイダさんは、もともと小児科医で、子どもたちを何よりも大切にする思想を持って活動をしてきた人でもある(参考「ゲバラの娘、子供は世界の宝と語る」)

 アレイダさんのお話をじっくり聞くため、椅子を並べ、彼女を囲んだ。
 以下、彼女のお話の断片である。

◆2人の娘の母として
 明日、皆さんもメーデーに行かれるそうだが、私も娘と行く予定をしている。娘といっても、こんなに(手で背丈を示しながら)大きいけれど。
 娘は、私とそういう場所に行くことがあまり好きではない。私と行くと、いろんな私の友人たちが来てあいさつするので恥ずかしいと、文句を言われる。

◆チェを父に持って
 とても幸せに思う。それでも、大変なこともあった。
 キューバでは、「チェは優しい人だった」ということは子どもたちでも知っている。
 私は小児科医だが、治療をするだけ、というわけにはいかなかった。(優しいチェの娘として)誰に対しても優しくしなければ、といつも思っていた。

◆父の思い出
 父(チェ・ゲバラ)に最後に会ったのは、私がまだ3つの時で、記憶がほとんどない。そのときの父は、海外の戦場(コンゴ)に赴くため既に変装しており、知らない人を装っていた。
 私の記憶にはないが、父が出て行ったあと、「あの紳士(セニョール)は、私を好きになってしまったようよ。そんな目をして私を見たわ」と母に言ったそうだ。
 このことは、後から母に聞いた。

◆フィデル・カストロと
 私は、フィデルを「おじさん(Tio)」と呼んでいる。
 ある日、フィデルおじさんと父の話をしたとき、彼が、現在形(Presente)で話すので、つい笑ってしまった。
 「何を笑っているのかね」と聞くので、「あなたのことを笑っているのよ。だって、フィデルおじさんは、父のことを現在形で話すのですもの」と言うと、「チェは今も現在形なのだ」と彼が言った。
 皆さんも、明日メーデーに参加されたらお分かりになると思う。
 チェは今もキューバで尊敬され、愛され、生きている。

◆モーターサイクル・ダイヤリーズ
 ある日、母がそのままの日記(モーターサイクル南米旅行日記)を出して来て、見せてくれた。
 私はそれが父のものだと知らずに読んで、この青年を好きになってしまった。
 それが父だということは読み終わってから知った。
 
◆チェとフィデル
 キューバ共産党大会で、そこにチェがいないことについて、フィデルは説明しなければならなかった。それであの「別れの手紙」を公開した。
 チェは、それを公開してもらいたくはなかった。それで、キューバにはもう帰りたくなかったけれど、フィデルが説得して一度キューバに戻った。
 この2人は、とても頭のいい人たちだった。
 だから意見が違うときもあったけれど、話し合うことですべて解決できたと思う。

◆「チェ・ゲバラの政治思想」(IFCC出版会)を手に
 1992年にCUBAPONと関係の深いIFCC出版会から自費出版に近い形で刊行された本。原本は、チェの息子カミロ(アレイダさんの弟)にたまたま出会って「もらった」というもので、著者のマリア・D・C・アリエットのプロフィルは不明。もちろん許可ももらっていない(行き当たりばったり&結果オーライのCUBAPONらしい)。
 チェ・ゲバラの伝記はいろいろあるが、彼の思想について書かれた本は日本では大変珍しい。その辺の
説明とともにこの本をプレゼントされたアレイダさん。
 ああ、マリア・D・C・アリエットは、このセンターの研究員の一人です。
 この本を見せたら、彼女、きっととても喜ぶわ。

 彼女と過ごした時間は、約1時間。優しい表情を見つめ、貴重なお話に耳を傾けているうちに、あっという間に過ぎた。

 その間、途中でトイレに行きたくなった私。
 ゲバラセンターのトイレはまだ使用禁止だったため途方に暮れていたら、アレイダさんが自宅のトイレを快く貸してくれた。
 とても気さくに、「うちのを使いなさいよ」と言ってくれたけれど、それはつまり、チェ・ゲバラが使ったモノ凄いトイレなわけで・・・とは言っても、遠慮するとかしないとか言っていられるような状況でもなく、SPの人と一緒に彼女の家に走った。
 彼が私に「スペイン語は話せるか」と聞くので「ちょっと話せる」と言うと、「おお、それは良かった」と言ったけど、会話するでも注意事項を申し渡すわけでもなく、単に聞いてみただけだったようだ。
 彼がトイレの前で待機していたため、というより、アレイダさんやSPさんの信頼を裏切ることはしたくなかったので、写真は撮らなかった。
 
 便座に座って、もう、感無量。
 MAXまで我慢していたせいもあるが、思わず涙がこみあげた

 「これからプレスセンターに行かなければいけない」というアレイダさんと、最後に外で写真を撮った。
 みんなで一緒に撮ってから、お願いして2ショットも撮らせてもらった。
 家宝にします

 出会ってからお別れまで、終始笑顔だったアレイダ・ゲバラさん。
 チェは、この世に美しいものをたくさん遺していった。
 アレイダ・ゲバラさんは、そういうチェの娘らしく、美しく生きている女性だった。


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